はじめまして
柊さんのレビューを見て、やってきました。
『青く、蒼すぎず、高くふかく』
とても綺麗で素敵な表現ですね。
カクヨムの作品を見たり、自分で書くようになって、様々な言葉の力を感じると同時に、使う言葉の難しさも感じるようになりました。
この作品の至る所からもそれらを感じます。
作品への皆さまのコメントや遊井さんの返信にも色んな物が詰まっていますね。
『青く蒼すぎず』生きる事は難しいし、『高く深く』は苦しみも伴うけれど、いつでも楽しむ心は忘れずにいたいですね。
最後に書かれている言葉。
『言葉を紡ぐとき、未来のあなたが幸せになれる言葉を探したい。』
私もすごくそう思います。
作者からの返信
風の子ふうこ様
はじめまして!
柊さんはレビューがとても上手なので、どんな作品なのかのぞきたくなっちゃいますよね。
こうして風の子ふうこさんに来ていただき、最後まで読んでいただけたこと、とても嬉しいです。ありがとうございます。
作品のタイトルはSPANOVAの「朝のテーブルに足りないもの」という歌詞の一部をアレンジしたものです。言葉の美しさを気に入ったのですが、ふうこさんに説いてもらって、なるほどー!って目からウロコです。
ちょうどよく生きることって難しくて、人はつい苦しみに目を向けやすいですけれど、楽しむ心を大切にできたなら、人生はどこまでも高く味わい深いものになりそうです。
ふうこさんをはじめ、みなさんのコメントで気づかされることがとても多くて、私もとても勉強になります。
どんな言葉を使うかに、人柄があらわれているように思います。ふうこさんは爽やかで前を向いて生きている人なのかな、ってそんなふうに感じました。
カクヨムに作品を載せることは、不特定多数の人の感情に働きかけることでもあるので、知らない誰かが爽やかな気持ちになれるような言葉を使いたいなって思います。
幸せになる言葉探しにふうこさんが共感してくれたこと、仲間ができた!って感じでとても心強いです。
この作品は完結させたのですが……素敵だと思ってくださる方が多いので、再開してみたいと思っています。そのときにはまたお立ち寄りいただけたら嬉しいです。
長文返信になってしまいましたが、コメントとお星さまをありがとうございました♫
編集済
実に、難しいですね。
いつの日か、ひとは詩を歌い曲を奏でるだけの穏やかな生命体になるだろうか。怒り、憎み、蔑み、妬み、盗み、犯し、殺すことをやめるのだろうか。そのような衝動、渦巻く感情や欲求は、どこからくるのか。人間特有のものなのか。
もしかしたら。どす黒いような欲求は、むしろ阿頼耶識にこそ源泉があるのではなかろうか。善悪の識別は、人間の唯識界だけの価値観に過ぎないのではないか。
何故なら。生命界にとっては喰うことも喰われることも、殺すことも殺されることも、進化変容を促す意味では等価値かもしれないから。
しかし。
仮にそうだとしても、私はそわ香さんの言葉に与したい。
例え、渦巻く感情や欲求を体内に宿していても、それを見据えつつ、泥ではなく星を見上げたいと思うからです。それが、ひとの挑戦だと思うからです。
どストライクのお題でしたため、ついべらべらと!長文失礼致しましたっ
作者からの返信
呪文堂様。うまい言葉が見つからずに、中途半端になってしまったエピソードを拾いあげてくださって、ありがとうございます。
多くの人が穏やかな幸福を望みながらも、怒りや憎しみや殺意などの強いエネルギーに振り回されてしまう。
どこからくるのでしょうね?
「阿頼耶識にこそ源泉がある」面白い推測です。個人の枠を超えた集合意識とも関係あるでしょうか?
殺すことは、動物も食虫植物もしていることですが、そこに善悪をもってくるのは人間だけですね。善悪にがんじがらめにされてしまうと苦しいですが、善と悪を知り、善に向かっていけたら、呪文堂さんの言葉を借りるなら「泥ではなく星を見上げたいと思う」なら、世界は美しいほうへと進化変容していけるのではないかと思います。
絶望するのは簡単ですけれど、泥沼に入るのではなく、輝く星を見つめていたいものです。
うまく書けなかったテーマなのですが、丁寧に読んでくださり、考察していただき、補足してくださってありがとうございます。
真剣に書いてくださった呪文堂さんのお気持ちが嬉しいです。素晴らしいコメントをありがとうございます!
アフガニスタンねえ……自分が想像するよりもっと先のこと、あるいはもっと別のベクトルが無数にしかも現実に存在するんだと思わされますね。そもそもその発想はどこから来ているのか、表面だけでは分からないです。根源的な部分では人間は似通ったものがあるはずだと思うんですが、その出方が人や国や宗教のフィルターを通して全く違うものになるのが難しいところです。
自分の苦痛には敏感でも他人の苦痛には慣れて鈍感になってしまう、人間の残酷さで、それが自分を守るすべなんでしょうか。
作者からの返信
柊さんのコメントを読んで、いろいろと考えてしまいました。アフガニスタンの問題だけでなく、今までの歴史で起こったこと、日常的なニュースで流れる事件、すべてに言えることだなと思って。
ベクトルのことや発想がどこから来ているか、そして誰にでもフィルターはかかっているということ。考えればキリがなくて悩ましいですね。柊さんの最後の一行、今の私にピリッときます。
私悩んでいることがあって、そのうち、ひいにゃんカウンセリングルームにおやつを持って飛び込むかもしれません。
作品を読めなくなってしまって、交流の多いカクヨムの活動をどうしようかなって。退会はしないですけれど……悩ましいです。
アフガニスタンがああまで混乱して、政府軍が簡単に逃げて。
私たちが見えないところが、いろいろあると思っています。
作者からの返信
逃げられる人はいいんですよね。逃げられない一般市民のことを思うと、ね。
国境が閉鎖されているそうなので、どうなっていくのだろうと気がかりです。
女性市長が「死を待つのみです」と語った言葉が現実にならないことを祈るのみです。
こんにちは。
人の心の奥には明るいものも暗いものも巣食っているのだと思いますが、その悪い部分が出てきて人格を無視するような言動になるのは、一つには想像力の欠如――他者がいるという単純なことに想いを馳せることができない想像力の欠如なのかなと思います。
充実した読書体験には、想像力をとり戻す効能があると信じたいですね。
遊井さんの物語は、読者を幸せにさせる力がありますよね。
作者からの返信
コメントありがとうございます(。・ω・。)
充実した読書体験、なるほど!って思いました。人が一生で体験できることって案外少ない。本を読むって、感情移入することでもありますよね。自分の知らない世界への出会いでもあり、他者の気持ちを知る機会にもなる。
ゲームは思考を止めがちで想像力の働く範囲も狭いけれど、言葉は想像力を広げてくれるように思います。その想像力が悪いほうにいくこともありますが……。
どんな人にでも明るさと暗さがある。明るさを増していけたらいいですよね!
私はまだ試行錯誤している段階です。久里さんの「遊井さんの物語は、読者を幸せにさせる力がありますよね」というお褒めの言葉に頷ける自分になりたいな。