2.レッテルと恩人

 あれから数カ月の時が経った。


 どこから漏れたのか、僕の基本能力オールGステータスの話は王都中に広まり一躍有名人となった。

 外に出れば待ちゆく人に奇異の目で見られ、後ろ指をさされている様で気が気じゃない。

 Gランクのステータスの影響で、鍛えた身体も今となっては虚弱なものとなってしまった。

 冒険者は勿論、碌な仕事にも付くことが出来ず僕は今家に引きこもっている。


 唯一の家族である姉も僕のことを心配して、「何もせず家にいていい」と言ってくれてはいるものの、ただの平民が二人分の生活費を稼ぐのは簡単じゃない。

 酒場と道具屋の仕事を掛け持ちして日々働いているが、その身体に溜まる疲れは日に日に増している。


「僕が何をしたっていうんだ……」


 唇をかみしめ、窓を閉じて光を遮った暗い室内で顔を枕にうずめた。


 何かのツケが回ってきたとかそういうことじゃない。

 ただただ、運が悪かっただけ。

 

 それだけで僕の人生は絶望の淵へと追いやられた。


 このまま生きていても良いことはない。

 それどころか、姉に迷惑をかけるばかりだ。

 負の感情が頭にこびりついて離れない。


 それならいっそのこと。


 気づけば僕はベッドから立ち上がり、衝動的に身支度を始めていた。


 どうせ死ぬなら,一度だけでも。


 腰に剣を下げ、顔が見えないように外套をかぶる。

 虚弱化したこの身体には、剣の一本すらとてつもない重さに感じる。

 そして姉に対して置手紙を書いて、僕は家の扉を開けた。

 久しぶりの外。

 目を焼くような光に思わず瞼を細める。

 いつの間にか冬は過ぎ、枯れていた木にも蕾が付き始めていた。

 自分が停滞している今この瞬間もシルドやユノは成長している。


 まあ僕に至っては呪いがあるせいで成長したくてもできないんだけど。


 僕はすっかり衰えてしまった足を踏み出し、王都の正門へと向かった。



 王都の正門を出て東へと向かうこと数十分。

 石畳で舗装されていた道が、だんだん小石交じりの土の道へと姿を変える頃やっとそれが目に入る。

 道から少しそれると林があり、さらにその中を進むと一帯に森が広がり始めた。


「着いた……」 


 王都からそう離れていない森林地帯。

 通称ダーヴィーの森。


 この森には薬草や野草、キノコなど自然物が豊富でそれに伴い野生動物や魔物も生息する。

 魔物といっても危険度は比較的低く、下手すればただの一般人でも太刀打ちできるほどの魔物も生息している。

 その為この森は素材集めは勿論のこと、冒険者の卵たちが最初に訓練を積む場所としても有名だ。

 だが、それはあくまでも基本能力ステータスが存在する冒険者が前提の話で、一般人以下の身体能力になり果てたカイでは話が変わってくる。


 どれだけ弱くても魔物は魔物。

 危険度はあくまでも低いだけで、冒険者でも舐めてかかれば痛い目を見る。

 ましてや今の状態のカイでは死ぬ可能性も十分にあるのだ。


「……よし」


 しかしカイは覚悟を決めた表情で森に足を踏み入れた。

 もちろん自分が死ぬ可能性は頭に入れている。

 ただ、そのデメリットより冒険者への捨てきれない憧れの方が強かった。


 時刻は正午を過ぎた所だろうか、木々や葉に日光が遮られてはいるが森の中は若干薄暗いだけで視界は十分に確保できる。

 鳥のさえずる声が耳を鳴らし、植物の香りが鼻に触れる。

 

 やはり話に聞くだけあって、森の中は穏やかだ。

 

 カイは草木をかき分け森の奥へと足を踏み入れる。

 油断しているわけではないが、好奇心と楽しさが彼の頭を支配していた。


 『ブフウッ』


 突如聞こえたその音で、カイは一気に冷静さを取り戻す。

 咄嗟に身をかがめ、辺りを見渡すとその声の主はすぐに見つかった。


「あれは、ビッグボア……」


 カイの目線の先で、涎を撒き散らしキノコを貪っているのは一頭の猪。

 ただ普通の猪とは違い、その体毛は青く体格は一回り以上大きい。

 太く鋭く伸びた二本の牙に刺されればひとたまりもないはずだ。

 ビッグボア。

 ダーヴィーの森に生息する中でも危険度が高い方で、毎年ビッグボアによる怪我人が続出している。

 成りたての冒険者たちが数人がかりでやっと倒せる魔物。

 当然カイが敵うわけもない。


 カイは跳ねる心臓を押さえつけ、息を殺して身を潜める。

 幸いビッグボアはまだカイに気づいてはない様子だが、もし気づかれれば接触は避けられない。

 そうなるとカイが無事に生き延びることが出来る可能性は限りなく低くなるだろう。


 いくら死を覚悟してこの森に足を踏み入れたとはいえ、死の恐怖は簡単に克服できるものではない。


 カイはただただビッグボアがこの場から去ってくれることを願った。


 しかし、現実とは残酷なもの。

 何故かビックボアは突如食事を止めると、勢いよくカイの隠れる方向へ身体を向けた。


「まずい……!」


 カイの視線かはたまた野生の勘か。

 何に気づいたのか定かではないが、ビッグボアは他の冒険者たちと例外なくカイを敵と認識したようだった。


『フゴォ!!』


 荒々しい息を吐き鋭い眼光でカイを睨みつけたまま、ビッグボアは落ち葉を撒き散らして突進を繰り出した。


「ぐっ!?」


 ビッグボアの一挙一動を視認出来ていたのが功を奏したのか、カイは身を投げ出すようにして横に飛び、何とか直撃を避ける。

 まさに猪突猛進。

 ビッグボアはひたすら真直ぐ突き進み、そのまま木の幹に衝突した。

 木が大きな音を立てて倒れる。

 根元からへし折られた木の幹がビッグボアの突進の威力を物語っていた。


『フゴオォ……』


 しかし当のビッグボアは全くの無傷で、受け身が取れずに蹲るカイにまたその鋭い牙を向ける。


「くそっ……!!」


 カイは中腰で剣を構えるが、今のカイではそのまま吹き飛ばされる結末が目に見えてわかる。

 しかし、このままビッグボアから逃げ切ることも不可能だった。


 怒り狂った表情で二度目の突進を繰り出すビッグボア。


 絶体絶命に思えたその時。 


『プギィ!!?』


 突如、甲高いビッグボアが悲鳴を上げその体躯をよろめかせた。


 気づけばビッグボアの身体に矢が一本、深々と突き刺さっていた。

 ビッグボアは不意打ちに混乱している様子で、悲鳴に近い鳴き声を上げて暴れまわる。


 矢の一本程度ではあの体にはさほど通用しないのか、ダメージを喰らっているというよりかは、更に怒りに火がついたようだ。


「ちょっとどいてな!!」


 野太い声と共に、カイの視界に人影が割って入る。

 大剣を両手で構えたガタイの良い男。


 男はビックボアに向けて大剣を振りかざすと、一振りでその身体を両断した。


『ゴッ!??』


 胴体を二つに切り分けられてしまったビッグボアは短い鳴き声を断末魔にして、その命を終えた。

 

 ビッグボアの死体から噴き出た血液が離れていたカイの服にも付着する。

 あまりの一瞬の出来事に、カイはただ茫然と腰を抜かしていた。


「おい坊主、大丈夫か?」


 大剣を持った男が尻もちをつくカイに手を伸ばす。


「は、はい。なんとか」


 我に返ったカイはその手を取り何とか立ち上がった。


「おーい、怪我はないかい?」


 少し離れた場所から弓を持った青年と、軽装に身を包んだ少女が駆け寄ってくる。

 この青年が先程ビッグボアに矢を放った人物なのだろう。


「あ、ありがとうございます。助かりました……!」


「いや無事なら何よりだ」


 弓の青年は笑って見せた。


「それより、見たところ君一人の様だが……。パーティーメンバーとはぐれてしまったのか?」


 大剣の男が辺りを見渡す。


「いえ……実は一人でして」


 カイはバツが悪そうにそう答えた。


「一人? まあこの森なら一人で来る冒険者は珍しくないが……君は見たところそれに見合ってないような気がするがね」


「す、すみません……」


 ビッグボアに殺されかけるような状態だ。見合っていないどころの話ではない。

 図星をつかれたカイは小さくなって、男たちに頭を下げた。


「まあ、命あって何よりだ。君は最近冒険者になったばかりかい?」


「いや、まあ……」


 勿論カイは冒険者ではない。

 だが冒険者じゃない人間が装備に身を包んでこんなところで何をしているのかと尋ねられれば、それはそれで答えに困るのでカイは笑ってごまかした。


「実は俺たちもこいつの訓練に来ていたところでね」


 そう言って大剣の男は少女の背中を叩いた。

 いつもこんな調子なのだろう、少女は男を軽く睨みつけるとそのわき腹を殴りつける。


「おいサレナ、実の親を殴るなよ……」


「ははっ!! そんな拳じゃ俺は倒せんぞ?」


「……うるさい!」


 パーティーメンバーにしてはいささか距離感の近い三人。

 そんなカイの視線に大剣の男が気付く。


「ん? ああ、実は俺たち三人は家族でな。こいつは長男のゲオ」


「よろしく」


 弓の男もといゲオがさわやかな笑顔でカイに握手を求める。


「よ、よろしくおねがいします」


「そしてこいつが数カ月前に冒険者になったばっかりの次女サレナだ」


「……」


 人見知りなのか、兄のゲオと違ってサレナは無言で軽く会釈するだけ。


「そして俺が二人の偉大な父親で、四級冒険者のゴーンだ!」


 満面の笑みで胸を張る大剣の男、ゴーン。

 それを見てサレナは呆れるようにため息をついた。


「四級冒険者……!? すごい……!」


 思わずカイの口から声が漏れてしまう。

 ただ四級冒険者とはそれに値する地位だった。


 ギルドに登録した冒険者には階級が与えられる。

 階級は8~1級まで存在し、数字が小さいほどその実力の高さが認められている証となる。


 最初は8級から始まり、任務の達成数や偉業によって上の階級が与えられるのだが、中でも四級以上は中級冒険者と呼ばれ第一線で戦う実力者ばかりだ。


 その中の一人がこのダーヴィーの森にいるとはカイも思わなかった。


「そうだろ? 俺はなかなか凄いんだ」


「……調子に乗るな」


 高らかに笑うゴーンとそれに突っ込みを入れるセレナ。そして苦笑いを浮かべて首を横に振るゲオ。

 やや騒がしくもしっかりと心は繋がれている、彼らの中にある家族という深い絆がカイの目にはっきりと見えた。


 カイは自分の唯一の家族を思い浮かべる。

 そして自分の行動の浅はかさを知った。


「で、君はこれからどうする? なんだったら娘のついでだ。俺たちと一緒に訓練しないか?」


 ゴーンのその申し出はありがたいが、自分の力では迷惑をかけるどころの騒ぎではない。


「あ、いや……」


 そう思ったカイが断ろうとしたその時、サレナが言葉に割って入った。


「……さっきから思ってだけど」


 サレナがカイの顔を覗き込み、まじまじと観察する。

 そして、カイが一番気づかれたくなかったことを口にした。


「もしかしてその赤髪。あんたもしかしてあのカイ・ラクラス?」

 

 びくりと身体が跳ねる。

 サレナは無言のカイの反応を見て、その推測を確信へと変えた。


「やっぱり……」


「どうした? 知り合いか?」


 ゴーンはカイの名前を聞いても理解していないようだったが、ゲオは知っていたらしく、ゴーンに小声で軽く説明をした。


「……数カ月前に話題になったじゃないですかあの基本能力最低ステータスオールGの少年。あれが彼ですよ」


「ん!? あのGランクの少年か!!」


 ゲオの小声の配慮も空しく、ゴーンは大声でそう叫んだ。


 ダラダラと冷や汗がカイの体中から流れ出る。

 カイは何も言えずにその場に立ち尽くしていた。

 街で受けたあの目線と陰口の数々がカイにすっかり恐怖心を植え付けていたのだ。


 しかし、ゴーン達の反応は意外にもカイにとって嫌悪や侮蔑を示したものではなかった。


「それは大変だ。では一刻も早くこの森から出なさい! 俺達が出口まで案内してあげよう!」


 そういうと、ゴーンは来た道を戻るように大きな一歩を踏み出して歩いていく。


「えっ……」


 呆気にとられるカイにゲオが微笑みかけながら肩を叩いた。


「父さんは大雑把でデリカシーの欠片もない人ですが、同時に人を馬鹿にしたり差別したりしない、誇れる父親なんです」


 そう言ってゲオも弓を背負ってゴーンの後を追う。


「……なんでこんなとこに一人でいるのかは知らないけど、命があっての物種よ」


 サレナが立ち尽くすカイの背中を押した。


「は、はい!」


 カイは久しぶりに感じる人の温かさに涙を浮かべて、ゴーンたちの後を追った。



「もうそろそろで森から抜けれるはずだ。カイ君、休憩はしなくて大丈夫か?」


 先頭を行くゴーンが後方のカイにそう声をかける。


「は、はい!」


 カイはそう勢いよく返事したものの、実際のところビッグボアとの戦闘もあり虚弱なその身体にはかなりの負荷がかかっていた。


 だが、これ以上迷惑はかけられないとやせ我慢をして着いていく。


「……それにしてもあなたも災難ね。聞いた話じゃそのGランクだけじゃなくて『呪い』も持ってるらしいじゃない」


 最後尾を歩くサレナが同情するような表情を浮かべた。


「俺たちは父さんがアレだからいいけど。冒険者の大半は呪い持ちに対して良い印象を持っていないからね。中にはあからさまな対応をしてくる奴もいるし」


「まあそうやって人を見下す奴はいつまで経っても上に上がれん。そんな考えの内は俺みたいな大物にはなれんぞ!」


「……大物ぶるのはせめて3級に上がってからにしなさいよ」


 サレナのその台詞を笑い飛ばすゴーン。


 基本能力解放ステータスリリースをしてからというもの、奇異の目や冷たい対応は数えきれないほど受けてきたカイだったが、ここまで温かく接してくれたのは姉であるティアを除けば、ゴーン達だけといっても過言ではなかった。

 カイは三人に対する感謝の気持ちでいっぱいになりながら森の出口へと足を進める。

それと同時に、ゴーン達にはあらためて感謝を伝えなければ。そして勝手に家を出て行った謝罪を姉にしなければと、カイは自らの行動を反省した。


「よし、そろそろ出口だぞ」


 ようやくダーヴィーの森の出口付近に差し掛かろうとしたその時。


 突如としてその絶望は襲い掛かってきた。


 ズン。

 ズン。

 地響きが鳴り響く。

 

 そして。


『グオオオオォオオ!!!!!』


 ダーヴィーの森一帯を震えさせる咆哮。


 そして大木を薙ぎ倒して現れたその巨大な影は、大柄なゴーンを軽々宙へ吹き飛ばした。

 ゴーンの身体はその衝撃に耐えきれず血の雨を降らしながら、地面へ墜落する。

 そこにあったのはゴーンではなく、ゴーンだった肉塊。


「父さんっ!!?」


 ゲオが叫び、目の前の惨劇にセレナは吐瀉物を撒き散らす。

 カイは一瞬で起きた状況に理解が追い付かなかった。


 三人の視線の先に立ち塞がるのは、一つの巨大な影。

 優に5mを越えたその体躯に赤い体毛で覆われた身体。

 二本の手から伸びた鋭い爪は鮮血で濡れていた。


「まさか……」


 ゲオは目の前の怪物に見覚えがあるようだった。


「赤い殺人熊ブラッド・デッド・ベア……!!」


 ゲオが絞り出したその言葉にカイは聞き覚えがあった。


 レッドベアという赤い体毛の熊の魔物が存在する。

 主に森林地帯に生息し、その地域の食物連鎖の頂点として君臨する。

 しかし、そんな凶暴な熊の魔物も冒険者にかかればそこまでの脅威ではなく、中級冒険者なら一人でも容易に相手に出来る程度だ。


 しかし、このレッドベアは違う。

 通常大きくても3m程度のレッドベアを大きく上回る体格に、圧倒的な強さと凶暴性。多くの冒険者を殺害し付いた異名は『血の殺人熊ブラッド・デッド・ベア』。


 あまりの被害の大きさから数年前上級冒険者たちによる討伐作戦が行われるのだが、結果は失敗。

 重傷は負わせたものの、討伐隊の冒険者から5名の死亡者、10名の重軽傷者を出してしまった。


 その後一切の目撃情報を無くしていたため、深手を負った血の殺人熊ブラッド・デッド・ベアはどこかで死んだと思われていた。


 しかし、奴はまだ生きていたのだ。


「……逃げろ。ここは俺が時間を稼ぐ……!!」


 ゲオが弓に矢をつがえその弦を引き絞る。

 その表情は恐怖に歪んでいた。


「……でも兄さん、父さんが」


 虚ろな目でサレナがゲオの肩を掴む。

 それをゲオは乱暴に振りほどくと、今までの彼からは想像できない大声を上げた。


「父さんは奴に殺された!! ここで全員無駄死にしてどうする!? お前らは早く逃げろ!!!」


 ただそれでもサレナは正気に戻っておらずただ狼狽えるばかりだった。


「い、行こう!!」


 自分では到底太刀打ちできるはずもない。

 だったらやることは一つだけ、サレナをここから連れて逃げ出す。

 

 カイは、自分自身混乱しながらもサレナの手を引きその場から走り出した。

 サレナは呆然としたまま力なくカイに引っ張られる。


「……ありがとう。どうか妹を頼む……」


 すれ違いざまにゲオはそう呟くと、限界まで引き絞った弓を放った。



「ハァ、ハァ……!」


 息が切れるのが速い。

 それもそうだ。なんてたってGランクなんだから。肺活量も普通の人間よりはるかに劣っている。

 

 ただ、レッドベアから距離を離すことは出来た。

 それも全て殿になってくれたゲオさんのおかげだ。

 だからこそ僕はこの人を、守り通さなきゃいけない。


 最初は僕に手を引かれていたサレナさんも途中からは少し冷静さを取り戻し、自分で走り出した。


「……父さん、兄さん」


 その目には大粒の涙が浮かんでいる。


 かける言葉は何も見つからなかった。

 今できるのはひたすら出口に向かって走ることだけ。

 虚弱な体に鞭をうち、必死に足を進める。


 もうすぐ出口だ。


 木々の数が減り、入ってきた時と同じ景色が視界に広がる。

 

 僕は安堵した。


 それがさらなる絶望を掻き立てるとも気づかずに。


『ヴオオオオオオ!!』


 背筋が凍り付き、咄嗟に足を止めてしまった。

 圧倒的強者に対する本能か。それはサレナさんも同じようだった。


 振り返るとそこには、あのレッドベアが凶悪な笑みにも見える表情を浮かべて立ち尽くしていた。

 そしてその右手には左腕が欠損した血みどろのゲオさんがぶら下がっている。

 

 しかしまだ微かにゲオさんの息はあるようだった。

 いや、わざと生かしているのだろう。

 このレッドベアからはそんな残虐性に満ちた考えが読み取れた。


「兄さん……」


 サレナさんがその場にへたり込む。

 彼女の精神はすでに崩壊寸前だった。


「まずい!!」


 咄嗟に彼女を引っ張る。

 しかし、奴の方が圧倒的に早かった。


『グオオ!!!』


 レッドベアから伸ばされた爪が、サレナさんの服に引っ掛かる。

 そしてそのまま彼女は力任せに振り払われ、後方へ吹き飛んだ。


「がっ!!??」


 裂傷は避けられたが、彼女の身体は地面へ勢いよく衝突しそのダメージで身動きすら取れないようだった。


『ブオォ……』


 レッドベアは俺には大した興味を抱いていないようで、まだ意識のあるサレナさんの下へゆっくりと、そして恐怖心を植え付けるように歩いて行った。


「まっ……ぐっ!?」


 待て。

 そう叫ぼうとした瞬間、首元に衝撃が走る。


 服の襟に喉を絞められ、そのまま後方へと強く引っ張られた。

 

 そして半ば投げ飛ばされるように近くに生えていた大木の後ろへ引きずり込まれる。


「ゲホっ!? いったい……」


 一体何が。


「静かに。早くここから逃げるわよ」


 僕の言葉を遮る女性の声。

 その声に聞き覚えはない。


 目の前にいたのは杖を持ち、ローブに身を包んだ女性だった。


 フードの奥から見える銀色の瞳が、僕を刺すように見つめている。


 これが彼女との出会いの始まりだった。



 



  







  

 

 

 


 




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最弱、故にカンスト @DON_H

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ