無欲は正義? 補足・レアアイテム自慢

 前回、さるネットゲームにおいて、仲間を無償で助けなければ人でなし扱いされるコミュニティでひどい目に遭ったエピソードをお話ししましたが。

 そのコミュニティと言うか、ゲーム全体での風潮に「自慢は悪」と言うものがありました。

 例えば、敵が運良くドロップしたにせよ頑張ってお金を貯めて買ったにせよ「レアアイテムをひけらかす行為は仲間を傷付ける」と言う考えがナチュラルに横行していたのです。

 

 前にもどこかの別項で話しましたが、本来、レアアイテムによって仲間の戦力が増強される事は、回り回って自分の生存率を上げてくれます。

 私が割りと他人の動向に無頓着なせいもありますが、誰かの自慢に不快感を覚えた事はありませんし、素直に喜びを分かち合えば済む話では? と思います。

 事実、批判されたある人が、喜びを分かち合えないのなら仲間ではない、と反論していました。

 これはこれで極論過ぎとも思えますが、私も内心ではこの人寄りの考えでした。

 

 どうしてこんな事が起こるのかと言うと、これも前回と同じなのでしょう。

 私の居たコミュニティで、その傾向が最も顕著だった人が言うには、

 その人が以前居たコミュニティで、自分と相手の資産の格差を常に比較され、遠回しに戦力外のような言われ方をして傷付いたエピソードがあったそうです。

 確かに、その出来事自体は気の毒ですし「相手の気持ちを無視して自慢した人が悪い」というのは確かでしょう。

 恐らく、ゲーム全体でそんな事が行われるうち、これも匿名掲示板やSNSを介して拡散され、アイテム自慢は悪と言う、ゲーム内限定の共通認識が生まれてしまったのでしょう。

 そして、いつしか言葉そのものに取り憑かれた人達が、本来きっかけとなった事の本質も忘れてしまう。

 先の知人の例で言えば「相手の気持ちを無視して」の部分が忘れ去られ「自慢した人が悪い」と言う真実の“一部”のみが一人歩きしてしまった。

 ある日、例によって装備自慢を始めた人が居ました。

「目的のレア鎧は手に入れたし、後はレア兜とレア盾、レア剣くらいかな。あー、忙しい」

 と言うのに対して、

「死ね」

 と言い放った人が居ました。

 当然、言われた方は「ろくに知らない相手から、死ねと言う暴言を吐かれる筋合いはない」

 と憤慨しますが、言った方は、ひたすら自慢話に対する糾弾に終始。

 当たり前ですが、無害な自慢話に対して、暴言を吐いた方が悪いのは言うまでもありません。

 古傷を抉られた事を主張するのは構いませんが、それよりも先にすべき事は、暴言への謝罪です。

 しかし、周りから、暴言を吐いた方へのお咎めは一切なし。そう言う私も何もフォローしなかったのですが、多数派の秩序がこうなっている以上、言って聞かせようとしても無駄であり、むしろ火に油を注ぐだけだとは思いました。


 そして予防線なのか、彼等が度々「僻みのように聞こえるかも知れないけれど」と前置きをしていた事から、世間一般においてアイテム自慢をいちいち批難する事の方が間違いであると自覚しているようなのです。

 言うまでもありませんが、彼等の言い分は、現実社会においては僻み・逆恨みと呼ばれます。

 

 投稿サイトやネットゲームに限った話ではなく、一つの言葉や思想に取り憑かれると、このように、世間一般での絶対悪が、善や常識であるかのように、簡単にねじ曲げられてしまいます。

 ゲームなどでの被害はまだたかが知れていますが……無秩序はこうして生まれるのだろうと考えると、恐ろしいものです。

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