否定から入る感想・肯定から入る感想 ~FF16の“世論”を見て~ 後編
※今回は私も私で、いつもより辛辣な物言いになっているので、予め御了承下さい。
FF16のゲーム内の事例ばかり続くとくどいと思ったので、前後編に分けましたが。
前回入りきらなかった事例を一つ。
序盤から後半にかけて、主人公とは全く関係の無い視点で、ある薬売りの少女が何度も登場します。
容姿や演技のビジュアル的にも力の入った人物だったので、後々、物語の大局に影響を及ぼすであろうと私も想像していました。
しかし結果的に、彼女が果たした役割は「彼女の何気ない言葉によって、失意の中にあったある別の主要人物が立ち直るきっかけとなった」のみでした。
これを受けて、薬売りの少女は無意味な伏線だったと言う批判が、やはりいくらか散見されました。
確かに伏線の密度や登場の頻度に対して、大局的に大きな役割を果たしたとは言い難いのですが、シナリオ担当が伏線の張り方を知らない、と批判する材料としても弱いでしょう。
結果論、その人物が薬売りの少女によって立ち直らなければ、クライヴはラスボスの所へ行けなかった訳で。
きっかけとなるのが薬売りの少女で無くても良かったのでは、と言う意見も当然あるのでしょうが。
後はゲームソフトも商業作品である以上、納期と言うものがあるので、本来もう少し活躍する予定だったのを削られた可能性も考えられます。
曰く「シナリオ担当はチェーホフの銃と言う事を知らないのだ」と言う人まで居ましたが、
前回例に出した「“唐突”に激昂したシーン」や「ラスボスが小者」と言う批判と言い、寧ろチェーホフの銃と言う言葉を知っている人が見落とすような伏線には思えませんでした。
作中にしっかり散りばめられた明らかな“装置”に、本来気付ける筈の人が気付かないまま、最初に抱いた結論に走ってしまう。
これが「否定から入る・肯定から入る」事の恐ろしさを表している気がしています。
持論を「勝たせようと」するあまりの視野狭窄に、人間が持つ知らない事柄を手持ちの知識で補おうとする能力(あるいは習性)が加わり、
ファイナルファンタジー16 ~ドミナントでは無い無能と言われた俺が祖国を追放されたけど実は誰も知らないイフリートのドミナントでミュトスでした~
……などと言う書き込みが生まれたのを目の当たりにした時は開いた口が塞がりませんでした。
寧ろ、大喜利的なベクトルと言う意味では見事な出来映えすら感じましたが。
ちなみに、何処もかしこも否定的な評価ばかりされているかと言うとそうでもなく、純粋に楽しんだ人達の書き込みをまとめられたサイトも少数派ながらありました。
ちなみに、こうした酷評を多くピックアップされていたのはFFシリーズのまとめブログに見られFF16のまとめブログでは比較的、酷評に対する反発や好意的な意見が多く取り上げられていました。
私のように純粋に作品を楽しんでいる(かつ、作品の粗も認めている)層を“しんでる層”と名付けて「売り上げが爆死した事を認められない“しんでる層”の書き込みがこちら」
などというトピックを、まとめブログの中でも大手であろう所が連日ピックアップしている様には少々、薄ら恐い心地がしました。
「人は人、自分は自分」と割り切っている人々までを能動的に追い回すのは、ちょっと尋常には思えません。
個人的に、商業的な評価・銭勘定については最も不得意とする分野なので言及は避けますが、FF16の発売一週目で300万本売り上げが成功なのか爆死なのかも、算出のしかたによって色んな意見があるようでした。
売れたのがパッケージなのかダウンロードなのか、国内なのか国外なのか、メーカーが公言している戦略が何なのかなどなど。
また、酷評の流れを見ていて最も気になったのが、FF16が出るまで、ナンバリング中では最低ランクの作品とすら言われていた15が好意的な再評価を受けていたり、これもFF16が出るまでは散々にこき下ろされていたFF7リメイクを持ち上げたり、FFオリジン(FFの死にゲー)が一転して売れ出したと言った話題が見られた事です。
別段、15と16が敵対したり競合している訳でもないのですが、批判対象の敵や競合相手の味方をして“数的優位”に立とうとするのも、否定から入るやり方の常套句ではあります。
「今にして思えば7リメイクで、原作から改変された部分も良い味出てた」など、FF16発売前までは、そう目にした事がありませんでした。
ゲームの批評に限らず、この国の“議論”は二対一以上の構図になると、まず少数側の意見は握り潰されるだけなのが現実です。
どれだけ理詰めで、根拠を完璧に説明しても、揚げ足取りや重箱の隅つつきを大勢の声で被せられ、黙殺されるのです。
私欲や感情を全く排した、完全に客観的な意見・感想・議論と言うのは考える以上に難しいものだと、近頃考えさせられます。
私にした所で本作を定価で買った(正確には貰ったのですが)以上、可能な限り楽しみ、肯定的な思い出になるように意識が向く立場にあります。
前回、今回と、このゲームの悪い部分もさらりとディスってはいますが、これにした所で他の肯定的な意見を強化する為の“戦術”かも知れないのです。
諸手を上げて称賛するより、批難も混ぜた方が称賛の説得力は増す筈なので。
ここからは蛇足と、名指ししないまでも他所の記事への批判が特に強めなので、下の方に押し込めておきます。
否定から入る感想として、最も露骨だったブログの記事です。
やはり、前回ご紹介した救済アクセサリーを根拠に「ゲーム性の放棄」を主張していました。
攻撃・回避・回復をそれぞれ自動化してくれるこれらの装備についての、私の見解は前回の通りですし、そこのブログのコメント欄でも似たような認識の方の書き込みがあったと思いますが。
そこの管理人は徹頭徹尾「保育園児でもクリアできるレベル」と断じて憚りませんでした。
余談ですが、私個人がFF16がここまで不自然なヘイトを集めている原因として、プロデューサーの作品外での態度が悪すぎたのもあると思うのですが(※1)
この不必要に口汚い記事もまた、記事の外での態度で損をしていると言う点ではFF16のプロデューサーと大差ないように思えてなりません。
話を戻しますが、この記事ではどうも何かとダークソウルを引き合いに出し、
「ダークソウルは自分で試行錯誤して成功体験を積んでいく楽しさを再びゲーム界に示してくれたが、FF16にはそれがない」
としていましたが。
私個人は前回述べました通り、回避のタイミングを教えてくれるアクセサリーをエンディングまで外せませんでした。
その上で、二週目は心機一転、その装備を外して序盤のボス戦まで行ったのですが、何となく敵の動きが直感的に読めるようになっていて、無傷とはいかないまでも死なずにクリアできるようになっていました。まさに自転車の補助輪が外れたような感覚です。
一週目で救済アイテムが無かったとしたら、この“成功体験”は身に付かなかったのではないかと思います。
特にボス戦はエフェクトが派手で視認性が悪い上に、この手の3Dゲームにありがちでカメラワークも悪いので、私の場合、救済アイテムが無かったら何回死んでいたか分かったものではありません。
確実に中盤辺りで心が折れていました。
しかし、それなりに上達した今なら、頑張ればエンディングまで行ける自信はあります。
また、本作には耳が不自由な方の為に、音声情報を視覚的なエフェクトで表示する機能があるのですが、これを誤ってオンにした上で「この無駄な演出はどうにかならないのか」と批判する、
また、先に「保育園児でも出来る」とした上で最初のボス(※2)に負けており、それをコメント欄で指摘されると「スクリーンショットを撮ろうとして油断した」と抗弁を重ねる始末。
後で記事そのものを消さなかった事は潔いとは思いますが、別にこの辺の粗を認めたくらいで「FF16はつまらない」と言うこの人の持論が不利になるわけではないので、素直に認めてしまっても良かったように思えます。
とまあ「坊主憎ければ袈裟まで憎い」と言うことわざを考えた人がいかに的を射ていたのかが良くわかった気がします。
我々日本人は特に議論が下手な民族とされていますが、感情とロジックを切り離して考える事を意識して、なるべく大事な部分を見失わないようにしたいものです。
FF17やら7リメイクー2が出た時、このFF16の世論がどう変動するかは少し興味があります。
その時までに覚えていれば、ですが。
(※1)
本作発売前に、プロデューサーが情熱大陸に出演していたのは有名な話ですが、それを抜きにしても、FF14関連などで様々な所で出張り過ぎ、ゲーム制作者以前の個人としての自己主張が強すぎな所はあったようです。
この創作論でも「作品の外でチャンスを逃す」と言う話を書いた事がありますが、作品や記事の外での態度は、受け手の目に要らぬバイアスをかけるのは確かです。
(※2)
一番手のボスなだけあり、ダークソウルが苦手だった私ですらノーミスで倒せる程度の強さです。
ちなみに、このボスを倒した時点での私は救済アイテムの存在に気付いていません。
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