「鬱展開過ぎて書きたくない」はむしろ手応え
かつて、主人公の追い込み方についてこんな話を聞いた事があります。
「主人公を終始甘やかさない事。敵が銃を持っており、それを苦労して奪い取らせたなら、敵にナイフを抜かせる。
主人公がそのナイフを蹴り飛ばしてやったなら、その敵は、実は空手の達人だったと明かさねばならない」
この例えは悪漢との戦いと言う単発の話ですが、勿論、物語の大局においても同様と考えます。
またまたSNSや、このカクヨムで流れてくる広告の話なのですが、
当然、広告なので断片的なシーンしか見えないのですが、それだけでも結構目を背けたくなる話が流れてきたりします。
「母親の買ってくれた腕時計をいじめっ子に踏み潰される」とか。
先の追放もの・マジクックを書いていた折り、正直、終盤の展開を書きたくないと思いながら書いていました。
ネタ切れだとか、書いてて疲れるとかではなく、罪の無い人間が理不尽に悲惨な目に遭う展開を書かねばならなかったからです。
その人々が逆境を乗り越えて、ようやく新天地で地盤を築き上げ、軌道に乗り始めた。そこに至るまで、作者としても相応に苦労しながら書きました。
そう言う時に限って、手を変え品を変え、主人公らを無傷で救済する展開が浮かんだものですが、結果的には最初に定めたプロットを全うする事になりました。
やはり、書きたいテーマを全て書くに、その悲劇は必要だったからです。
そんなわけで「作者ですら書きたくない」と思えたなら、それは読者にも「こりゃ、ひでえや」と思って貰える目が出た“手応え”だと考えます。
作者ですら手心を加えてしまった“試練”には、酷いと言う共感も、乗り越えた時の達成感も無いでしょう。
後は、書きたいものに対してハッピーエンドが必要なのか、トゥルーエンドが必要なのか、メリーバッドエンドが必要なのか、完全無欠なバッドエンドが必要なのかの“着地点”に応じて調整するだけです。
ハッピーエンドや、それに準じたものを目指しているなら、今度は損失をある程度以上はリカバリーしないといけません。
悲劇とは、基本的に「取り返しの付かないダメージ」でなければならないので、そこのジレンマとの戦いにもなるでしょう。
とりわけ、この“追放もの”と言うのは「主人公を甘やかさない」訓練にもうってつけだと思いました。
まず、その性質上、主人公に作者や読者が自己投影しやすいので、手心を加えたくなる誘惑が生じます。
そして、彼(彼女)が努力の末に追放者たちを見返した事をうまく書ききったなら、尚更、それを崩す事に心情的な躊躇いが生じます。
そして、追放パーティとは基本的に「主人公の能力を見誤って不当に排斥した愚か者」です。
そんな人達に「絶対にされたくない事」は何かをまず考えます。
すると、割合簡単に、先述の「書きたくない」「目を背けたい」展開に思い至る事でしょう。
苦難の末に新天地で築き上げたものを、今や取るに足らない過去の遺物に破壊される。
これ程馬鹿げた理不尽はなく、また、起こり得る事態も無いかと思います。
追放パーティとは、そう言う意味で非常に理想的な悪役なのだと、先の執筆で感じました。
無論、そんな展開だけが正解だと主張する意図はありません。
世の中には追放側と和解する話もあるそうですし、それはそれでカタルシスのある話になり得、私の考え方では絶対に思い付かない展開だった筈です。
なので、今回は(いつも、かも知れませんが)話し半分で読んでいただければ、と思います。
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