第5話 スイートデイズ

「ホットミルクだ。暖まるぞ」

 うなだれる青年の前に、マスターが小さなマグを差し出した。シュ―アイスに使ったミルクの残りは程よく暖められ、ほっとするような優しい香りで青年を迎える。

 青年は、ちらりと視線をやっただけで、手を付けようとしなかったが。

「……同情ならやめてくれ。余計に惨めになるだけだ」

「ちっ、頑固なガキだぜ!」

 当て擦るようにユーインが呟く。

 聞こえていないはずはないのだが、青年はどこ吹く風だ。ただ、自分の殻に籠るようにして、硬く結んだ拳を見つめている。丸まった背中には、あらゆる言葉を拒絶する頑なな気配があった。

「……なぁ。あんたは、未来の人間なんだろ」

 こんな時、口火を切るのはいつもアルドだった。これまで、沢山の人を助けて来た。善意と言うよりは、辛そうな人を見ると、自分の事のように苦しくなり、放っておけないのである。

「そもそも、どうやってこの時代にやってきたんだ。さっきは、死ぬ思いをしてとか言ってたけど。事情があるなら、聞かせてくれないか?」

 優し過ぎず、かといって、責める様子もない。マスターの差し出したホットミルクのように、丁度いい暖かさの言葉だった。

「…………あぁ。どうせ僕は惨めな負け犬さ。大人しく、勝者の靴を舐めるよ」

 青年は、別人のような卑屈さで言うのだった。

「知っての通り、僕はこの時代より未来の人間だ。エルジオンという都市に住んでいて、パティシエになる為に料理学校に通っていた。自慢するわけじゃないけど、僕は本当に天才と言われていたんだ。卒業後は、きっとラヴィアンローズに就職するだろうって期待されてね。僕もそのつもりだった。エルジオンのパティシエにとって、ラヴィアンローズで働く事は夢だからね。やっと、僕の実力を世間に示せる。そう思って、試験を受けたよ。結果は酷い物さ。沢山いる候補生の中で、実力は間違いなく僕が一番だったのに! 人間性に難ありとか言って、僕は落とされたんだ。デザート作りに人間性なんか関係ないのにさ! あいつらは、僕の実力に嫉妬して落したんだ! 天才って奴はいつの時代も不遇だからね。僕は、そんな腐った世の中に絶望したんだ。このまま生きていても、良い事なんか一つもない。そう思って、エアポートから身を投げた。一匹の猫が、憐れむように僕を見送っていたよ。その時、青い光が僕を包んだんだ」

「時空の穴か!」

 アルドが言った。

「さぁね。とにかく、気づいたらこの時代にいて、薔薇色の人生亭という店がある事を知ったよ。僕はすぐに気づいたね。この店が、ラヴィアンローズの元になったんだって。神様は、僕にチャンスをくれたんだ! 間違いを正し、腐った世界に復讐するチャンスを! それなのに、僕はしくじった……お終いだよ……結局僕は負け犬なんだ……」

 青年の話を聞いて、ユーインは鼻で笑った。

「なるほどな。道理でてめぇのデザートからは虚しい味がするわけだぜ」

 反論する程度の力は、青年にもまだ残っていた。

「聞き捨てならないね! もう一度勝負すれば、勝つのは僕の方だ! 絶対に!」

 それだけが、彼のよりどころだった。絶対的なデザート作りの腕。本当に、それだけだった。

「かもな」

 ユーインはあっさりとそれを認めた。

「けど、その度におやじは立ち上がり、お前を負かすぜ。それこそ、絶対にな。そして、お前はその内おやじに勝てなくなる。なぜかわかるか?」

「知るもんか!」

 青年は、はなからユーインの言葉など聞く気もない様子だ。素人の戯言だと思っているのだろう。それは、ユーインも感じていた。だからこそ、伝えなければいけない言葉がある。

「てめぇのデザートには愛がねぇからだ! あるのはただ、醜い自己愛だけ! 確かに、てめぇの作るデザートは美味かった。けど、そんなのは最初だけだ。客の事を見もしないで、自分の事ばかり見てるてめぇの新作なんざ、すぐに飽きられちまうだろうよ! こんな勝負しなくたって、遅かれ早かれてめぇはおやじに負けてたんだ。新作を作ってる時のおやじの顔を見た今なら、そう言い切れる」

「……言いたい事はそれで終わり?」

「……こいつ、まるで反省してねぇ」

 徒労感に、ユーインが頭を振る。

「そんな必要はないからね。どのみち僕は、二度とデザートを作れない身だ。反省する必要なんかないだろ」

 自虐的な言葉に、ユーインは眉を寄せた。

「はぁ? お前、なに言ってんだ?」

「おじさんこそ、僕とマスターの会話を聞いてなかったのかい」

 ユーインは肩をすくめると、マスターを振り返った。

「おいおやじ。あんた、そんな約束してたっけ?」

「いや? しとらんな。俺はただ、前の約束を取り消しにして貰うと言っただけだ」

「聞いての通りだ。仕事柄、約束事には厳しいんでな。間違いはないぜ」

 してやったりと、ユーインが告げる。

 何かが始まっている事に気づき、アルドは口を告ぐんだ。

 今は、この抜け目ない敏腕ネゴシエーターを信じる他ない。

「同じ事さ。あれだけの恥をかかされたら、僕の居場所なんかどこにもない。もう、こんな世界で生きていくのは疲れたよ。君達に解放されたら、迷惑のかからない死に場所を探すつもりさ」

「てめぇ……いい加減に!」

 さすがに呆れ返り、ユーインが拳骨を握った。

 槌のように固い拳が振り下ろされる前に、ティラミスの掌が若者の頬を弾く。

「大馬鹿者が!」

「竜の嬢ちゃん!?」

 先を越されて、ユーインが驚いた。

「こんな勝負に負けたくらいで、軽々しく死を口にするでない! それは、命に対する冒涜であるぞ!」

 青年は腫れた頬を抑えて、ティラミスを睨み返した。

「くっ……お前みたいな小娘に何がわかる!」

「おぬしよりはわかっておるわ! 何故ならわれは、本当であれば既に二度、死んでおる身だからな。一度目は幼子の頃。二度目は、つい最近の事だ!」

 ティラミスの契約した天界の竜を巡る召竜士同士の争いだ。実際、あの時は危なかった。ティラミスと天界の竜の絆がなければ、確実に死んでいた事だろう。

「自慢じゃないが、俺もそうだぜ。厄介な呪いにかかって、身体中がボロボロになって死にかけた。まったく、いま思い返してもキツイ体験だったぜ! はっはっは!」

 他愛無い武勇伝のようにユーインが笑い飛ばす。

(わたくしも同じですわ……)

 内心で、シュゼットは呟いた。強化人間として生み出され、危うく戦闘用の人格に乗っ取られかけた。けれど、その話は内緒である。時を超える優しき騎士を心配させぬために。

「だ、だからどうしたっていうんだよ! そんなの、自慢になんかならないからな!」

 言いながらも、青年は明らかに動揺していた。

 これ以上は、アルドも我慢できなかった。

 伝えたい言葉が、溢れるように口から零れる。

「わからないか? みんな、あんたに生きて欲しいと思ってるんだよ」

「意味が分からないね! だって、僕は赤の他人じゃないか! それどころか、君達の大事な友人の店を潰そうとして、未来まで変えようとした悪人なんだぞ!」

「うるせぇな。終わった事をいつまでもぎゃーぎゃー騒ぐんじゃねぇよ」

 鬱陶しそうに耳をほじりながら、ユーインは言う。

「大体てめぇ、幾つだよ。そんな若いなりして、死んじまうなんて勿体ねぇぞ? なんせ、生きてりゃ楽しい事が沢山あるんだからよ!」

「そうですわ! 楽しい映画に、可愛いお洋服、それと勿論、美味しいスイーツ!」

「うむ! まだまだこの世の中には、食べた事のないお菓子が沢山あると知った! 全てを味合わねば、もったいなくて死に切れぬわ!」

「ちがいねぇ!」

 と、甘党達が一斉に笑う。

「くっ、能天気な連中め……」

 呟く青年に、ユーインは言うのだった。

「まぁ、そう言われちまうと言い返せねぇが。それによう、勿体ねぇじゃねぇか。お前さん、性格は最低だが、デザートの腕は悪くないんだぜ? いや、認めたくないが、腕だけは天才的だ! しかもその若さじゃねぇか。このまま頑張れば、きっととんでもねぇデザートを生み出すに違いねぇ! そんな逸材をみすみす見殺しにしちまうなんて、そんな勿体ねぇ事出来るかよ!」

「そうですわ! なにも、ラヴィアンローズだけがスイーツショップというわけではありませんし。あなたはあなたで、あなただけのスイーツを生みだしたらいいじゃありませんか!」

「流石はシュゼット! 魔界より堕ちたる精霊の生まれ変わりである闇のプリンセスよ! 素晴らしき名案に、盟友として鼻が高いぞ!」

 二人の乙女がきゃっきゃと笑う。

「な、なに勝手な事言ってるんだお前たちは!? 僕は、敵なんだぞ!?」

「いや、勝手に敵にされても困るんだが。俺はただ、馴染みの店のおやじにデザート作りを続けて欲しいだけだしな。この調子なら、そっちの方は問題なさそうだ」

「わたくしも、ラヴィアンローズのスイーツを皆さんにご馳走したいだけですわ。酒場のおじ様が復活されたなら、きっと未来も元通りになっている筈です」

「われは美味しいデザートが食べられればなんでもよい。その中には勿論、おぬしの新作も含まれておることを忘れるでないぞ」

 口々に言う三人に、青年はぽかんと口を開いた。

「……呆れた。……お前たちは、本当に馬鹿なのか?」

「いいや」

「わたくし達は」

「通りすがりのただの甘党である」

 決まったとばかりに、甘党達が笑い合う。

「そういう事だ。俺達と出会ったのだって、きっと何かの縁じゃないか。今度こそ、もう一度やり直そう。あんなたら、きっと立派なパティシエになれるさ!」

 アルドが言った。心からそう思っていた。沢山の悪人を見て来た。沢山の困った人を救ってきた。青年は、悪人ではない。ただ少し、不器用だっただけ。ただ少し、転んでしまっただけなのだ。いくらだってやり直せる。何べんだって、立ち上がれるはずだ。

「そうだとも! お前さんはこんなに若いんだから! こんなくたびれたおやじですら出来た事が出来ないはずないじゃないか!」

 マスターが励ました。まるで、息子を励ますような調子だ。

 呆気に取られる青年の、けれどよく見れば、意外に純な瞳から、ぽろり、ぽろりと澄んだ雫が零れ堕ちた。

 遅れて気づくと、青年は顔を隠した。

「う、ぐっす……お前らは……馬鹿だ! ……どいつもこいつも大馬鹿だ! ……けど、一番の馬鹿は、僕の方じゃないか……」

 堪えきれず、青年は子供のように泣き出した。

 学校を出たての彼は、おやじ達にとっては、子供も同じだ。

「へ! やっとわかったか!」

 やれやれとユーインが言う。

「……あぁ。試験に落ちて意地になっていたけど、こんな僕にも優しくしてくれる人がいるんだ。ここで頑張らなくちゃ、僕は本当に最低の人間になってしまうよ」

 涙と共に、彼の心を頑なにしていたモノも流れ落ちたらしい。

 青年は、憑き物が落ちたように晴れやかな顔をしていた。

「マスターさん。ごめんなさい。これまでの無礼の数々、心から謝罪します。本当の事を言えば、あなたのデザートは素晴らしかった。何百年も昔の人なのに、こんなに美味しいデザートが作れるなんて。僕は、あなたの実力と人望に嫉妬していたんです」

 青年は深々と頭を下げた。

 ならば、この話はそれで終わりだ。

「はっはっは! 未来の人にそこまで言われたら光栄だよ! あんたのお陰で、こんなおやじでも成長できた。礼を言いたいのはこっちの方さ」

 マスターが青年の手を握る。そこには、時代を超えた職人同士の絆があった。

「素晴らしいおじ様ですわね」

 レースのハンカチで目元を拭い、シュゼットは言う。

「うむ。本当に立派であるな。われも、召竜士として見習いたいものだ」

 褒め称える少女達に、もうひとりのおやじが言うのだった。

「おいおい、素敵なおじ様なら、ここにも一人いるだろう?」

 斜め四十五度の角度から、髭をなでなで、ユーインが告げる。

「はぁ~」

 と、二人の娘は同時に深い溜息を吐いた。

「そういう所がなければのう」

「ユーインおじ様も素敵なのですけど……」

「そりゃないぜ~!」

 道化のようにユーインが叫ぶと、乙女も親父も青年も、誰もかれもが噴出した。

「さぁ、未来に帰ろう。送っていくよ」

 生まれ変わった青年に、アルドが手を差し出す。

「はい。でも、その前に……」

 青年が、マグに入ったホットミルクを飲みほした。

「……ご馳走様、あなたのように、優しい味がしました」

 マスターは、にっこりと、いつもの優しい笑みを浮かべる。

「お粗末さん。最高の誉め言葉だ。未来でも、達者でな!」

「はい!」

 どこまでも真っすぐな返事で青年が言う。

 言葉通りに、もう彼は、生き方を曲げる事はないだろう。


 †


「さ~て。あの若造も無事送り届けた事だし、今度こそ、竜の嬢ちゃんのオススメの店に行くとしようぜ!」

 大きく伸びをすると、ユーインが言った。

 時は未来。

 場所はエルジオン。

 青年は元気いっぱいに旅立ち、一行は、時空を超えるスイーツ巡りの旅を再開した。

「あぁ、わたくしの甘美なる楽園よ! 今行きますわよ!」

「おぉ、すでに良い匂いがしておるではないか! じゅるるる……われはもう我慢できんぞ!」

「わかったから! あんまり騒ぐと迷惑になるぞ!」

 保護者気分でアルドが言うと、四人はラヴィアンローズ本店の自動ドアを通り抜けた。

 途端に、色彩を帯びたかのように華やかなスイーツの香りが四人を出迎えた。

「いらっしゃいませ~。本日は何になさいますか?」

 可愛らしい制服を着た店員が、マカロンのような笑みで尋ねる。

「よしよし。この様子なら、元通りって事みたいだな」

 安心した様子でユーインが言う。

「その通りみたいですわね……あ、あれ?」

 メニューを眺めていたシュゼットが首を傾げた。

「どうしたのだシュゼット! まさか、まだなにかおかしい所が残っておるのか!?」

 ティラミスも心配そうに尋ねる。

「え~っと、それが。本当に些細な事なのですが、わたくしの知らないメニューが増えてるみたいで」

「知らないメニュー?」

 アルドが尋ねた。

「はい。この、YSTAスペシャルというメニューなのですが……」

「YSTAスペシャル? デザートにしては、ヘンテコな名前だな」

 ユーインも首を傾げる。

「そんな事は店の者に聞けばよかろう! そこのおぬし! このYSTAスペシャルとは、いったいどういう意味なのだ!」

 はやくデザートを食べたくて仕方がないのだろう。焦れた様子でティラミスが尋ねた。

「申し訳ございません。なにぶん、大昔からあるメニューですので。分かっている事は、この店の創業者のご友人にちなんだメニューだという事しか……」

 言いながら、店員が頭を下げた。

「創業者って事は、あのおやじだよな?」

「その友人という事は、わたくし達の事なのでしょうか?」

「という事は……どういう事なのだ?」

 首を傾げる甘党達を他所に、アルドはふと閃いた。

「あ! わかったぞ! これは、俺達の名前の頭文字なんだ!」

「頭文字って事は、Yはユーインか?」

「SはシュゼットのSですわね!」

「ならば、TはティラミスのTか!」

「あぁ。そして、AはアルドのAって事だ!」

 驚きの事態に、四人は顔を見合わせた。

「そういえばおじ様は、ずっと先に残るようなデザートを作りたいと言っていましたわね」

「まさか、こんな形で実現するとはな。まったく、粋な事をしてくれおる!」

「よかったじゃないかユーイン!」

 アルドは言うが、ユーインは不満そうだった。

「冗談じゃねぇ! 俺は、これから先も一生おやじの店に通うんだぜ!? こんなもん見ちまったら、こっぱずかしくて仕方がねぇよ!」

「まぁ、ユーインおじ様ったら!」

「まったく、感動もなにもあったものではないぞ!」

「ははは。でも、ユーインらしいよ」

 甘い旅は、どこに行っても笑いが尽きない。

「それでは、折角ですしこちらを頂きましょうか」

 そして、四人は声を合わせて言うのだった。

「YSTAスペシャル四つ、大盛で!」

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スイートデイズ 斜偲泳(ななしの えい) @74NOA

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