物語仕立ての“武勇伝”に感じる違和感
近頃また、SNSの広告を眺めていると、LINEで浮気夫(妻)を成敗した話だとか、LINEで毒親を大人になってから理路整然と言い負かして懲らしめた話だとかを良く目にします。
まず、そこまで話が拗れたら、トーク(文字のやり取り)から通話に切り替えるでしょう普通……と言うのはこの場合、無粋なのでしょうけれど、それはさておき。
個人的に、この“武勇伝”と言うものが、あまり直視したくないほど苦手です。多分、人一倍。
この辺りの嫌悪感についてのルーツは、割りと明確です。
以前ご紹介したネットゲームの固定パーティにおいて「人生がやたらドラマチックな人」の武勇伝を毎日、たらふく聞かされた影響です。
曰く、
スタンガンを持った複数人に昨日拉致られそうになった、
父親が警視長で、職場でパワハラを受けていた時、乗り込んでもらった、
しかし幼少期はその父親を含めて育児放棄を受けていた、
兄がバイクで事故を起こし、一時昏睡状態になったが復活した(事故があってから容態が安定するまでの数日間、ネットゲームを一日も休まずプレイしつつ)
などなど、等々、エトセトラエトセトラ……。
これをほとんど毎日聞かされていたわけです。今の気力と体力と根気では、恐らく一ヶ月と保ちません。五年以上、良く耐え抜いたものだと自分で思います。(※1)
単に反応をウォッチされているのか、ネットの人間関係にありがちな“酔い”なのかと思い、一度、話の矛盾点を指摘したら凄まじい剣幕での逆上を見せてきたので、純粋に触れてはならない領域だったのだろうと、今でも思います。(※2)
かといって、生返事ではへそを曲げられるので、ちゃんと聞いている証明に毎回適切な返答を考えねばならなかったのが一つ。まだ、チャットでの対話だったのでレスポンスにいくらか猶予があっただけマシだったのかも知れませんが。
そして、最初に挙げた広告のケースもそうなのですが、聞かされる度、それが本当なのか嘘なのか、いちいち勘繰らされると言うのがもう一つ。
別に、言わせたい人には言わせておいて、聞く方も気にしなければ良い、と言えばそうですが、その頻度が常軌を逸していると、聞き流そうにも完全に疑念をシャットアウトするのが困難になってきます。
精神の根幹の部分、不随意の所で結構な負担を強いられてしまいます。
かつて2ちゃんねる(あるいは5ちゃんねる)でも、こうした“体験談”や、リアルタイムの状況報告と言うものを読んだ事がありますが、この知人と関わる以前か、それほどダメージが蓄積していなかった頃には、さほど拒絶反応は無かったように思います。
スレ主(主人公)が立ち去った後、別の人物が本心を呟く場面があったりするパターンは、まだ分かりやすいものですが、これも現実と架空の狭間にある世界でこその産物なのかも知れません。
体験談のみならず、それこそ悪役令嬢没落劇だとか婚約破棄に対する反撃シーンだとかも、これに近いものを感じます。
そして、私が感じる違和感がピークとなるシーンは、恐らく作者のテンションがピークに達しているであろうシーンとイコールのようです。
つまり「見返してやった」「復讐してやった」「格の違いを証明してやった」と言う「スカッとする」とされる瞬間です。
「もう私と子供の前に現れないで。親族皆に全部バラしてやったから、あんたの味方なんてもういないよ」
「毒親は毒親らしく、このまま孤独死してください。はいさようなら」
「少し顔が良いからって調子に乗りすぎましたわね。婚約破棄? 上等ですわ、反撃はここからですのよ!」
※いずれも今、即興で考えたものであり、実在の作品とは関係ございません。
ただ、私が広告だけしか見ていないケースについては否定する意図はございません。
前後の流れがわからない話で置いてきぼりを食らうのは当然なので。
先の知人の例で言えば「警視長の父親が自分をいじめている職場に飛び込んで、関係者一同顔真っ青!」
と言うくだりです。
一番苦痛なのは、披露している側の、そうしたトランス状態になった様を見せ付けられる事でした。
さて、これくらいの事をいちいち否定していては、小説や物語なんてまともに読めない筈なのですが……。
基本ですが「所詮は他人事」だった筈の話をきちんと読ませる気があるのか、共感させる為の努力があるのか。
更に突き詰めて言えば「受け手に何かを与える姿勢が見えているのか」
例えば、誰かに酷い目に遭わされた事を主張したとして。
同じタイプの人に出会ったら気を付けようだとか、聞かせる相手が共通の知り合いであれば、ピンポイントでその人に気を付けよう、と思わせられるのか。
フィクションであれば、受けた仕打ち・理不尽、そこから立ち直ろうと戦う人物への理解や共感を得られるのか。
自分が「聞かせたい」事を、ただ一方的に連ね別に聞き手が居なくても良い独壇場となっていないか。
与える、と言うとある意味で聞こえは悪いですが、事実、人間関係のあらゆる場面に“返報性”と言うのは伴うものだと言う私見は、先日のネットゲーム体験談でも述べてきました。
ここで言う返報性とは、お金などの見返りは勿論、お返しの賞賛などとも違う、もっと普遍的で根元的なもの、
別段強要したり、逆に、義務感に囚われる必要もない、自然なものです。
先程の知人に関しても、逆に、相手がその日あった出来事を話しているのに対してあからさまな生返事だったり、全く返事を返さない事が多くありました。
それ以前にダンジョンへの誘いなど、相手の居る話ですら今で言う既読スルーを平然と行い、
「返す気が起きないから返事しない、と言うのは理由にならないの?」
とまで言い放った事もあります。
人間関係は損得で決めてはならない。
その前提で考えてみましょう。
逆の立場に立つとこんな態度を取る人の武勇伝を、本心から聞きたいと思える人がどれだけ居るのか。
繰り返しますが、このレベルの返報性とは金品や賞賛とは別次元の話です。
私自身、ある人が窮地に立たされた時、十数万円の身銭を切ってでも助けたい人は居ます。
同時に別のある人は、例え助けなかった結果、自分が十数万円の損害を被ろうとも(助ければ十数万円儲かったとしても)手を差し伸べたくありません。
それぞれに対して、これまで相手からもたらされたものと同じものを返した場合、こうなるからです。
無論、常に完全な公平を求めれば自分が疲れるだけですし、人も離れていきます。
しかし、与えられて当然と言う振る舞いと、与える気が更々無いと言うスタンスは大抵、セットで付いてくる事が多いです。
今回ご紹介したケースもまた、極端過ぎる例ではあります。
しかし、“与える”気の更々無い人や物語と言うのは、受け手に伝わるものでは無いでしょうか。
今回のこの話も、得るものが無かった人には不快な話題なのかもしれません。
(※1)
もう一人(キャラは二人)、夫婦でプレイしていると言う“設定”だったのだろうなぁ、と思う方が居ましたが、こちらに対しては全く苦痛を感じませんでした。
やはり聞く筋合いのないネガティブな話が一つも無かった事と、周りを不快にしないラインをきっちり意識していたのだろうと思います。
明言こそありませんでしたが、こちらは“大人のロールプレイ”の範疇かと思います。
(※2)
それ以外の素行は概ね普通だったのも材料です。
そこに打算があった場合、そう何年も仮面が保たないのは、以前のネットゲーム体験談で述べた通りです。
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