自分で書いてみよう。
数日前から、所謂“追放もの”を書き始めました。
現在は非公開にしてあります。
完結の目処が立てば公開すると思います。例によって本一冊分程度のボリュームですっきり終わらせるつもりなので。
これまで当創作論を書くにあたり、所謂テンプレものについて勉強してきた事の集大成になれば、と思います。
かなり牛歩で執筆しているので、気長にやっています。そちらが乗っている時は、こちらの創作論の更新が遅くなるかも知れません。
さて、何故そんな事をし始めたかと言うと。
ここ最近、当創作論では、なろう系だとかテンプレものに関する話題が続いていました。どちらかと言えば肯定的……と言うか、その材料で面白く料理するには、と言う前提での考察が多かった筈です。
勉強し始めた当初は、ネット小説に粗製濫造が起こっていると言う危機感(と言う程大層ではありませんが)不満だとかを感じました。
しかし、そうした材料を面白く料理されている人の創作論やお話を読むと、いくらか思い違いをしていたのでは、と考えるようになりました。
あらゆる手法は否定されるべきではない、と言うのが持論なのですが、それを再認識した感じです。
そもそも、公開のハードルが極めて低いネット小説において、何がトレンドとなろうが粗製濫造は避けられない問題ではあります。
また、粗製濫造を促進させるような“大人の事情”が働いている気もしますが、経済音痴の身としては、そこについて言及する資格もありません。
とにかく、どうすれば面白いものが書けるか、と言う考察を続けるのみです。
そして今更ながらに、
同調的であれ否定的であれ、自分で書いた事も無い(構造を完全に理解していない)分野について蘊蓄を連ねる状況って、結構怖いことをしているな、と思った次第です。
かつて異世界転生ものを書こうとして断念した経験はあり、自著の“覚醒す”についても性質的に追放もの・転生ものに近い(それらをベースに新しい分野を確立できないか挑戦した)のですが、こうしたアンチテーゼでもないですが、対象となるジャンルをいじくっただけでは、本当の構造を理解しきれないと言うのは感じました。
勿論、映画を製作できない人間が映画を批評してはいけない・料理の出来ない人が料理を評価してはならない、と言う道理は決してありません。
ただそれらは、きっちり消費者としての立場から行われているものであり、自らも小説を書くにも関わらず「書かずに、書いた人と同じだけの発言権」を主張するのも違うかな? と思いました。
あくまでもこれは、私が私自身に思った事です。
直に書いたことが無く、考察されること自体を否定するものではありません。
考察と言う手段の為の動機と言うのは、正直な所(初動の)モチベーションは上がりません。
正直な所「わざわざ作品立ち上げてまで書いてられない」と言うのは当然であり、私も半ばそう思っています。
ある程度書き続けて、山を越えれば純粋に執筆を楽しめそうな予感はしていますが……。
書き始めた現段階で思うのは、
まず、他作品との差別化と、それを易しく読める親切さとの両立が非常に難しいと言う事。
また、一定の確固たる需要に対して応じているので、それをどこで、どこまで裏切って良いものかと言う難しさもあります。
蓄えた知識を総動員して複雑な設定・プロットを全て出しきるのは、ある意味で“簡単”なものです。
とにかく、日常を圧迫しない程度に、ゆるりと挑戦してみます。
まあ、そろそろ創作論で蘊蓄ばかり垂れてないで、作品で表現出来るように戻らねば、と危機感を覚えたのもあります。
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