第4話 もはやそれ以上

詩人、黒田三郎さんが好きです。その中で一番好きな詩をご紹介します。



『もはやそれ以上』


もはやそれ以上何を失おうと

僕には失うものとてはなかったのだ

川に舞い落ちた一枚の木の葉のように

流れてゆくばかりであった


かつて僕は死の海をゆく船上で

ぼんやりと空を眺めていたことがある

熱帯の島で狂死した友人の枕辺に

じっと坐っていたことがある


今は今で

たとえ白いビルディングの窓から

インフレの町を見下ろしているにしても

そこにどんな違った運命があることか


運命は

屋上から身を投げる少女のように

僕の頭上に

落ちてきたのである


もんどりうって

死にもしないで

一体だれが僕を起こしてくれたのか


少女よ

そのとき

あなたがささやいたのだ


失うものを

私があなたに差し上げると



***



戦争で悲惨な敗走線を経験し、周りが餓死・狂死していく中、辛うじて生き延びた。けれども戦後、死の平和に心は取り残されたまま。自問する。

──なんのために、どうして生きているのか


けれど、ひとりの少女との出会いによって、彼は生に向かって歩き始める。


過去を消すこともやり直すこともできない。

失ったものを取り戻すこともできない。

けれど「失うもの」を手にすることはできる。


愛の喪失──。

愛に裏切られ、愛を失う可能性はある。

けれど愛から逃げるのは、離婚するのが嫌だから結婚しないというようなもの。

愛の対象がいるなら愛してみよう。たとえ愛が過ぎ去ろうとも、胸の中には愛した記憶がとどまっている。

愛を知らないよりも、愛の痛みを知るほうが愛の豊かさを味わえる。






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