群像劇の戦闘
戦闘に限らず、スポーツの試合にも当てはまる話かと思われます。
当たり前ですが、視点が複数人の群像劇で、尚且つ、戦闘(試合)のある作品では、様々な人物の視点から攻守や競争の様子を見せる事となるでしょう。
今回、VRもので群像劇を書くに辺り、その面白さが良く実感出来たと思います。
特に“若シニ”の終盤では、作中の語り部全員が総動員され、1話の中で交代交代にナレーションを行う場面があります。
語り部は味方だけでは無く、主人公をライバル視する(固定パーティならぬ)固定敵のものも含まれています。
これにより、仲間同士の阿吽の連携や、“気心の知れた敵”同士の相互理解だったり、やっぱりお互いの戦術の読み合いだったりが表現できます。
命の取り合いで気心の知れた敵、と言うのもなかなか口にする機会が無さそうなパワーワードではありますが、死んでも生き返るVRゲームならでは、出てくる言葉かなとは思います。
あるいは詐術や誤解によるお互いの認識のズレだったり、一方のパーティが持つ隠し球がいつ見破られるか・見破られないのか、と言うやり取りも書く事が出来ました。
この戦闘は、本来的には不本意ながら2話を跨ぐボリュームに膨れ上がりましたが、
(語り部の数を思えば仕方がない面もありましたが)
終わってみると、作者的にはかなり楽しく読み返せる出来となったかと思います。
ラスボスの前座のような位置付けではあり、物語のテンポを思えば、書かずに置こうか、かなり悩んだシーンでもありましたが、結果、書いて良かったと思います。
ただ、これだけ目まぐるしく語り部が変わると、読者がついていくのが大変かな? とは思いました。
作者である私は、勿論、自分が考えた事なので円滑に理解できるのは当然なので。
この為に、このシリーズでは毎回、語り部(と主人公)の一人称をバラバラにしてありますし、なるべく視点切り替え直後の一行目で、誰の視点なのかすぐわかるようには工夫したつもりです。
(一人称“俺”の人と一人称“オレ”の人だったり、一人称“私”の人と一人称“わたし”の人が一緒に居ることはありますが)
またも、積極的にはお勧め出来ないエタ作品(なろうにて現在も掲載)の話なのですが。
第二部の冒頭、敵幹部(人外に変身可能)三人が、第三勢力の拠点を襲うシーンから始まるのですが、迎え撃つ第三勢力側の兵士一人一人に名前と各々の人生のバックボーンを与え、それらの視点から交戦を描いた事があります。
この殺陣には実際にピンポイントでコメントも頂き、好評でした。
これも「倒される兵士一人一人に名前とエピソードがあったらどうなのか?」と言う試みから端を発して居るのですが、
まず「犠牲者が主人公勢力ではないので思う存分、相応に重みのある兵士らの生涯を敵幹部に蹂躙させられた」と言う、文字に起こすと私の人間性を疑われるような、かなりアレな効果が得られました。
敵幹部の驚異をストレート、かつ、最大限に表現できたと言う点では大変有意義だったと思っています。
過去のエタ作品から更に遡ると、この手法の源泉は、アメリカの作家ディーン・クーンツによる小説指南書“ベストセラー小説の書き方”にあります。
著者の主要ジャンルの関係上、実際に例に挙げられたのは、サスペンスで、殺人犯と主人公の視点の切り替えでしたが。
殺人犯から逃げる主人公、と言う構図にせよ、
殺人犯と目的地が同じになってしまった主人公、と言う構図にせよ、シンプルながら“期待”や“盛り上げる”事の何たるかを突いた手法だと、当時から感銘を受けました。
こう言う、純粋な小説技法ばかりが掲載されているのであれば良かったのですが、話題の半数が我々日本人に馴染みの薄い、アメリカの出版事情のぼやきだったりするので、これも積極的にはお勧めしにくいのですが……。
全てを知った上で俯瞰している読者がニヤニヤできる……と言うところを目指すのが、群像戦闘の醍醐味なのかも知れません。
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