第二章 少しずつ歩み寄る君との恋

 すっかり日課になっているマティアスへの手紙は、一日も欠かしたことがない。

 エミーリア自身も不思議になるくらいに、書く内容は尽きないのだ。庭の鳥の巣のこと、その日エミーリアが体験したこと。

 今日はティータイムで食べたレモンパイについて書かなければ。ほどよく甘くてさっぱりしてとても美味おいしかった。

(陛下の好みではないかもしれないけれど)

 何回か会ううちに、エミーリアはすっかりマティアスが大の甘党であることをいていた。いつも砂糖をひとつも入れずに紅茶を飲んでいるけれど、きっと甘いミルクティーだって平気な顔で飲むにちがいない。

「くしゅっ」

「あら、おじようさまだいじようですか? 風邪かぜでしょうか……」

「大丈夫よ、風邪なんてひいていられないわ。だって明日あしたはまた陛下にお会いできる日だもの!」

 週に一度、エミーリアが堂々とマティアスに会える日なのだ。

 そんな大事な日の前日に風邪なんてひいていられるものか。

 しかしその夜エミーリアは見事に熱を出してしまった。

 ちかごろよりいっそう気合いを入れてレッスンや社交の予定をめ込んで、ほかの時間は勉強ばかりしていたからつかれもあったのかもしれない。

「しっかり休めば熱は下がるとお医者様も言っていましたから、安静にしましょうね」

 ベッドに押し込まれたエミーリアはていこうした。

「まって、ハンナ。今日の分の手紙をまだ書いてないの……!」

てくださいってば! どうしてもとおっしゃるなら便びんせんとペンを持ってきますから!」

「そんな! 陛下におわたしする手紙なのよ!? こんなだらしない格好で書けるわけがないじゃない!」

 ベッドの上で手紙を書くなんてぎようが悪い。夜着にえてしまったことはともかく、かみはぼさぼさだ。これでは手紙に書く内容だってうまくまとまらない。

 エミーリアとしては最低限でも身なりを整えた上で、マティアスへの手紙を書きたい。

「手紙からは書いたときの相手の格好なんて伝わりませんよ!」

 どうしても手紙を書きたいのならベッドの上で! というハンナのけんまくにエミーリアは「うう」とくちもる。

 結局エミーリアが折れてベッドの上でペンをにぎったものの、熱でくらくらとしている頭ではろくな文章も書けず、エミーリアは力尽きるようにねむってしまったのだった。


   ◆◆◆◆◆


 コンコン、というノックの音とともに「失礼します」と文官がやってくる。

 思わず顔を上げて、マティアスは文官と目が合った。たんに、文官は困ったように固まる。

「どうした」

「え、いえ……こちらが提出された報告書です」

「ああ、そこに置いておけ」

 マティアスは再び、かくにんしていた書類に目線を戻す。文官は指示したとおりのところに報告書を置くと、静かに退室した。

「なぁ。もしかして、なんか待っている?」

 部屋のすみひかえていたヘンリックが、マティアスを見ながら問いかけてきた。

「……いや、別に」

「だっておまえ、だんは報告書届けられてもいちいち顔を上げたりしないじゃん。さっきから誰か来るたびに顔上げているけど。おかげで来た人たちが困った顔しているよ」

 ヘンリックのてきに、ああなるほど、彼らの反応はそういうことかとマティアスはなつとくした。

「あ、そういえばこうれいの手紙が今日はまだ届いてないか」

 にやにやと笑うヘンリックに、マティアスは無表情で「そうだったか」と答える。その顔があまりに無表情すぎてかえって気にしていることがバレバレになっていることには気づいていない。

「いつもならとっくに届いている頃だもんな? 今日はおそいなぁ」

 エミーリアからの手紙はだいたい夕刻には届く。そのためマティアスは日が暮れてから最初にとるきゆうけい時間でそれを読むのが日課になっていた。しかし今日はすでにその時間を過ぎて、日はとっぷり暮れている。

「……そういうこともあるだろう」

 むしろ、今まで毎日欠かすことなく手紙が届いていたことのほうがおどろきなのだ。エミーリアもそんなにひまなわけではないだろうに。

 それは裏を返せば、それだけいそがしいなかでも欠かさず送られてきた手紙が途絶えたということになる。何かあったのだろうか、と思うのはごくごくつうの心理だろう。

 ふと、マティアスは温室での出来事を思い出した。

 自分と温室の花を重ねているエミーリアは、きゆうくつそうな印象を受けた。

 温室の花というよりも、とりかごの小鳥だ。外の世界で自由に飛ぶことができずに鳥籠の中で空にがれている。

 会話をしているうちにエミーリアがふわりとしたがおになり、ほっとあんしたことを覚えている。

 ありがとうございますと笑う姿はマティアスののうに焼き付いていて、今でもエミーリアを思い出すとあのだまりのような笑顔がかぶ。

 ──手紙を書けないほどの何かがあったのだろうか。

 そう思うと、なぜか落ち着かなくなる。

「気になるならこうしやく家に使いを出すけど?」

「……必要ない。どうせ明日には顔を合わせる」

 明日はエミーリアとの約束が入っている。あと半日もすれば顔を合わせるのだから、手紙が届かない程度でさわぎ立てるのも鹿馬鹿しい。

「けっこう気になっているみたいだからさ?」

 にやにやと笑うヘンリックに、マティアスはいらちをつのらせた。

 気にはなる。それはもちろん、当然だろう。

 だがそれまでだ。気になったところで、今すぐに行動する理由はマティアスにはまだない。


   ◆◆◆◆◆


 お父様は、みつのような金の髪。お母様は、さらさらとれいな白銀の髪。

 お父様に似たお兄様は金の髪、お母様に似たお姉様は白銀の髪。

 きらきら、きらきら。それはとてもうつくしく、宝石のようにかがやいている。

 ならわたくしは?

 ……わたくしの髪は?

「エミーリアはひいお祖母ばあ様に似たのね。やさしい色の髪だわ」

 お母様はいつもそう言ってめてくださる。

可愛かわいいエミーリア、お人形さんみたいに大きくて丸い瞳ね」

 お姉様はいつもそう言ってでてくださる。

 でもお姉様の髪は綺麗な白銀の髪で、いつもきらきらとしていて、わたくしはうれしいのと同時にさみしくもなる。どうしてまいなのにこんなにも違うの、と。

 だってわたくしは知っていた。家族以外のだれもがわたくしのことを見るとがっかりするってことを。

 シュタルク公爵家の次女は、期待したほど美人ではない、と。幼い頃からそう思われていることに気づいていたし、社交界にデビューしてもそれははっきりとはだで感じた。

 だからわたくしは努力した。

 容姿はどうにもならなくても、せめて中身だけは公爵家に相応ふさわしいむすめであろうと。努力のあって、一人前のしゆくじよとして認められた。

 けれどときどき、くつな思いは胸の底から浮かび上がってくる。

 ねぇ、わたくしが綺麗だったら、物語にあるみたいに陛下もわたくしを一目で好きになってくださったかしら?


「君の髪は、やさしいミルクティー色をしている」


 声がしてわたくしはり返った。

 金の髪の少年が、庭園の中に立っていた。年頃はちょうど今のわたくしと同じくらい。

「わたくし、あなたにそう言っていただけてから、ミルクティーがすごく好きになりました」

 それまでもきらいではなかったけれど、特別な飲み物になった。大好きなミルクティーと同じ色の自分の髪も、好きになれた。

 話しかけたところで少年は答えない。

 夢なのだとわかっていた。気持ちがしずんでどうしようもないとき、よくこの夢を見る。

 こんなに地味なうすちやかみでもいいんだと教えてくれた少年に、いつだって救いを求めていた。何度も何度も、あのときわたくしを救ってくださった言葉を言ってほしくて。

 ……けれどそうよね。

 あなたはこの髪を褒めてくださったけど、ミルクティー色の髪が好きだとは言っていなかったものね。


 ──ふ、とエミーリアが目を開けるとやわらかな朝日が飛び込んでくる。

(……ゆめ)

 夢の中でこれは夢だとわかっていても、目を覚まして現実を認識すると、ああ夢を見ていたのだと思う。

 ごろは前向きに明るくと心がけているエミーリアも、いつもそうしていられるわけではない。落ち込むことも不安になることもある。

 温室に行ったあの日から、少しはマティアスに近づけた気がしていたけれど、その後は特に進展がない。結局エミーリアは「れんあいけつこんがしたいんです」とマティアスに宣言をしただけで、目標であるこいびとにはなれていないのだ。

 婚約期間はおよそ一年。結婚式が近づけば近づくほどエミーリアもマティアスも忙しくなるし、このままでは結婚式までにマティアスと恋人同士になれるかどうかあやしい。

 ふぅ、とため息をこぼしてベッドの上で立てたひざに額をこすりつける。不安はいつまでもかかえていてはいけない。動けなくなってしまう。

 深く息をき出して、気持ちを切りえるようにエミーリアは顔を上げた。

 ちょうどしんしつのドアが開いて、ハンナが顔を出す。

「あら。おはようございます、おじようさま。もう起きていらっしゃったんですね」

「おはよう、ハンナ」

 ベッドのはしこしけて、エミーリアはいつもと変わらぬ笑顔で朝のあいさつをする。

「体調はどうですか? 顔色よくなりましたね」

「もう平気そうよ。熱も下がったみたいだわ」

 心配しようなハンナに半ば強制的にベッドに押し込まれたおかげで、熱っぽさはまったくない。しっかりすいみんをとったのがよかったのだろう。

「それでも今日はお城へ行くまではゆっくり休んでいてください。もしかしたらタチの悪い風邪かぜかもしれませんから」

「でも……」

「本当は今日お会いするのはえんりよしたほうがいいんですよ? 陛下に風邪をうつしたら大変ですもの」

 じとりとハンナににらまれてエミーリアはあわてた。

「か、風邪じゃないから! ちょっと体調をくずしただけでもう元気だから!」

 せっかくマティアスに会える貴重な時間なのに、自己管理ができていなかったなんて理由でキャンセルにしたくない。

 必死でもうだいじようだとアピールするエミーリアに、ハンナは姉のように微笑ほほえみかける。

「そうですね、もう平気そうですけど、出かけるまでは念のためまだ安静にしていましょうね」

「……はい」

 マティアスのことを引き合いに出されると弱い。エミーリアは大人しくハンナに従うことにした。

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わたくし、恋愛結婚がしたいんです。 カタブツ陛下の攻略法 青柳 朔/角川ビーンズ文庫 @beans

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