応援コメント

第12話 大鎌」への応援コメント

  • レイ・ブラッドベリ著『10月はたそがれの国』
    もう大好きな作者です。
    本を失って、この作品、最近、また買ったばかりで。

    作者からの返信

    ええーっ!
    雨さんも『10月はたそがれの国』好きでしたか!
    しかも失くして、また買ったって私とまったく同じです。私も学生時代に買って、失くして、一年ほど前にまた買いました。
    一度読んで終わりの本も多い中、失くしてまた買いたいっていう本、希少ですよね。それだけレイ・ブラッドベリという作家には魅力がありますね!

  • こんにちは。
    死神の大鎌を握るひとは、はじめは持っていた感情をいずれなくしていくのかもしれないなと思いました。それは善いことでも悪いことでもなく、ただ自然に従ううちそうなるのかなと。
    いずれ必ず刈られる麦。早すぎるのも、期を逸して醜く残るのも、ちょうど適した時に刈られるのも、どれが幸せ不幸せということもなく、とにかくいずれは刈られる、最初は刈りどきを計っていたけどそのうち気にしていられなくなる、だから最後は感情をなくしてただただ目の前にあらわれた麦を刈る。。。
    勝手な読みですが、、いろいろ考えてしまうお話ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます(◍◕ᴗ◕◍)
    私も、大鎌の男は耐え切れずに感情をなくすのではないかと思います。人間が死神の行為をするのは……どうなのでしょう?人によっては、神になったように感じて喜ぶかな?でもやっぱり、愛する人を失うのはつらいですよね。
    麦を刈るタイミング!そこは考えたことがなかったです。なるほどー。早く亡くなることが不幸せでも、年老いて死ぬことが幸福でもないですものね。
    なにも考えることなく、思うことなく、黙々と刈る。結局そういうことになりそうです(¯―¯٥)
    それならば麦は、生い茂っている間に精いっぱい生きないといけないですね!
    私もいろいろと考えさせられました。ありがとうございます。

  • 『死を伸ばした先にあるのは、死んだでもなく、生きているわけでもない』

    死とは実に興味深いものですね。
    死とは、外にあるもので。
    我々は、死そのものを知覚できず。
    死者を見ることは出来ても、自らの死体を見ることは叶わない。
    いや本来、我々は死に続けているはずであるのに。

    大鎌を振るう男には絶望と狂気が与えられるばかりですが。振るわれる麦には?

    死を知覚できずとも。
    我々は振るわれるその瞬間まで、生を知覚し得るのだろうか。

    ああ、やだなあ。また考えちゃった。詩情を解さぬ無粋でごめんなさいっ!

    作者からの返信

    『大鎌』を読み直してみました。
    麦は、死にたくない、殺さないでくれと声をあげています。
    近づく死に恐怖を感じているのでしょうね。
    ですが、男が鎌をふるって麦(命)を刈らないと死ねない。死の予定時刻の先にあるものは生ではない。死ぬことも生きることもできない、ただの眠りの中。死を待つ人状態。
    大鎌は死神が置いていったものなのかもしれません。死神の代わりに男が命を刈り取っている。

    死を知覚できるのかできないのか。生を知覚できなくなったときが、死なのか。自らの死体を見ることは本当にできないのか。
    そもそも死は本当に存在しているのか。死は生から見たものであり、死から見るならば死の観念が違うかもしれない。
    死を知覚するには、命が途絶えるほんのわずかな瞬間を見逃してはいけないのかもしれません。命が消えるその刹那に、死とはなにか分かる。
    そう考えると、死に対面したくなりますね(笑)

    呪文堂さんに刺激を受けて、わたしも真面目に考えちゃいました( ꈍᴗꈍ)ウフフ♪


  • レイ・ブラッドベリ。かつてカクヨムで知り合った御方に薦められたものの未だ読めていない気になる本でした! 救いのない終わりかた。なのに心に言いようのない「何か」を残す。そんな作品が好きですので是非、拝読したいです(^.^)

    作者からの返信

    おりょりょ(*´ェ`*)ひいなさんの気になる本でしたか!レイ・ブラッドベリのご紹介は、この回だけで終わりにするつもりでしたが、ひいなさんにオススメしたい作品があるのです!『みずうみ』というエピソードをひいなさんに捧げます♡ひいなさんのために、書きます(*´▽`*)
    図書館にも置いてあると思うので、パラパラめくってみてください♪

  • 諦め感と自棄の境地なんでしょうか。
    メタファーは好きです。ちゃんと回収してあればなるほどと思えますね。

    作者からの返信

    この作品を紹介するにあたって、柊さんのモーパッサンをのぞきに行っちゃいました。軽快な語り口ですよね。モーパッサン先生は皮肉屋さんなのかなぁ?なんて思いました。そして柊さんのツッコミ!私、ツッコミできないのです。真似して合間に入れてみたいものです。
    そういえば、柊さんはコメント返信能力が高いですね。ひいにゃんとそわにゃんのコメント返信に驚きました!返信困るだろうなと思いながら、書きましたから(笑)私だったら適当に流すのに、ご丁寧にありがとうございます。すっかり調子に乗ってしまいましたので、続きますよ(*ノ▽ノ)

    おっと、ただのおしゃべりで終わるところだった!あぶない笑
    大鎌は、諦めと自棄の究極にある世界ですね。この作家さんの流暢な文体が好きです。

  •  衝撃的なお話ですね……読んだことは無いですが、うわあー。
     人の精神って、どこまで深く潜れるんでしょう? こんな世界まで入り込んだら、現実に戻るのも大変っていうか、現実も精神の捉えようのひとつとさえ思えてくるのかも。気の持ちようで世界は変わって見えたりとか。ひとつの感情を、複数の角度から見てみるのもありかもしれませんね? 見えたものをどう伝えるか。ブルブル。大きさは違えど、同じようなことを書き手とは行っているのかもしれませんね。その作品の世界を作るということ。そして、伝えること。深いわー。

    作者からの返信

    人の精神に深く潜ったら、気がおかしくなっちゃうかもしれません。見ないほうがいいこと、知らないほうがいいこと。あるような気がします。
    この物語の男は、おそらく一生を麦畑で終える気がします。それもまた彼の人生でしょう。
    気のもちようで世界は世界は変わって見えるって、まさしくそうですね。私は楽観的ですので、どうにかなる!!って思っちゃいます。でも人の気持ちはどうにもなりませんね。フフフ…( ̄▽ ̄)
    ひとつの感情を複数から見る。怒りや悲しみ、笑いも見る角度から違ってくるでしょうね。怒りの表現と圧倒されるものから、滑稽なものまで幅広いですもの。

    編集済