転生令嬢の失恋パーティー

第1話

 自分がライトノベルの世界に転生していると気づいたのは、確か九歳の頃だっただろうか。

 それまでは前世の記憶というのも曖昧で、どこか別の世界で生きていた誰かの断片的な記憶、という認識であった。精神が子供にしては成熟しているということを除けばいたって普通の――と言っては語弊があるかもしれないが、他者から見れば年齢の割に賢い子供というだけの話だった。

 それが一転してライトノベルの悪役だという認識を持ったのは、公爵令嬢である私、アレクサンドラ・キャベンディッシュが王太子であるイーサン・メイルヴィンの婚約者候補にという王家からの打診があったからである。


 アレクサンドラ・キャベンディッシュ。ライトノベル「ラピスラズリの瞳」の主人公であるリリアーナ・オルコットと共に婚約者候補に選ばれた、当て馬である。アレクサンドラ有するキャベンディッシュ家は政財界の重鎮であり、王太子妃に相応しい土台があった。リリアーナさえいなければ、難なくアレクサンドラが王太子妃となっていただろう。しかし、オルコット子爵家に光魔法を持つリリアーナが生まれてしまった。光魔法の発現は非常に珍しく、この国を作った女神メルディナから与えられた加護であると考えられている。光魔法を身に宿すのは、平民だろうが貴族だろうが最上級の誉れと言っても過言ではないだろう。そのため、婚約者候補二人が発表されたその時から、社交界では光魔法を持つリリアーナが王太子妃になるのではないかと噂されていた。結局のところ、選ぶのはイーサンであるわけだが。

 しかしそれを納得できなかったのがアレクサンドラである。光魔法を持つとてリリアーナが家格で自分より劣っているのだから、当然私を選べとイーサンに詰め寄るもあえなく撃沈。気づけばリリアーナとイーサンがいい雰囲気になっているではないか。

 アレクサンドラはそれが気に入らず、リリアーナに嫌がらせの限りを尽くし、ついには犯罪に手を染めてしまった。それも結構ヤバいやつ。そして救いようがなかった彼女は断頭台に……。


 いやいやいやムリムリムリ!

 断頭台とかぜーーーーったいムリ! 結構でーーーす! 婚約者とか結構でーーーす! コッチは地味にチマチマ生きていきますんで!! 王太子妃とかドーゾドーゾ!!

 ……という心持ちである。とにかく、私はあのゲームのアレクサンドラそのものではない。野心家ではないし、結婚するなら都合良さそうなところでいいし、なんなら学園を通い終えたあとは家を出て世界を旅してまわってもいい。東へ行けば日本のような国もあると聞く。行ってみたいと思うのは、やはり郷愁だろうか。

 大体、私からアクションを起こさなければ断頭台へ登ることもないだろう。当て馬がいなければリリアーナとイーサンもさっさと身を固めてくれるだろうし、ならば私って実は結構自由の身なのではないか?

 私はそう考えることにした。ポジティブとは人間が楽に生きる上でかなり重要な要素である!!


 であれば、全ては私の好きなように。家には迷惑をかけてしまうだろうが、長兄も次兄も優秀でしっかり者だ。私一人が家に居なくとも、どうとでもなるだろう。ノブレス・オブリージュをそれなりに放棄するのは、申し訳ないとは思うけれど。前世でやりたかったこと、できなかったこと、やってみようと思うのだ。

 九歳を迎えてから私は変わった。世界を見てまわるのなら自分の身を守るすべが必要だ。そう悟ってからは剣術を学ぶようになった。そして考えた。多くの土地を見てまわるなら、たくさんの言語を知る必要がある。それだけじゃない。知識はあるだけいい。私は頭のつくりはいい方ではないけれど、たくさんの知識を得るには王妃教育はとてもよいものであった。淑女としては、見れたものではないだろうけれど。


 髪は巻かずに束ね、体を動かすためにドレスではなく動きやすい服装に。ただお洒落をするのは嫌いじゃないので、お化粧をしたり綺麗なリボンで髪を括ったり、タイやスラックスも洒落っ気のあるものを選んだ。そうしてある時鏡を眺めた私は気づいたのだ。


 ――私、めっちゃ美少年じゃね?


 もちろん胸はついているし、顔立ちも中性的ではあるが、背は高い方だし、適度に筋肉はついている。何より兄二人が美形なのだ。私だって美しいと言われることは少なくない。

 前世、私は女子校出身だった。そう、よく覚えている。各学年に一人は、王子様のようにカッコいい女子がいたものだ。


 ――私、王太子様よりワンチャン美少年じゃね?


 これはさすがに思い上がりすぎだった。考えを改めよう。

 しかしながら欲を出した私は、学園で儚い系の王子様ポジションに収まってみたいと思いつく。王太子の婚約者候補ということで学内で派閥が分かれ、面倒なことに巻き込まれないためにという打算もなくはない。しかしそれ以上に、チヤホヤされてみたいという気持ちが正直デカい。学園はデビュタントを迎える歳、十五歳からの入学になる。自分が美少年であると気づいたのは学園に入学する一年以上前であり、私が自分を更に磨くのには充分な時間があった。そして努力の積み重ねである。

 幸い、良いお手本は身近に二人もいる。日に日に美少年へと変貌を遂げる娘、妹に、父と兄達は複雑そうな面持ちをしていたものの、母だけは「あらあら」と微笑みをたたえていたので特に問題はない。正直な話、我が家でも王太子妃はリリアーナだろうという結論に至っているのだ。家には優秀な息子が二人もいるので、アレクサンドラは結婚までは好きになさいと言われている。


 本当に、家族には感謝しかない。

 そして私は、学園への入学を果たしたのであった。


 学園での生活は驚くほど充実していた。私の狙い通り、私は学園の王子様となった。正直ウハウハである。他人にチヤホヤされるというのは、こんなにも自尊心が満たされるものであっただろうか。儚くて美青年なアレックス様……そう言われ続け早三年。十八歳となった。入学当初は選ばれることのない公爵令嬢として腫れ物のような扱いを受けてきたわけだが、数日後には「王子アレックス様」となった。この国唯一の公爵令嬢なのでどこぞの貴族とは結婚をするだろうが、望んで男装をしている変わり者の令嬢を嫁に欲しいという輩ははてさているのであろうか。まあ恋愛結婚というわけじゃないのだから結婚自体は手堅いところとするだろうが、うまくいくかは別問題だろう。


 まあ、それは一旦置いておいて。

 実のところ、学園の王子様は私一人ではない。そう、お察しの通り物語のヒーロー、王太子様である。

 彼、イーサンは栗色の髪の毛にエメラルドの瞳を持つ美しい青年だ。しかし線が細すぎることはなく、スレンダーながらも筋肉のしっかりとついた肉体はもう女子好みドンピシャである。背も高い。物腰も柔らかで統率力がある。未来の王だ。


 しかし彼には一つ、難点があった。

 それが判明したのは去年の今頃、ちょうど立秋に差し掛かった時期である。


***


「チィッ! ドイツもコイツも「王太子様ァ〜」って擦り寄ってきやがって! 鬱陶しいんだよタコがよ!! フンに群がるハエかよ!! その理論でいくと俺がフンじゃねーかクソが!!!」


 罵声とともに何かを蹴り飛ばしたかのような音が廊下に響く。この辺はあまり使われていない資料室がいくつかあって、噂では「暴力的な落ちこぼれ生徒が屯っている」と言われているのであまり生徒達は近寄らない。かく言う私もこの辺を通ることはそこまでない。たまにファンに引っ付かれることに疲れた時にはこの廊下を通って一人になることはあったが、実際に噂を目の当たりにするのは初めてだった。

 というか今王太子がどうのこうのとか言ってなかった……?


 そろ、と声の聞こえた資料室の扉を開く。流れるようなノリツッコミに気を取られて内容をスルーしてしまったが、これってほぼ確実に……


「イーサン、あまり大きい声を出すと聞こえる」

「ア? 大丈夫だっつの誰も来ねーよこんな使いもしねえ資料室」


 来るんだなァ〜それが……

 あの物腰柔らかなイーサンの素顔がこんなんだったなんて、と驚きのあまり抱えていた教材を落としてしまう。

 そうなれば当然、盗み聞きが向こうにバレてしまう訳で。


「ア、アレクサンドラ嬢……」

「……アンタ、聞いたな……?」


 王太子付きの騎士であるオスカーの真っ青な顔と、イーサンの真っ黒な笑顔がとても印象的であった。


***


 そして現在。彼の本性を知ってからというもの、気づけばお互い素を曝け出せる相手となっていた。初めはイーサンと関わったことで物語の強制力とか働いて悪者にされたりするんじゃ、と危惧をしていたのだが、本当になんてことのない友達だった。元々婚約者候補ではあるしそれなりに顔を合わせてきたが、お互いの本性を見ても大して引かなかったことが大きいだろう。私が男装を始めた経緯を「チヤホヤされてカッコいいって言われたかったから」と伝えた時も、「すげー変わってんな」で済まされた。

 他にも、彼の口が悪くなった原因をオスカーに教えてもらったりもした。イーサンはどうやら幼い頃から性悪だったらしいが、口はここまで悪くなかったようだ。なら何故こんなふうになってしまったかというと、ガルダンドーラ帝国――たぶん前世でいうところのアラブとかその辺――の、皇太子が原因らしい。何度かこちらの国へ訪問に来た皇太子と仲が良くなるうちに、皇太子の口の悪さが移ってしまったのだとか。通りでチンピラくさいわけである。


 お互いの変わっている部分について特に言及したことはなかったのだが、なぜか最近になってイーサンは私の服装に文句をつけてくるようになった。


「お前、たまにはスラックスじゃなくて女子用の制服着てこいよ。一応俺の婚約者候補だろ」

「カッコいいイメージ崩したくないからヤダ」


 もはやイーサンの私物化とした資料室のソファーに腰掛け、本を読みながら却下する。毎日放課後の二時間、こうしてイーサンとオスカーと三人で過ごすのが習慣となった。迎えもお開きになる頃に来るよう伝えてあるので問題はない。

 イーサンは何度目かの同じやり取りに、眉間に皺を寄せている。


「なんでだよ、茶会とか開けばドレス着るだろ」

「そりゃあ着るけど。学園では王子様でいたいの。オスカー様は私のことカッコいいと思う?」

「カッコいいと思う」

「は〜〜〜? 俺はもう何年もドレス着たアレックスを見てねーんだぞ、たまにくらい見たいわ」


 イーサンの発言に、ここ何年かは彼にドレス姿を見せていないことを思い出す。もちろん私のこの格好はほぼ趣味のようなものだが、一応はヒーローヒロインに断罪される火種にならないようにという考えもあってのことだった。

 ただ、こうして彼と放課後の時間を共にするようになってからは、本来とは違う考えでドレスを身に纏う私を見て欲しくなかった。


「……ま、確かにこっちのがアレックスらしくはあるけどな。ドレス着た細っこい女はどう触れたらいいかわかんねーし」

「それは一理あるね。リリアーナ嬢は一般的な女性と比べても華奢だからちゃんと丁寧に接しなよ」

「はいはい。たぶんさ、いろんな奴がアレックスに対して話しかけやすいのも、そのカッコのおかげってのもあるよな。俺もこんだけ心許して話せるの、お前くらいだし」


 だって、私がこうして彼と関わっていられるのは、男性と女性ではなく肩を並べた友人でいるからこそなのだ。

 私がどれほどそうなりたいと願ったところで、イーサンとリリアーナが結ばれるのは運命で、定められたシナリオだ。それなら、ずっとずっと仲の良い友人でいたいと思ってもバチはあたらないだろう。それ以上など望まない。


 口は悪いし性格も良いとはいえない、でも優しいところもあって友達想いで。オスカーを本当に大切にしていて。ぐちぐち言いながらも国民を、国を一番に考えていて。きっといい王様になる。リリアーナもイーサンを支える良い王妃になるだろう。しょせんは当て馬として存在しているのだから、舞台袖で彼らのゆく先を見届けよう。

 中庭のベンチでイーサンが顔を真っ赤にさせて、リリアーナが愛らしく微笑みながら仲睦まじく語り合うのを見たその日から、ずっとずっと覚悟を固めてきたのだ。

 きっともう、ここまでくれば私が悪役令嬢になることはないだろう。それはとても喜ばしいことのはずなのに、どこかで縋ってみたかったという気持ちが頭をもたげる。もちろん、そんな意味のないことはしないけれど。


 今の今まで、失恋の痛みなんて理解できたことなかったよなァ〜とため息をつく。面白そうだからって軽率に関わるんじゃなかった。もっと距離を置くべきだった、と悔やんでも後の祭りだ。


 婚約者の正式な発表は、卒業パーティーで行われる。あと数ヶ月。数ヶ月などあっという間だ。

 目前に迫る失恋パーティーに、ため息を禁じ得なかった。


***


「お、驚くほど腹いてえ……!」


 来るな来るなと願う日ほど、お腹は痛くなるものだ。馬車の中でお腹を押さえる私に、長兄は「綺麗な言葉を使いなさい」と注意する。

 本来ならば婚約者にエスコートを頼むものだが、私とリリアーナに限っては例外だった。なぜならまだ「候補」であり、正式な婚約者ではないからだ。そのため、今日は長兄にエスコートをお願いした。一番余計なことを口走らなそうだったからである。

 やっぱり卒業したら次の婚約者が決まるまでは旅に出ようと思うの……という私の我儘を承諾してくれた家族には感謝だ。つまり婚約者決めは全て家族に投げうったわけだが、怒らず否定せず「いいよ」と全部受け入れてくれた。もしかしたら、家族も家族なりに察しているところはあるのかもしれない。


 会場へ入ると、テーブルの上には幾つもの食材が乗っている。学園のシェフが腕によりをかけているのだろう。これで食べ納めだと思うと寂しくなる。気づけば兄は元級友達とお喋りをしていた。

 「今日のアレックス様はとてもお美しいです」というご令嬢達に「ありがとう、あなた達もとても綺麗だ」と王子様然として(格好はどう見てもお姫様だけど)答えれば、黄色い声が鳴り響く。あ、この格好でもアリなんだ……と見当違いなことを考えているうちに、今回の卒業パーティーの目玉である婚約者発表の時間が訪れた。

 そういえばまだ、イーサンを見ていなかったな。会場の真ん中に現れたイーサンは、今までの彼とは違ってどこか覚悟を背負ったような表情を浮かべている。


「アレックス嬢」

「あれ、オスカー様。イーサンのところじゃないの」

「今日は殿下には父がついている。俺の卒業パーティーでもあるから、楽しんでこいと」

「なるほどね。騎士団長殿に感謝しなくてはね、最後のパーティーを友と過ごせるのはありがたいよ。それよりも、オスカー様がイーサンを殿下と呼ぶのは久しぶりに聞いたな」

「正式な場だからな。――殿下はもう腹を決めてらっしゃる」


 だろうね、と自分でも驚くくらい小さな返事をする。腹を決めたっていうか、最初から分かりきっていた話だ。今更何を言ったところで何も変わらないのだから、この想いさえ知られずにいたかった。思わず、地面を眺める。


「アレクサンドラ・キャベンディッシュ」

「……はい?」


 突如名前を呼ばれて、素っ頓狂な声で返事をしながら前を向くと会場中の視線が私に向けられていた。えっなに? 私なんかした? とりわけ兄の私を見る目がこれでもかと言わんばかりに見開かれている。


「だから、俺の婚約者はアレックス、お前だよ」


 会場の真ん中から、つかつかと私の方へ歩み寄ったイーサンは、だらりと垂れ下がっている私の手を握った。……婚約者? なんで、当て馬が? 悪役令嬢が?? 何かの、冗談だろうか。粗野な口調も横暴な態度も曝け出してまで。周りの貴族たちがあんぐりと口を開けているというのに。

 イーサンがそのことを気にする素振りは見せなかった。ただただ、優しい目で私を見つめている。


「久しぶりに見たな、お前のドレス姿」

「……え? なんで、リリアーナ嬢を選ぶのでは……」

「なんでお前はいつもリリアーナを引き合いに出すんだよ。俺いっつも言ってたよな、お前には心許せるって」

「それはリリアーナ嬢だって同じでしょう。だって、二人きりで話していたじゃない」

「あら、わたくしは殿下の恋愛相談を受けていたのですよ、アレクサンドラ様」


 静まり返る群衆の中、鈴を転がすような笑い声をあげたのは、リリアーナだった。


「リリアーナ嬢?」

「ドレス姿が見たいのに着てくれないし、学園でもずっとスラックスだから男として見られていないようで嫌だ。どれだけ信頼してるって伝えても、俺の婚約者候補だって強調しても靡いてくれやしない……ふふ、可愛らしい文句ばかりでしたわ」

「や、やめろ! 言うな!」


 声を張り上げたイーサンの顔は、いつか見た時のように首筋まで真っ赤に染まっている。これはつまり、つまり。


「イーサンは、私のことが好きなの?」

「……おう」

「……だから選んでくれたの?」

「……そうだっつってんだろ。お前はどうなんだよ、俺と来てくれるのか」

「っ、当然! 私もイーサンのこと、ずっと前から好き!」


 途端、会場中に悲鳴が渦巻いた。いっぱいいっぱいだった私の耳に、令嬢達の雄叫びのような言葉が聞こえてくる。


「すれ違いからのハッピーエンド、サイコーッ!!」


 元気だな……。イーサンの猫被りついては言及しないのか……。

 これってもしかしたらはたから見ると恋愛小説みたいな展開なんじゃ、と脳が変な方向に思考を傾けた時、グイッと顎を持ち上げられてキスをされる。唇が離された時、体の芯から滲み出た熱が顔に集中して、まるで皮膚の下を暴れ回っているようだった。


「これからもよろしくな、アレックス」


 本当に、心から幸せそうな笑顔を浮かべたイーサンに、私も心からの笑顔で応えた。

 私は悪役令嬢で、当て馬で。それでもここは最初から現実だったのだ。シナリオに囚われる必要はないと知ったから、これからは彼との時間を心置きなく楽しむとしよう。

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転生令嬢の失恋パーティー @ako1029

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