36 グラップラー サイネリア姫~その➈
「かわいそうなサイネリア姫……。あなたに話があるのです」
その聞き覚えのある声――女の声は言葉を続けた。
それは自分を生贄にすれば、この私が住む国に繁栄がもたらされるというも話だった。
「それで……この地獄は終わるのですか……?」
私は声の主に訊ねた。
この国が豊かになれば、王である父も王妃である母も私に苦痛を与えなくなるのかと。
すると、声の主はクスクスと笑いながら返事をしてくる。
「それは私にもわからない。ですが、あなたの状況は確実に変わるでしょう」
そういった声の主は、私が頼んでもいないのに生贄についてのことを話し始めた。
生贄は魔女へと捧げられ、そしてその供物として呪われる。
生贄にされた姫が呪いの影響に耐えられれば、魔女さえも恐れる異能が手に入る。
逆に耐えられなければ身体から鮮やかな花を咲かせ、眠ったままの状態になる。
そして、どちらにしても捧げられた姫は呪われ、数年後に死ぬ。
――と、声の主は嬉しそうに説明をした。
私は口から息を吸い込むと、しばらくの間考えた。
国が豊かになれば他国へ媚びへつらう必要がなくなり、父も私に酷いことはしなくなるかもしれない。
そうなれば母だって、もう私を苛めることはなくなる。
たとえ呪われようが数年後に死のうが、虐待から解放されるのならそれで構わない。
「お願いします! 私を生贄として捧げてください! 私を父と母から解放してください!」
「では、早速そうさせてもらいます」
そして、私の頭の中に聞こえていた声は消えていった。
その後――。
水責めの罰から解放された私は、酷い熱を出して数日間寝込むことになった。
私ははっきりとしない意識の中で、あのとき水の中で聞いたことが幻聴だったのではないかと思っていた。
そうだ。
誰だってあれほど苦しい目に遭えば、そんな嘘みたいな言葉も聞こえてくる。
そう思っていた。
だが、私が回復した頃――。
この国は近隣の国を支配下に置くほどの強国へと変わっていた。
以前のような他国に媚びへつらうことが嘘のように、反対に父へ取り入ろうとやってくる使者たちで溢れていた。
あのときの――水責めのときに聞いた声は本物だったのだ。
これで私の地獄も終わる。
もう憂さ晴らしに酷いことをされずに済む。
そう思っていたのだけど――。
「やっと目が覚めたのかサイネリア。まったくだらしがない奴だ。たかが水に浸けられていただけで寝込むなど、それでも王族か? 恥を知れ!」
父は国が豊かになっても変わらなかった。
当然母も同じで、その日からまた私への教育という名の虐待が始まった。
再び地獄が始まり、いつもトレーニングで身に付ける重たい甲冑を着て城壁を登り降りしながら思う。
この国の弱さや貧しさは関係なかった。
父は何をしようが何が変わろうが、私へ酷いことを続ける。
それを“お前のため”という言葉で、さも親の務めを果たしているかのように、私へ呪いをかけるのだ。
すべてを理解した私は、城壁から降りると身に付けていた甲冑を脱いだ。
汗まみれで湿った甲冑を次々に脱ぎ捨てる。
そして、手だけに装着された甲冑を見て笑みを浮かべる。
「あらイヤだわ。乾いちゃってる」
なぜか腕に付いていた手甲は乾いていた。
このままではまた父に怒られる。
汗をかいていないからサボっていたのだと叩かれる。
そして、またあの罰――水責めを受けさせられる。
そう思うと、早くこの手甲をびしょびしょに濡らさないといけない。
それから私は、近くにいた兵士の顔面を思いっきり殴りつけた。
鉄仮面で守られているその顔の上からでも十分に潰すことができた。
そして、兵士の血で手甲は血で濡れた。
私はそれを眺めて喜ぶ。
「サイネリア姫!? これはいったい何事ですか!?」
大きな音が鳴ったせいか、他の兵士が集まってきていた。
みんな私がおかしくなって、この顔が潰れている兵士を殺したと思っている。
違う、違うわ。
乾いていちゃダメなのよ。
そう教えられたの。
私はクスッと笑みを浮かべて兵士たちを見た。
「それよりもね。あなたたちは知っていた? この国がどうしてこんな強国になったのかをさ~」
私は、自分が魔女への生贄になったおかげで、この国が豊かになったことを話した。
どうやら兵士たちもその話は知っていたようで、みんな青ざめた表情で俯いている。
兵士たちから臭ってくる。
罪悪感から自分を否定し始めているのを感じる。
「ねえ、それを聞いてどう思ったのか教えてよ」
私がそういったときから、兵士は身体が固まり、自分で喋ることすらできなくなっていた。
自分たちに何が起きたのかわからないまま、ただ動かずに冷や汗を流している。
兵士たちの姿を見て私は理解した。
これがあの声がいっていた力――。
呪われた影響で手に入る、魔女さえも恐れる異能だと。
「それじゃ答えられないよね。……よし、じゃあ王と王妃のところへ案内してよ」
その後にそういうと、兵士たちは驚愕の表情のまま私を王の間へと連れて行ってくれた。
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