スローライフもの難しい
近況ノートでも何度か書きましたが、今回の世紀末スローライフは、あまりスローライフ要素が無いまま終わったと考えます。
元々、居住地クラフト要素のあるフォールアウトをプレイしていた影響か、脈絡なく浮かんだ単語から膨らませた話だったのですが、色々と……特に私自身の考え方とスローライフ要素との相性が悪かったと思います。
今回の作品を例にとって、順に考えていきましょう。
まず、核戦争後の世紀末を“生活”すると言う事からして、食い合わせは悪い筈です。完全に矛盾しているとは言えないまでも。
と言うのも、世紀末の無政府状態では、やはり強盗行為や侵略と言う要素がついて回りやすいものです。
まして今回の作品は、タイトルにヒャッハーが入っている通り、野盗が跋扈する北斗の拳やマッドマックス、フォールアウトのような世界観を大前提としています。
あまつさえ、本来それらの作品に於いては主人公に瞬殺されるような雑魚野盗としてロールプレイしなければなりません。
まず重要なのは、戦いやバイオレンス要素がスローライフと矛盾しているか否か?
結論から言えば、矛盾はしていないと考えます。
他のスローライフものは広告で断片的に見た程度なのですが、例えばRPGの世界に転移したならモンスターとの遭遇は充分にあり得ます。
話を世紀末に戻すと、畜産業も崩壊している以上、野生動物を狩る事も大いにあり得ます。
世紀末スローライフにおいては、野盗行為もまた、日常の糧を得るための“生産行為”と言えるのかも知れません。
次に“食”以外の“衣”や“住”についても、世紀末には世紀末の様式があるとは思います。
例えばフォールアウト4では、野球のキャッチャーが身に付けていたプロテクターとアメフトのヘルメットが、本来の役割を忘れ去られ、警備員のユニフォームとして用いられています。
今回の作品はあくまでもゲームであり、プレイヤーは文明世界の住人と言う立場から、世紀末状態という“設定”を俯瞰した上で世紀末世界に暮らしていますが。(ややこしくて申し訳ありません)
また、戦争によって建物の大半が壊れているので、住むにしても有り合わせの廃材で補修したり、防衛の為に改造する必要も出てきます。
この辺りの、ゲームで言う所のクラフト要素に専念して書いていれば、名実ともに“世紀末スローライフ”は成立したのでしょう。
真に競合するのは、戦闘やバイオレンス要素ではなく“ドラマ性”ではないかと感じました。
あくまでも個人的な考えであり、起伏の無い物語を否定するわけでは無いと先に断っておきますが。
いくら先述の通りに、我々の世界と世紀末世界との条理が違う(我々から見れば珍しい)とは言え、事件やピンチが全くなければ、興味を維持するのが難しいものです。
そこで陥りがちなのが、近況ノートでも書きましたが、今回の私も含めて「スローライフを謳っておいて、国家・大陸・世界単位のマクロな事情や事件の渦中に放り出される矛盾」なのだと思います。
スローライフしていた主人公が戦争や陰謀の中枢に巻き込まれる、コツコツ育てた農作物が評価され過ぎて大事になる、など。
ドラマ性無しに興味を引くことも、作品を綺麗な形で完成させる事も、かなり困難ではあります。
また、今回の話題の冒頭でもちらりと触れました通り、メリハリと簡潔なドラマ性を重要視している私のスタンスとは食い合わせが悪かったと思います。
一応、衣食住のDIYは描写しましたし、オープンワールドゲームで言うところのメインクエスト的なものが終わった後のエピローグで、言い訳がましく世紀末的日常の描写をもう一つ入れてはあります。
しかし、完結まで「これはスローライフなのか?」という見極めは保留しておりましたが、最終的にはタイトル詐欺のリスクがあると判断。
世紀末スローライフ? と“?”マークを追加するに至りました。
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