現代日本のハーレム事例

 調べてみると、現代の日本でも一夫多妻の事例はあるようです。

https://r25.jp/article/609984985417498699

 勿論、我が国において重婚は違法であるので、事実婚=法的には三人とも独身と言う形ではありますが。

 読みたくない人の為に、リンク先の記事をかいつまんで説明すると、

 最初に男性と女性Aが結婚、妊娠。

 そこへ男性が「女性Bの事も本気で好きになってしまい」女性Aにそれを告白。

 男性の嘘偽りない気持ちを他者が完全にコントロールする事など不可能。そう判断した女性Aはこれを受け入れます。

 そして女性Bを交えて話し合った結果、事実婚と言う形で一夫多妻の家庭を築く事を決定。

 当然、女性二人には色々と葛藤はあったものの、共同生活とお互いの出産に立ち会った出来事を経て、この生活を真に受け入れる事が出来たそうです。

 当人達が(少なくとも公の場で)納得していると明言している以上、外野がとやかく言う権利はありません。

 それでも、最初に男性が告白したと言う「Bの事も本気になってしまって、どうしようも出来ない」と言う論理に、理性とは違う所で拒絶反応を覚えてしまうのが、私と言う人間が持つ了見の限界なのでしょう。

 少なくともAにだけ納得を強いて、男性は何一つ苦労せず都合の良い環境を棚ぼたで手に入れたとしかどうしても思えません。(勿論。全員が納得した現在にまでは本当に批判するつもりはありませんが)

 それを思えば、確かに人の根源的な感情とはコントロール不可能なものなのかも知れません。

 いずれにせよ、私と言う、現代日本人の感覚ではこれが現実です。

 どうあがいても、少なくともこの事例の男性を手放しで肯定する事は出来ません。

 例え、これも「性の多様性」のひとつだったとしても。

 

 さて、この違和感。私はかつて別の場所で同じものを感じた事があります。

 恐らくなろう系のパイオニアの一つである某作品において、初めて“二号さん”を迎え入れたシーンを読んだ時です。

 その作品の世界でも、別段、一夫多妻が認められている訳ではなく、第一夫人もショックを受けていました。

 しかし彼女は、自分を擁護する別の仲間の言葉も「黙ってて」と足蹴にして、夫の身勝手を苦渋の決断で飲み込みます。

 先程の記事と同じです。

 それを認めなければ夫に捨てられるかも知れず、お腹に子供でも居ようものなら、ますます死活問題になります。

 そして先程、私は「全員が納得している現在までは否定しない」と言いましたが、この点も、全く同じでした。

 最初に「どっちも好きで、どうしようもないんだ!」と言う言い種に、人としてあり得ないと不愉快に思いながらも、その生活がきちんと安定している様を見ると、当初の憤慨が風化してしまったのです。

 それは恐らく先述の男性=主人公=作者の罪悪感も長続きはしない事を意味するのでしょう。

 所詮、ここが他人の限界であるとも言えますし、フィクションの世界で起きているのならなおのことです。

 ただ。

 先程の記事の家族については、主に奥さんAが状況を受け入れる為に凄まじい努力をしています。

「隠れて行われる方が嫌だ」として、Bとの夜の営みを敢えて直視し許す事によって、自分の中のジレンマを強引に乗り越えています。

 やはり、どれだけ夫が最優先と言っても、奥さんには奥さんの意思が当然存在すると言う事です。

 しかも、忘れてはなりませんが、この事例に出てくる女性はたったの二人。ネット小説において5人も6人もハーレム入りする事が、本来どれだけ複雑で遠大な描写を要するかと言う事です。

 そんな中で真実の関係を目指そうとすればするほど、自分本意な願望が浮き彫りになってしまい、大多数は白々しくなるのでしょう。

 考え方を変えて、キャバクラで毎度違う女の子とお喋りする程度の、インスタントな関係に留めておけば……まあ相応なのかも知れません。

 それはそれで、面白く書くのが難しそうですが。

 また、これだけ努力している一家ですらも「子供は親を選べない」と言う事をおざなりにせざるを得ません。

 残念ながら、母親が二人と言う定形外の家族に生まれた子供達には「平凡無事なそれ」を望む事は出来ませし、望むことを許されすらしません。生まれた瞬間から、一方的に。

 これも「そこで生まれ得る幸せ」までもを否定するつもりはありませんし、そもそも権利もありません。

 ただ、この三人が「子供の安定を自分の為に捨てた」と言う事実は変わらないとも思います。

 そして、平均から外れて育った子がどのような人格を備えるか次第では、将来、関わりの無い筈の他人を苦しめたり死なせたりする事もあり得ます。

 一夫多妻のシステムが無い場所で、敢えてそれをすると言う事には、そこまでの業が生じると言う事です。

 

 また、イスラム教の国の幾つかでは、国教の教義もあって一夫多妻が認められています。

 しかし、妻の人権については法律で厳格に管理されています。

 一号さんであろうが二号さんであろうが、扱いに差があれば、直ちに訴えられて裁判にかけられます。

 そして、それは同時に「妻の数だけ家庭を維持しなければならない」事も意味します。

 故に、法律が許しているからと言って一夫多妻を実行するには、相応以上の器量と経済力が求められる事も意味します。

 現代の日本において「マイホームを持って子供一人を大学までやる」と言う事だけでも、みんな四苦八苦している事を思えば、どれだけの富裕層でなければ実現しないか、は明白です。

「ここではない、異世界でなら、金は湯水のように稼げる」と言う考え方もあるのかも知れませんが。

 果たしてそんな世界での物語に緊張感はあるのかどうか。あるいは、他の面で緊張感を持たせる為に余分な努力を要求されるかも知れません。

 

 本来、一夫多妻が存在した理由としては、世継ぎ(男子)を生まねばならない立場の人達も居た為でもあると思います。

 実際、高貴な人と結婚した全ての人が子供を作れるとは限らないし、その血縁が途絶えて国の情勢が混乱するのであれば、高貴な身分の方が側室や大勢の妻を持つのも必要だとは考えます。

 ならば、自分の書いている主人公はどうなのか。

 現実の王族や皇族と同じくらい、価値のある存在なのか。

 そうした価値があると書くだけ、烏滸おこがましい程度の描写になってはいないか。

 

 最低限度、古今東西のハーレムを(今回私が齧った程度のレベルでも良いので)勉強し、作中人物が実行した場合、全ての人物がどう認識してどう行動するのか。

 それを書き切るだけの責任感が無いと、誰が読んでいてもつまらなく、道義的にもまずい作品が出来上がると考えます。

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