(PV・評価)無欲は正義?(アイテム・経験値)
前回「一度(書籍化への)欲を捨てて見ると、書籍化への近道になるのでは?」と結論づけましたが、この辺りもなかなか難しい問題であります。
他人を利用してでもアクセスや評価の点取りに邁進する人。
話題がズレている事にも構わず、はつらつとした定型文で自作品を売り込む人。
私もTwitterで交流していた時には、そうした人達と遭遇して不快な思いをした事も何度かあります。
恐らく、こうした投稿サイトにおいても、アクセス数や評価数のための点取り行為が行われているのだろうと推測しますが。
しかし。
そうした事への反動から生じたであろう「他人の評価を気にせず書く事こそ高潔な作家の在り方であり、評価ありきの風潮は間違いだ」
と言う考えにも違和感を覚えます。
これまで何度か述べてきましたが、小説と言う媒体は他人に読まれ、評価を受けなければ原則成立しません。(※1)
基本的に、自作品をネット上に公開している時点で、多かれ少なかれ「評価・リアクションを求めている」筈なのです。
この違和感、何かに似ていると思っていたのですが、昔プレイしていたネットゲームでの風潮そのままだったりします。
ゲーム(とりわけRPG)をプレイする動機とは、乱暴に簡略化するようですが、大抵がレベル上げとアイテム入手による“報酬”(達成感)を得る事かと思われます。
これに実在の他人と言う要素が加わると、当然ながら利害によるトラブルが生じます。
分け前の分配で揉めるのであればまだしも、それまでの仲間を戦力外として切り捨てたり、蹴落としたり……。
そうしたトラブルは、日々、匿名掲示板やブログなどで拡散され「酷い仕打ち」のケースとして周知されていきます。
すると、その反動で生まれる“美徳”と言うものがあります。
「自分のレベル上げよりも、仲間との繋がりを大切にしよう」
「利益なんて気にせず楽しむべきだ!」
そのコミュニティにもよるとは思いますが、これらの考えが尖鋭化し過ぎると、いつしか次のような論法に擦り変わります。
「自分のレベル上げを優先するのは悪」
「利益度外視で楽しめない者は自分勝手」
「あいつはよく掲示板で見かける問題児と同類だ」
その結果、何が起こるのか。
そのゲームでは、原則として敵から経験値を得られるのは、その敵を「攻撃した人」だけでした。
一方、私が愛用していたキャラクターは、回復や
当然、能力的にも役割的にも、ヒーラーやタンク役が攻撃に参加する余地はほとんどありません。つまり、普通にやっていたのでは、ろくに経験値を得られない立場にあります。
これの救済として、パーティ内で(前衛や魔術師の得た経験値を、ヒーラーやタンクにも)均等に配分する機能が存在します。
当たり前ですがこの機能、無制限に使えてしまうとゲームバランスが壊れるので、お互いのレベルがある程度近くなければ設定できないようになっています。
さて、ある時、パーティが大所帯になり1パーティ編成では経験値の分配機能が使えないと言う状況がありました。
普通に考えれば、2パーティ編成にすればすぐに解決する話であり、私も恐る恐る提案しましたが、
「めんどくさいから1パーティでよくね」(前衛)
「経験値より、大切なのは楽しむことだ」(魔術師)
とにべもなく却下されました。
全てのユーザーは、同額のプレイ料金を支払い、自分の自由に使える時間を費やしている中でRPGをプレイしています。
繰り返しますが、RPGの楽しみとは、乱暴に簡略化するなら「経験値やアイテムによる“報酬”を得る」事です。
後にこれについて再び(嫌な話をして、申し訳ないという論調で)問題提起した所、
「そこでモヤモヤすると言う事は、君が経験値を気にしているからだよ」
と糾弾されました。
また、コミュニティが出来て最初期のメンバーの中でも、群を抜いてレベルの上がりが早かった人が居ましたが、最終的には裏切り者のように扱われて静かに去っていきました。
そして更に、ヒーラーにとってある意味で向かい風だったのは、高レベルのヒーラーが護衛すれば適正レベルより3、4段階は上の地域やダンジョンを攻略出来た……低レベルの他人をレベリングするのに、非常に都合の良い性能をしていたと言う事で、私や他のヒーラー使いも例外なくこれを要求され続けました。
その時は気乗りしなかったり、本当に都合が悪いタイミングだったり、ともすれば画面の前に居なくて反応が遅れたと言う理由で、
「そうですか、もういいです。無理言ってすいません、もう頼みません」(※翌日、先方からの謝罪と和解の後に、普通に依頼されるようになりましたが)
大抵のネットゲームでは、死亡時にペナルティが生じるものです。
コンテニュー回数が決まっているにしろ、復活までにインターバルを要するにしろ、お金や経験値の一部を失うにしろ。
私がプレイしていたゲームでも例外ではなく、死ぬとかなりのペナルティがありました。
そして、多くの場合、それはヒーラーの過失とされがちでした。
「経験値効率を気にして仲間を詰るのは悪い事なので、あくまでも相手の後学のためにやんわりアドバイスをする」と言う体が大半ではありましたが、そもそも、他人の都合を斟酌できない方々に、そうした表面を繕い続ける克己心などあろう筈もなく、
「もういいです」→ログアウト
「これなら一人でやった方がマシだ」
「んだよ。数時間無駄にしたよ。もう帰るわ」→ログアウト
と言うような光景も度々見られました。前者2つは、私自身が浴びせられたものです。
また、我慢が臨界点に達していた頃、新マップの観光(兼、あわよくば、皆の弱いサブキャラをレベリング)と言う名目でのパーティ行動において、本当に「見物に徹して」一切、回復や強化をせずに居たら、まるでヒーラーの基礎も知らないのか、と言うような凄まじい詰られ方をしました。
これはあくまでも“観光”であり、私にも戦闘に煩わされずダンジョンの景色を眺める権利はありましたし、回復が必要であればポーションを持つか、そもそも死ぬようなキャラクターで出撃しない事です。
これが営利の発生しない草野球やフットサルの社会人チームなどであっても、勝利と研鑽の為に、仲間内で批判を交わす事はあるかも知れませんが、それは何度も繰り返すように、全員にとって得るものが平等であるから成り立つことなのです。
もう一度前提をおさらいします。
そもそもヒーラー単独でようやく適正レベルとされているダンジョンに、攻撃が直撃すれば数発で死んでしまう護衛対象を、無報酬どころか自分の時間を削った上での善意でサポートしている状況です。
流石に悪いとは思いつつ、こうした、増長し切った人との事例を利用して、ヒーラーの待遇改善を再度訴え、流石にその時はコミュニティ全体で見直しが行われました。
今振り替えって見ると、つくづく馬鹿げた空間に居た事を思い知らされますが、このような共産主義まがいの世界が構築されて一番得をするのは「自分の利益だけを求め、他人には与えない」……そう、丁度私が冒頭で引き合いに出したTwitterでの人達のようなタイプの方々です。
そう言う風潮を作った人達が、本来憎んでやまなかった筈の。
お互いがお互いの欲を監視しあって“遠慮”している中、ガンガンがっつけば、それは利益をかっさらいやすいでしょう。
また、そんな空間において、実は多少の不義理というものは有耶無耶にしやすいものでもあります。
人は、労せず正義側に立ちたがる生き物であると考えます。
それには、匿名掲示板に書いてあるような「仲間を駒として切り捨てる巨悪」のような、わかりやすくて、“皆“と共有しやすい敵の存在が必要になります。
その敵の逆張りと言う、一見して因果のあるようで実は関係のない独善が、少しずつ変質していき、誰かの都合の良い方向へ流れていった結果が、このような「他人に禁欲を強要する」新たな悪徳なのだろうと邪推します。
結局の所、小説の評価にせよネットゲームの経験値にせよ、実利とストイックとはバランス感覚の問題であって、白か黒かの二択ではありません。
「欲に対するバランス」があまりにも掛け離れている相手と関わってしまうと、利用されたと腹を立てたり、齟齬が出てしまうのだろうと、最近では結論づけつつあります。
事実、その共産主義みたいなコミュニティから他へ移った後は、自分と似たような感性の仲間に恵まれ、うってかわって穏やかにプレイ出来ていたと思います。
最後に補足を。
先日、我が職場でもネットゲームで知り合った相手とめでたく
これは、私がプレイしていた時期では考えられない事です。
SNSの発達もあって、ネット上での人間関係もかなり洗練されてきたのかも知れません。
そんなわけで、今回、私が例に出したネットゲームの話は、あくまでも旧世代の古いものであることをご了承下さい。
(※1)
“非現実の王国で”を60年間自分のためだけに書き続けたヘンリー・ガーダーの例もありますが……むしろその超レアケースを思えば、真の自己満足と言うのが、いかに到達困難な境地であるかと言うことです。
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