ルディ/涙のウイニング・ラン

 1993年のアメリカ映画です。


 この映画は実話です。

 以下あらすじ。


 主人公ルディは幼い頃からノートルダム大学のフットボールチームに憧れていたが、小柄な体格(身長160cm、体重55kg)と学業成績の悪さと経済的理由で大学進学を断念する。

 けれど夢を諦めきれないルディ。夢の唯一の理解者である親友ピートが事故で亡くなったのを契機に、周囲の反対を押し切り、ノートルダム大学を訪ねる。

 紆余曲折を経てノートルダム大学への転入が認められ、フットボールチームに入部することができた。けれど小柄なルディに出番はない。

 大学最後の試合。レギュラー陣の直訴のおかげでルディは出場を果たし、試合終了間際に最高の手柄を決める。



 ✦✦✦



 ノートルダム大へ見学に行こうすると、先生に「君の成績では入学は無理なのに、何故バスに乗ろうというのかね?」と、バス乗車を拒絶されてしまう。

 父親はルディに、夢を追って事業を拡大した末に失敗し蒸発した祖父の話をして、「馬鹿な真似は止めろ。安定した道を選べ」と説教する。

 神父に「祈りが足りないのでしょうか」とこぼすと、神父は「神学を三十五年学んできた。その中で自分が見出したのは、神が確かにおられることと、自分の無力さ。そのふたつだけだ」と話した。

 

 心の折れたルディ。

 そんなルディに、かつてアメフト部の選手だった黒人の校務員は話します。


「自分もなかなかレギュラーになれなくて、それは自分が黒人だからだろうと思って途中でやめてしまった。今もそのことをとても後悔している」


 だからお前は諦めるな、と背中を押してくれたのです。



 映画レビューに「自分は指導者だが、才能のない選手を試合に出すことはしない」という書き込みがありました。

 勝利至上主義者とっては、結果がすべて。


 試合に出ないお前に価値はない。

 勝たないと意味がない。


 そうかもしれません。

 けれど、私は思うのです。夢は誰が見てもいい。自由。

 すべての人に才能があるわけではないし、夢を追い続けるよりも諦めたほうが楽だとは思います。


 私がこの映画を見たのは学生のとき。

 やりたいことも夢もなく、ひたむきな情熱もなかった。ルディの情熱がただただ羨ましかった。

 だからこそ、思う。


 ──情熱を燃やし続けられるのは、才能の一種。

 

 

 小説で結果がでないと落ち込みますよね。でもそれでも、書きたいという情熱を持ち続けられたら、それは誇っていい才能だと思います。

 


 

 


 

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