35 グラップラー サイネリア姫~その⑧
――私が生まれた国はとても貧しく、王であった父は近隣の国に媚びへつらうことで、なんとか生き残っているような国だった。
入れ替わりでやって来る他国に使者に、父は下げたくもない頭を下げて毎日苛立ちを募らせている。
そのはけ口となったのが私だった。
表向きは民にも優しい王であったためか、父が唯一不満をぶつけられる相手は私しかいなかった。
食事はろくに与えられず、しつけだの教育だのといって、よく父の格闘の稽古につき合わされた。
それは稽古とは名ばかりの一方的な暴力。
父は、まだ小さい私を鍛えるためといって、その溜まっていた憂さを我が子である私で晴らしていた。
稽古だけで済めばよかったけど。
普段から身体を鍛えるようにと、無茶な筋肉トレーニングを課せられた。
王妃だった母は父と一緒になって私を苛め抜いた。
母の担当は私の勉学。
これもまた無茶なやり方で学ばされた。
一日の内に数冊の本を書写するように言われ、その内容を覚えないと鞭で叩かれる。
毎月試験のようなものがあり、先月よりも出来が悪いと真っ暗な地下牢へ入れられる。
ようするに成長していないと――。
できることが増えていないと――。
私は罰を受けさせられていた。
それは、けして私の将来を考えてのことではなく――。
母が父の機嫌を取るため――自分の身を案じてのことだった。
父の意見に反対すると自分のほうへ矛先が向く――。
母はそれだけは避けたかったと思う。
本当はどうなのかはわからないけど、私にはそうとしか思えなかった。
そんな日々が続いても、城にいる者たちや住民たちは誰も私を助けなかった。
同情すらしなかった。
実際にそこまで苛烈なしつけをされているとは、誰も知らなかったというのもあったのだけど。
王である父は、外面だけは良い人間だったから教育熱心だくらいにしか思われなかった。
なんにしても右も左もわからなかった幼い私には、これが当たり前の生活。
なんの疑問も持たずに、ただ日々与えられる苦痛を享受することが人生だった。
それから数年が経ち、さすがの私も自分の現状がおかしなことに気が付き始めていた。
それは、ただ書き写していた本や、父に言われて腕の立つ女格闘家と稽古したときからだった。
どの本にも、父と母ならば誰もが自分の子に無償の愛を注ぐと書かれていた。
自分の血を分けて生まれてきた子に酷いことをするはずがないと、私は知ったのだが、どうも自分の体験とは違う。
そして一度だけ稽古をした腕の立つ格闘家が言っていたこと――。
「サイネリア姫には武術の才がおありだ。近い将来に必ずやその名が知れ渡ることでしょう」
その女は、私には素晴らしい才能があると言った。
彼女はさらに私のことを、容姿端麗でまるで神が生み出した彫刻のような肉体美だと称賛していた。
私はこのときに初めて他人に褒められた。
ろくな食事も取っていないため、やせ細った体と乾ききった肌。
手入れもされていない伸びっぱなしの髪や、ボロボロの衣服をまとっている私を見て、なぜ彼女そんなことを言ったのかはわからなかったけど。
それでも私は嬉しかった。
そして、これが本来父や母が私へ注ぐべき愛情なのだということを理解した。
私はその女格闘家のいってくれた言葉だけを頼りに、自分のいる地獄を受け入れた。
なにも変わらない苦痛だけの日々の中で、また女格闘家のような人と出会う日までは頑張ろうと。
この国にいる人間は誰も私を愛してくれないけれど。
あの人だけは私を愛してくれたと。
でも、その女格闘家と会話をした私に、父は厳しく当たってきた。
あの女はなにもわかっていない。
たかが一度話した程度の人間に、お前のなにがわかるというのだ。
お前はダメな人間だ。
だからこそ私はお前をこうやってしつけてやっているのだ。
すべてはお前を立派な人物にするためだ。
――と、私が浮かれていたように見えた父は、その少しの甘えも許してはくれなかった。
その罰として、三日三晩の間、縄に縛られた状態で水に浸けられた。
当然食事もなく、唯一の発散方法だった身体を動かすこともできず、ただ水面から息を吸うだけの数日間で私は気が狂いそうになった。
こんなのはもう嫌だ。
どうして私だけがこんな目に遭わないといけないんだ。
私はこのときに初めて神を呪った。
いくら言うことを聞いても父も母も優しくはしてくれない。
ただ、何気なくいってくれた褒め言葉にすがることすら許してはくれない。
ああ、神よ。
何故私は生まれてきたのですか?
こんな目に遭うのなら生まれてこなければよかった。
「私はあなたを恨みます! この命が尽きるまでずっと……ずっと!」
私は叫んでいた。
水から口だけしか出ていないので、周りに誰がいるのかここがどこなのかはわからなかったけど、そんなことはどうでもよかった。
身動きができない分を口で発散してやろうと叫び続けたのだ。
「サイネリア姫。やはりあなたは素晴らしい……」
すると、どこから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
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