テーマと“書きたいもの”がぶつかる場合

 今回の話には、無血のヒーロー短編集・サイコオニキス編第3話「魔女のおうち」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054898070004/episodes/16816700428763466317

 の内容に触れる部分があります。あらかじめご了承下さい。

 

 テーマと“書きたいもの”がぶつかり、どちらを優先するか悩む……と言う事は、そう滅多に起こらないとは思います。

 基本的に作品のテーマとは、それ自体が“書きたいもの”の筈です。

 ただ、長期スパンでの連載や休載からの復帰など、作品を立ち上げた瞬間から最新の更新までに長い日数が経っていると、それは起こり得るのかも知れません。

 連載の手を止めている間も、作者自身の内面や経験は常に変化しており、書こうとしているものが最初のそれから変化してしまう事もあるからです。

 更新を長く止めるほど、エタる可能性も比例して高くなる原因はここにもあるでしょう。

 

 さて、先日、およそ一年弱ぶりに無血のヒーロー短編集を更新しました。

 まさしく、流血を描いてはならないと言うはっきりとした縛りがあり、長期スパンでの連載で(自由に書く短編集で終わりがなく)、かなりのブランクを経て久々に更新した……と言う条件が揃っていました。

 

 今回の話の内容をかいつまんで説明すると、子供を虐待していた両親を騙して避妊(去勢)手術を受けさせ、乱暴な気性がおさまらなかった父親の方には更に「ノーベル賞の実績もある脳外科手術」を依頼して、大人しくさせ、

「優しく」なった両親と、親子三人の再スタートをお膳立てする、と言ったところです。

(虐待の内容は育児放棄・暴言と言った、直接的な流血・傷害には繋がらないものに限定しています)

 悩んだのは「医療的措置によって不可逆な影響を与えるのは直接的な傷害の描写ではないのか?」と言う点でした。

 もしも多くの読者が、これは傷害の描写だ、と思ったなら、今回の更新をもってこのシリーズは(過去作も含めて)意義を失うかも知れない。

 この作品の場合、一度でも例外を作ってしまえば全てが無に帰ります。サイコブラックやシルバーが、あれだけ回りくどいやり方で戦ってきた意味そのものが無くなるからです。

 私にとっては、それ程までに重い選択でした。

 しかし、この題材はどうしても“書きたいもの”でした。

 そして現状、それを無理無く実現できる作品は、この無血のヒーローシリーズしか有りませんでした。

 また、以前挙げたサイコロ判定の小説やチートバグの小説のように「浮かんだアイディアをアイディアのままにし、いつまでも執筆しない」と言う事を続けていては、二度と小説を書けない気もしました。

 

 一応、テーマを損なうリスクよりも書きたい1エピソードを優先したのには、一応の根拠はあります。

 まず、この作品における「流血禁止」と言う縛りには二通りの意味があります。

 それは「作中のヒーローが人を殺傷してはならない」ことと「作品として殺傷の描写をしてはならない」と言う二点です。

 ただ、両方に言えるのは「読者が見ていない所では殺傷沙汰が起きている筈」だと言う事です。

 前者の場合は「人を殺傷したヒーローは存在を抹消されている」と言う実例がありますし、掟を破ったヒーローが連行される所までは実際に描写しています。

(連行後、どのように抹消されているのかは不明ですが、フィクションによくある一生瓶詰めのような幽閉状態だと思われます)

 また後者の場合も勿論、現代の地球が舞台であるから、流血沙汰が存在しないメルヘン世界などではありません。

 最初のサイコブラックを連載していた当初から、ここの判定にはかなり頭を悩ませて来ました。

 騒音や電磁波で嫌がらせをするのは傷害では無いのか? 精神的な攻撃に限定したとしても被害者が自殺するなどの二次被害はどうなのか? 想像の中で人死にが出るのは良いのか?

 原点に立ち返れば、後者の「作品として流血を描写してはならない」と言う発想から生まれたシリーズなので、こちらを重視して今回の判断を下しました。

 そもそも“暴力禁止”と言うのは、暴力の存在無しには成立しないわけです。

 また、これはオマケに近い問題なのですが、

 今回の話をもってサイコオニキスの人間性も、ある一線を越えてしまった事になります。

 彼女は基本的に、能動的に他人を傷つけず、皆が納得できる方向に誘導する事で「悪人を消す」コンセプトのヒロイン(女性ヒーロー)でした。

 今回のエピソードで、彼女もまた、サイコブラックらと変わらない「時には人を積極的に傷つける」人物だと言うことになります。

 一昔前のライトノベルにおいて、ヒロイン(主役の恋人役)に直接手を下させないパターンが多く見られましたが、とりわけ理想の投影を受け持つ存在としては、やはり汚れ役をさせたくない心理が(作者にも読者にも)働くものなのかも知れません。

 

 本来、同一である筈のテーマと“書きたいもの”が競合してしまう。

 レアケースではありますが、どちらを取るかの選択を迫られる事もあり得るのです。

 その時は、可能な限り「何故、その作品を思い付いたのか」を振り返って見るしか無いのでしょう。

 あるいは、無責任な仮定ですが、テーマ性が壊れて(サイコブラックで言えば流血禁止縛りを破ってしまって)初めて拓ける別の道も、もしかしたらあるのかも知れません。

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