第4話 リベンジマッチ
その日も、ユニガンの露店通りは、最近開店したスイーツショップの客で賑わっていた。
「美味い! 美味すぎる!」
「あぁ~ん。この味! 何度食べても飽きないのよね」
「ありがたや~、ありがたや~」
紙袋に入ったシュ―アイスを頬張る客達は幸せそうで、口々に感想を洩らしている。
そんな様子を見て、パティシエの若者は込み上げる笑みを隠すことなく、気持ちよさそうに笑うのだった。
「はーっはっはっは! そうだろうとも! なんと言っても僕は天才だからね! さぁ、そこで見ている親子! なにを迷う必要がある! ユニガンに来て僕のお菓子を食べないのはもったいないぞ! なに? 金がない? チッ。仕方ない。今回だけオマケしてやるよ!」
今日だけでも何度目のオマケだろう。もう二桁は達しているが、そんな事はどうでもいい。自分のお菓子が評価され、沢山の人に認められている。その事実だけで青年は十分だった。
いい気分で店先に立っていると、ふと、不穏な声が届いた。本来なら、雑踏に紛れるような小さな声だが、そこに乗った言葉は、一片の香辛料のように毒々しく香って、青年の耳に届いたのである。
「ん~、でも、あたしにはこのお菓子、ちょっと甘すぎるかな」
人の好みは千差万別。それは、他愛もない感想である。
だが、青年にとってはそうではない。
「なに!?」
先刻までの高慢な笑みは消し飛び、孤独な独裁者にも似た神経質な怒気が顔を覆った。
痩せた野良犬のようにギラギラと目を輝かせると、肩を怒らせ、その言葉を吐いた女のもとに歩いていく。
「お前、客の分際で、僕の至高のデザートにケチをつけるつもりか!?」
まさか、聞こえるとは思わなかったのだろう。女性はすっかり委縮した。
「ご、ごめんなさい……。ただ、酒場のおやじさんだったら、こういう時、甘さを控え目にしたデザートを作ってくれたから……」
咄嗟に出た言葉に悪気はない。けれども、その一言は鋭いナイフの一刺しとなって、青年の繊細過ぎる心をケーキのように容易く突き刺した。
今や、青年は怒りにより、煮詰めたイチゴジャムのように顔色を赤黒くして震えている。
「ふ、ふ、ふ……ふざけるぁ! なにが酒場のおやじだ! あんな負け犬と比べられるなんて、不愉快だよ! あんたみたいな味音痴に僕のデザートを味わう資格はない! お代は返すから、とっとと僕の前から消えてくれ!」
唾を飛ばして吠えると、青年は女性の手から食べかけのシュ―アイスを叩き落とし、ポケットの小銭を無理やり受け取らせた。
「ひ、酷い!?」
不用意な一言だったが、そこまでされる謂れはない。女性はポロポロと大粒の涙を零しながら走り去った。
怒りに飲まれた青年が何も感じず、ただ鼻息を荒げるだけである。
再戦に赴いたアルド達は、遠くからそのやり取りを目撃していた。
「あの野郎、随分と調子に乗ってやがるな!」
「お菓子とは、人を幸せにするもの。許せませんわ!」
「全くだ! 菓子職人の風上にもおけん奴め!」
甘党の三人が怒りを露にする。
アルドも同じ気持ちだ。
「これはますます勝たないといけないな」
「プレッシャーをかけないでくれよ!」
肝心のマスターは、新作のデザートを作り終え、すっかりいつもの冴えないおやじに戻っている。
「大丈夫さ。このデザートならきっと勝てる。俺はおやじさんを信じるよ」
「そうとも! 俺達三人の甘党が太鼓判を押したんだ! 間違いないぜ!」
ユーインが熱っぽく言い切る。既に試食は終えている。甘党ではないアルドには味の機微は分からないが、三人は絶賛していた。
「……まったく、奇特な連中だよ。たかが酒場のおやじの為にそこまでしてくれるなんて。……よし! こうなったら、俺も腹を括った! おい、小僧!」
決心すると、マスターは若者の前に飛び出した。
「……なんだ。誰かと思えば、負け犬のおやじじゃないか」
「全く、相変わらず口の利き方がなってない若造だな。それになんだ! さっきの態度は! 菓子職人が客の舌に文句をつけるなんて! いったい、何様のつもりだ!」
弟子や息子を叱るようにマスターが言う。
青年は、その手の説教は聞き飽きたという顔で気にもしない。
「馬鹿馬鹿しい。なにが客の舌だ! こいつらは所詮ただの素人じゃないか! 味の事なんて、なんにも分かっちゃいないんだ! 素人は素人らしく、天才の僕が作った至高のデザートをありがたくいただいてればいいんだよ!」
「……なるほど。そういう考えの持ち主だったか。これじゃあ、街のみんなの心は救われないな」
マスターは、自分の間違いを認めるように首を振った。
顔を上げると、その目には太陽よりも眩しい闘志が燃えている。
「小僧! もう一度俺と勝負しろ! もし俺が勝ったら、その時は前回の約束を取り消して貰う!」
「はっ。冗談じゃない。負け犬と遊んでいる程暇じゃないんだ」
「逃げるのか? この冴えない中年おやじに負けるのが怖いんだろう!」
「なっ! 誰がお前なんかに負けるもんか! いいだろう! 勝負してやる! その代わり、僕が勝ったらお前の店を貰うぞ!」
「なっ!? それはあんまりだろ!」
見かねて、アルドが口を挟む。
「アルド、黙ってみてろ」
「けどユーイン!」
不当な賭けである事は、ネゴシエーターの彼が一番分かっているはずなのに! そう思って振り返ると、アルドは言葉を飲んだ。今にも破裂しそうな彼の顔を見ればわかる。今一番止めに入りたいのはユーインなのだ。その想いを、彼は理性と筋肉で無理やり押さえつけている。
「おやじは勝つ……そうだろう、相棒……」
噛み締めた歯の間からは、臓腑の奥で盛る炎がチロチロと覗くようだった。
「おじ様を信じましょう」
「マスターは勝つ。勝つったら、勝つのだ!」
「……あぁ。そうだな」
不安なのは、みんな同じだ。
それでも、信じると心で決めた。
ようやくアルドの腹も据わったのだった。
「かまわんさ」
マスターはあっさりと答えた。覚悟は一足先に済んでいる。
「こんな事になっちまって、俺はやっとわかったんだ。俺は、どうしようもないくらい根っからのお菓子好きらしい。この先一生お菓子を作れないのなら、死んだほうがマシだ!」
「ふん。馬鹿な奴だ。大人しく負けを認めて酒場のおやじをやっていればいい物を。いいだろう! もう一度お前に勝って、あの小汚い店を貰ってやるよ! はーっはっはっは!」
もはや、アルド達の誰も、野暮な事は言わない。ただ、内なる怒りが無言の魔力となって大気をパチパチと弾けさせた。
「それで、どうやって勝負をするんだい?」
「あぁ。幸い、周りには見物人が沢山いる。この人達にお互いのデザートを食べて貰って、どっちが美味しいか決めて貰おう」
「いいけど、君達が審査に加わるわけじゃないよね」
こちらを向いて、青年が言う。
「当たり前だ。それじゃ流石に不公平だからな」
ぶっきら棒にユーインが答えた。
「別に、そのくらいのハンデをあげても、僕はよかったんだけどね。どうせ勝つのは僕なんだから」
「御託はいい。さっさと始めようぜ」
押し殺したユーインの声に、さしもの青年も恐怖を覚えた。
「くっ……望むところだ! 先行は僕が頂くよ!」
青年の呼びかけに、我先にと通行人が群がっていく。
「う~ま~い~ぞ~~~~!」
「こんな美味しいお菓子、初めてよ!」
「わざわざイザナからやってきた甲斐があったでござる!」
相変わらずの好評に、青年がニヤリと笑う。
「どうだい! この反応! 僕の勝ちは決まったも同然だね!」
「それはどうかな。俺が用意したのは、コレだ!」
店主が鐘氷柱の詰まった保冷箱を開く。
「どうせちゃちなお菓子に決まっているさ。……な、なんだって!?」
箱の中身を見て、青年は驚いた。
「これって……同じお菓子よね?」
審査員も困惑した様子で呟く。
不穏なざわめきは瞬く間に露店通りに広がった。
「はっはっは! こいつは傑作だ! 偉そうな事を抜かしておいて、僕の猿真似をするなんて! 恥知らずはそっちの方じゃないか! 同じデザートで勝負すれば勝てると思ったんだろうけどね! 甘い、甘すぎるよ! 大体、同じシュ―アイスを続けて二個も食べて、満足する客がいると思うかい!」
「それを決めるのは俺達じゃない。皆さん、こいつは俺の自信作です。どうか、食べてやってください」
青年の言葉など気にもせず、マスターは審査員に頭を下げた。
「それはいいけど……。お腹いっぱいだから、一口だけよ?」
「ま、物は試しじゃな」
「先ほどの菓子に勝てるとは思えんが……パクリ」
さして期待する様子もなく、むしろ、仕方ないという風に審査員が菓子を口にする。
途端に、彼らの表情が変わった。
「なななな、なんじゃこりゃぁ!?」
「美味しい!? これ、さっきのより美味しいわよ!?」
「サクサクのパイに、濃厚なのにあっさりとしてコクのあるアイス! そしてなにより、この黄色いナッツの欠片のビターな風味がなんとも食べやすい! これなら、何個だっていけちゃうでござるよ!」
審査員の豹変に、周りで見ていた観客たちも目の色を変える。
「ママ! 僕も食べたい!」
「おやじ! 俺にもくれ!」
「あたしも!」
群がる観客を前に、マスターは慌てず、箱の中身を差し出した。
「勿論です。こんな事もあろうかと、沢山用意してありますから」
そんなやり取りを、青年は信じられないという顔で眺めていた。
「ば、馬鹿な! あんな猿真似が、僕のデザートより美味しいはずがない!」
「そう思うなら、てめぇも食ってみろ」
ユーインは、青年の口にシュ―アイスを押し込んだ。
「むぐっ!? ……こ、これは!? 似ているのは見た目だけで、僕のシュ―アイスとは全くの別物だぞ!?」
「当たり前だ。お前さんのお客さんに食べて貰うんだからな。似たような物を出したって、喜んじゃ貰えない。お前さんのデザートを食べた後でもみんなが美味しく食べられる物を目指して作ったんだ」
当然のようにマスターが言う。
「さぁみんな! 聞かせてくれ! この勝負、どっちの勝ちだ!」
アルドが問うと、露店通りに、よにも奇妙なおやじコールが響き渡る。
「う、くっ……こ、こんなのは不正だ! 不公平だ! こいつは、僕のデザートに勝つ為だけにこのデザートを作ってきたんだぞ! こんなの、勝てるわけないじゃないか!」
「馬鹿野郎! てめぇは、まだそんな事言ってやがんのか!」
喚く青年を、ユーインが一喝する。
「ひぃっ!?」
怯える青年に、シュゼットは告げた。
「確かに、これはおじ様の将来がかかった大事な大勝負ですわ。けれど、おじ様は、あなたの事なんてころっぽっちも考えてはいませんでした!」
「うむ。マスターの頭の中にあったのは、常に客の事だけであった。どうしたら喜んでくれるか、どうしたら幸せになってくれるか。まったく、見事な心意気よ! この結果は、客に対する向き合い方の差と心得よ!」
「ぐ、くぅ……」
ティラミスの言葉に、青年は言葉を失う。
「みんな。それくらいにしてやってくれ」
止めに入ったのは、マスターだった。
「けどおやじ!」
言い足りない様子のユーインに、マスターは首を振る。
そして、青年の目を見て言うのだった。
「勘違いしないでくれ。俺は別に、お前さんに勝ちたくて勝負を仕掛けたわけじゃない。実際、お前さんの言う通り、勝てたのは後出しのお陰だしな」
「はっ! 綺麗事を言うなよ! 本音は分かってるんだぞ! お前は、僕に取られた客を取り返したかっただけなんだろう!」
「ははは。まぁ、そういう気が全くないと言えばウソになるが。……お客さんには、悔いたい物を食う権利がある。お前さんのデザートは確かに美味かったよ。そっちがいいと言うのなら、仕方ない話だ」
「なっ!? だったら、どうして……」
「単純な話だ。俺は、俺自身に勝ちたかったんだ。おまえさんみたいな才能ある若造に完膚なきまでに負けて、みっともなくしょぼくれちまった負け犬の俺自身に。それだけだよ」
「おじ様……素敵ですわ……」
「あぁ、立派だった!」
「召竜士でも、そなた程誇り高き者は多くはないぞ!」
アルド達が口々に言う。
それを聞いたユーインは、自分の事のように喜んだ。
「たりめぇよ! このおやじはな、俺が惚れ込んだ男だからな!」
「よしてくれユーイン。そこの可愛い嬢ちゃん達ならともかく、おっさんのお前に褒められても気持ち悪いだけだ」
「はっはっは! ちげぇねぇ!」
冴えないおやじたちが、少年のように笑い合う。
そんな中、敗者の青年は地に伏せて、遣る瀬無さを硬い地面にぶつけていた。
「クソ! クソおおお! またなのか!? 死ぬ思いをしてまで過去の時代に来て、今度こそ勝てると思ったのに! ここでも僕は、ラヴィアンローズに負けるのか!」
その、あまりにも鬼気迫る叫びに、アルド達は顔を見合わせた。
「おいおい。どうしたんだ小僧。いくら負けたからって、流石に取り乱しすぎだぜ」
「それに、死ぬ思いって……」
「うむ。なにやら、複雑な事情があるようだな」
「ここで話すのもなんだ。おやじさんの店でゆっくり話を聞こう」
アルドの提案に、マスターも頷いた。
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