第21話 ルディ/涙のウイニング・ラン
1993年のアメリカ映画です。
この映画は実話です。
以下あらすじ。
主人公ルディは幼い頃からノートルダム大学のフットボールチームに憧れていたが、小柄な体格(身長160cm、体重55kg)と学業成績の悪さと経済的理由で大学進学を断念する。
けれど夢を諦めきれないルディ。夢の唯一の理解者である親友ピートが事故で亡くなったのを契機に、周囲の反対を押し切り、ノートルダム大学を訪ねる。
紆余曲折を経てノートルダム大学への転入が認められ、フットボールチームに入部することができた。けれど小柄なルディに出番はない。
大学最後の試合。レギュラー陣の直訴のおかげでルディは出場を果たし、試合終了間際に最高の手柄を決める。
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ノートルダム大へ見学に行こうすると、先生に「君の成績では入学は無理なのに、何故バスに乗ろうというのかね?」と言われ、バスに乗せてもらえない。
父親はルディに、夢を追って事業を拡大した末に失敗し蒸発した祖父の話をして「馬鹿な真似は止めろ。安定した道を選べ」と説得する。
神父に「祈りが足りないのでしょうか」とこぼすと、「神学を三十五年学んできた。その中で自分が見出したのは、神が確かにおられることと、自分の無力さ。そのふたつだけだ」と神父は話す。
心の折れたルディに、かつてアメフト部の選手だった黒人の校務員は「自分もなかなかレギュラーになれなくて、それは自分が黒人だからだろうと思って途中でやめてしまった。今もそのことをとても後悔している」
だからお前は諦めるなと背中を押す。
映画レビューに「自分は指導者だが、才能のない選手を試合に出すことはしない」という書き込みがあって、勝利至上主義の人にとっては、結果がすべてを物語るのかもしれません。
「試合に出ないお前に価値はない」「勝たないと意味がない」と、子供に圧をかける毒親というものもいるらしい。
夢は誰が見てもいい、自由。
けれどすべての人に才能があるわけではないし、夢を追い続けるよりも諦めたほうが楽だったりします。
私がこの映画を見たのは学生のとき。やりたいことも夢もなく、ひたむきな情熱もなかった。ルディの薄まることのない情熱が羨ましかった。
――情熱も才能の一種。
夢は叶った瞬間だけのものじゃない。
結婚を望む恋人。
夢を諦めるよう説得する人。
人生の虚しさを説く人。
練習で全力を出すルディを煙たがる仲間。
夢を励ます人。
何らかの形で夢の実現を後押しする人。
出会う様々な人たちが夢に彩りを添えてくれる、そんな風に思える映画です。
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