エピローグ

第8話 メリーさんは帰り道を知っている?

 真っ当な愛を受けたことのない人は、真っ当に人を愛せない。それは、昔ご主人と見たテレビに出演していた、心理学者か言っていた言葉。

 それが真実なら、ご主人が私を真っ当に愛せなかったのは、過ちではなく必然なのだろう。

 その結果として、私は生き地獄を生かされている。他ならぬご主人の手によって。


 ご主人が私に何を望んでいるのか、何を望んでいたのか……私はそれを知った。

 一般的に、主人が人形に望む関係とは友達だろう。でも、私のご主人は、私に愛を求めていた。

 自分の感情を無視して、自分のエゴを時には言葉で、時には暴力で押し付けてくる両親からの気紛れで貰った人形。それが私。

 きっと普通じゃないんだろう。だけど、私は親からの数少ない正常な愛情だったから、ご主人は人形である私に親の愛を求めた。

 最初は私に親を求めていた。この世の理不尽から、たとえ不完全だとしても、可能な限りで護ってくれる、親からの庇護を。

 私と完全に引き離されていた数年の間に、その願いは大きく歪んでしまった。人形に親を求めている時点で、取り返しがつかないほど歪なのに。

 お人形の騎士様。ご主人を護る為なら殺人も厭わない、無敵の騎士。

 ご主人は私に、私の意思を無視して、お人形の騎士様であることを強要した。

 それは彼女が、自身の両親からされてきたのと同じように。それしか、思いやりの手段を知らないかのように。

 

 影の少女と一度だけ会ったことがある。彼女は私に呪力を授けたシルエットの少女とは違う存在だった。

 シルエットの少女に、どこかご主人の面影があったのは、その認識を広めた中心がご主人だったから。そして、ご主人は呪いという物を影の少女が生み出すモノと捉えていたから、呪力を授ける存在が影と見紛う少女の像を姿をしていた。それが影の少女の考察だった。

 そんなこと、その後に交わした、ご主人と影の少女との会話に比べれば、些細なことだった。



「魔法少女? の力で、その人形を浄化したのを見届けたら、私は消えるよ」

 認識が具現化した泡がいくつも浮かぶ、真っ暗な空間の中で、ご主人と影の少女が最後の会話をしているのを、のたうち回りながら眺める。

 今にもご主人に喰らいついてしまいそうで、それを必死に抑え込んでも無意味に思えて。もう刹那という一瞬でさえ、耐えられないこの衝動。

 早くこの苦しみから解放されたくて、おかしくなりそう。だけど、私の望みが叶わないことを知っているから、期待なんて持てない。

「早く解放してあげないと可愛そうだよ」

「……この呪いを浄化したらさ、お人形の騎士様は人を殺せなくなるんだよね」

「電話を通じて、動きを封じ、殺す。それは殺人衝動と一体だから、まとめてなくなる。でも、もう邪魔なものはこの世界にないんだから、浄化しても良い頃でしょ」

「そんなことないよ。わたしは護って欲しいの。お人形の騎士様に未来永劫。だから……この呪いは浄化しないよ」

 わかっていたことだ。ご主人が私の呪いを打ち消すつもりがないことは。もしそのつもりがあるのなら、再会してすぐに行っている。

 私の呪いを消したら、ご主人は誰にも護ってもらえなくなる。だから、呪いを浄化したくない。

 それは、自分たちを脅かす存在を自分で殺し、手を汚すのが嫌だからなんて、偽善者ぶった気持ちの悪い理由じゃない。

 ご主人は本当にただ、私に護ってほしいだけ。今だって、私の渇きを癒す為に、家に無実の人間をご主人が連れ込んで、捌いて、食事を用意してくれている。

 魔法少女の力を使って、私たちの幸せな生活の為だけに人を殺す。

 魔法少女の力があれば、警察相手くらいなら余裕で勝てる。そんなの現実的に考えたら、ほとんど無敵。護られる必要なんてどこにもないほど、いまのご主人は強い。

 だけど、ご主人は護ってくれる人が欲しかった。護られる必要のあるなしなんて関係なくて、無条件で自分を守ろうとしてくれる相手が欲しかった。

 ご主人のその気持ちは痛いほどわかる。ご主人と過ごした過去の思い出や、私が押入れに入れられていた時期に受けた悲惨な扱い。

 本来なら親が担ってくれたはずなのに、それが存在しないから、私に求めている。

 その思いを満たしたくて、満たして欲しくて、過剰としか言えない暴力を用いてでも自分のことを護ってくれるような、過剰な庇護を求めている。

 ご主人のことを本当に愛しているから、叶うのならこの力を使ってご主人を護ってあげたい。

 だけど、日に日に飢餓感は強くなり、それに比例して呪力も増大していく一方で、護るどころか、気を抜いたら手にかけてしまいそうで。

 ご主人を護る力が、いつご主人に牙を剥くか自分でもわからない。最初は無理だと思っていたけど、この堪え難い苦痛だけなら、ご主人を安心させてあげられる喜びで耐えられたかもしれない。だけど、ご主人を手にかける自分だけは、許容出来ない。

 そのことを伝えても、「あなたに殺されるのなら構わないよ」と優しく微笑むだけで、まともに取り合ってくれない。本当にそう思っているのはわかるけど、私はそれが耐えられない。

 この呪力を残して欲しい思いと、消し去って欲しい思い。

 私に残された希望は……この二律背反から逃れる唯一の道は、影の少女がご主人を説得してくれることだけだ。

「何を言ってるの。このまま放っておいたら、貴女までこの人形に喰われることになるのよ」

「……よく考えてみて? それって、そんなに悪い結末でもないでしょ? 今はこうして、別々の体で触れ合うのが幸せだけど、いつかそれだけじゃ満足出来なくなるかもしれない」

 ご主人が何を言っているのか、影の少女は理解出来ていない。

 彼女はきっとまともだ。ご主人と私の幸せを願ってくれている。ご主人に恩返しをする為なら、誰がどれだけ犠牲になっても構わないという、盲目さを除けばすごくまとも。

 だからこそご主人の思考についていけていない。安心のためなら、幸せのためならどれだけの苦痛でも背負いこむ破滅的な覚悟なんて……持って欲しくなかった。

「お人形の騎士様に護ってもらうのに、体が別れてたら不安になるかもしれない。今は違うけど……そうなったら、お腹の中で一つになりたい時がくるかも……なんにしても、暴力がないと安心出来ないよ」

「人を助けて後悔したくないって、確かに言ったよね。所詮貴女は私の善意で、願いを叶えてもらった立場なの。だから最初の条件は守ってもらうよ」

 あえてこんな言い方をしたらご主人が折れるとでも影の少女は思っているのだろうか。いや、思ってはいないだろう。

 自分の思いを強い言葉に乗せれば、届くかもしれないと、僅かな希望に賭けている。それは真っ当な思い遣りで、こんな恩着せがましいことを本当は思っていなくて……そのことをご主人は理解しているし、影の少女に感謝している。

 だけど遅すぎた。もう少し早く彼女に出会っていれば、ご主人は両親を殺さずに済んだかもしれない。私とも喋れる魔法のお人形なんて少女的な関係でいられたかもしれない。

「ちゃんと守るよ。この子を喋れるようにしてくれて、本当に感謝してるから」

 ご主人が苦しみに喘いでいる私の口元に、血液を垂らしてくれる。

 現実世界ではとてもこれだけでは満たされない。だけど、なぜか、この世界でくれた血液はとても、私の渇きを満たしてくれた。

「……貴女が今、何をしたのかわかっているの」

「その焦り方……やっぱりこれってイケナイことなんだ。ただの予想だったんだけど、ここにいる私たちの姿って、魂の具現化でしょ?」

 ご主人の考察に沈黙という形で、影の少女は答えている。

 さっきご主人は、自分の魂をくれたということなのだろうか。だとしたら、血よりもご主人の死を求めて止まない渇きが少しは満たされるのは、当然なことのように思える。

「魂を分けてあげたら、この子も喜んでくれると思ったんだ」

「呆れた。こんなこと続けてたら、長くないよ」

「長生きして欲しいの? 興味ないよ、そんなこと」

 魂の欠片を戴いて、ほんの少し渇きは癒えた……だけど、こんなんじゃ、全然足りない。

 全部欲しい。ご主人の全部を喰べないと、満たされないのに……

「……そう。わかった。これが貴女の理想なんだと、納得しておいてあげる……今の所は。ずっと見ているから。何かあったら止めに来る」

「その必要はないと思うよ」

 最後の希望が折れてしまった。ご主人の狂気的な熱意に押されて。

 影の少女は諦観したかのような暗い表情を浮かべて、私たち二人をこの空間から追い出した。

 この決断にどこかで安心する自分と、絶望する自分がいる。どちらにしても、ご主人の理想も、私の理想も叶わないのだから。

 この決断はせめてもの優しさだったのだろう。魂を切り分けて与えるなんて、危険なことをさせないように。

 そんなことをしても、今度はご主人のお肉を喰べるだけなのに。どちらが致命的なのかは、私にはわからないけど。

 


 影の少女との対話から、どれだけの時間が過ぎたのだろう。最近は、ご主人を求める衝動が、魂を焼いていて時間がもうわからない。時計を見ても針がグルグルと回転するばかりで、なんにもわからない。

「はい、今日のご飯だよ」

 ご主人が、釘で手の甲を貫いて、そこから溢れる血液をたくさん私にくれる。

 昔の私だったら、これよりもっと少ない量でもある程度満たされていた。だけどいまでは文字通り火に油で、満たしきれない飢えをより強く感じさせる作用しかなかった。

「他にもたくさんあるからね」

 部屋中にうず高く積み上げられた、食欲を満たせなくなって久しい死体の山。あの人たちには悪いけど、喰べても一切の味すら感じられなくて、死臭を漂わせる生ゴミでしかなかった。

「ご主人……私……もう……」

「……わかった。わたしも、あなたが苦しむところもう見たくないから」

 ついに私の苦しみが伝わったのか、ご主人が念願の物をくれた。

 それはたったいま切断されたばかりの、新鮮なご主人の左手の小指。

 私の待ち望んだ、ご主人のお肉……家畜のお肉みたいに食べるのに邪魔になる物が一切取り除かれていない、純度百パーセントのご主人の指。

 きめ細やかな皮膚、綺麗に切り揃えられた爪、若くて頑丈な骨……本来喰べるのには邪魔でしかない、硬いだけの部位が、なんだかとんでもなく美味しくて……そんな風に感じる自分が嫌だった。


 ご主人に抱きかかえながら、小さな指を貪り喰らいながら、側でご主人を肌で感じているからわかる。

 もうこの衝動は抑えられない。か細い理性だけで、喉元に喰らい付くのを押さえつけるので精一杯。というより、それも最近は時々出来ていなかった。

 ご主人を襲って、魔法の釘で撃退され、少しだけ正気に戻る。だけど、ご主人は私を抑えるのに段々と苦戦するようになってきている。

 ご主人の安定した力ごときでは、日に日に強大になっていく飢餓感と、それに伴う呪力の増大についていけていない。

 今はご主人の切れ端で満足出来ているけど、それも長くは続かないだろう。そもそも、ご主人の体はそんなに大きくはないから、すぐに喰べられる部位がなくなっちゃう。

 どっちが先かなんてわからない。私の呪力が愛するご主人を上回り、ただ誰かに護って欲しかっただけの女の子を喰べているのが先か。それとも、自分の肉体を差し出せなくなったご主人が、私を浄化する決断を下すのが先か……きっとそんな結末はなくて、喰べられることを選ぶのだろう。

 そうなったら、私は独りでこの世界に取り残されることになる。大切なご主人の肉を喰べてまで得た命だから、申し訳なくて自死も選べない。

 そんな未来を想像して、どうしようもない未来に失望する。


 ただ一つ確かなこと……私はそう遠くない未来、ご主人を喰べている……最悪の後悔と、最高の悦びに溺死しそうになりながら。

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メリーさんは帰り道を知っている 神薙 羅滅 @kannagirametsu

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