モラルと書きたいもののジレンマ

 とても自信のある作品のアイデアを思い付いたとします。

 そしてそれが世の中に出たら、それなりの人が傷付いたり損を受けるかも知れないとします。(また、違法ではないとします)

 自分なら、それでも書くか否か。

 私の場合は「影響力=報復を受けるリスクと秤にかけて書く」と言う、至極手前勝手な結論になりそうです。

 これまで何度か取り上げてきた「正欲(著:朝井リョウ)」なんかは、決してアンチLGBT啓発活動では無いものの、それなりに一部の方にとって競合的な記述はあると思います。

 

 私個人は、先日「もしも新型コロナのワクチンを接種した人がみんな余命数年になるとしたら」と言うアイデアをふと思い浮かべ、薄ぼんやりとプロットを考えたりしていました。

 私の実績やら予想される需要の程やらから考えれば、作品として形にして、このカクヨムで公開したとして200pvも行かない事でしょう。

 しかし、題材が題材なので、例え読んだのが一人きりであろうとも「怖くなってワクチン接種を断念」する人を無為に生み出す危険はあります。そうなれば、食い止められる筈だった感染・事によるとクラスターをむざむざ引き起こす遠因にもなり得るでしょう。

 アクセスの多寡に関わらず、大事を引き起こす文章と言うのは生まれ得るものです。

 そんなわけで、この「恐怖のコロナワクチン」を作品にする事は無いでしょう。

 自著・自己愛性こども拐いについても、自分が犯人と同じ性質では無いのかと考えておられる方から感想を頂いた時は、内心ヒヤリとしました。

(よく読むと、タイトル名・あらすじ・キャッチコピーは全て、犯人の事を言っているのでは無く、犯人が被害者に貼ったレッテルであり、

 そもそも、この作品の犯人のような人物に「自分がそうかも」と考える能力はありませんので、その感想を下さった方は決してこの作品の犯人とは違うと思うのですが)

 非常に情けないながら、こうした題材を扱っておきながら、私自身が「それで傷付く人間が出得る」と言う可能性に、向き合い切れていなかった事の証左と思います。

 

 そう言えば人死にの出るミステリなんかも、ジレンマを抱えていそうな気がします。

 どの作品だったかは失念しましたが、後書きにおいて「作中のトリックを実際にやろうとしても、失敗するようになっています。模倣しないように」と明言されていたのはなかなか英断だったと思います。

 

 さて、そもそも何故こんな事を考え出したかと言えば、前々回の話題にて、かつて私がやっていたネットゲームのリアル追放リーダーを引き合いに出す理由として、こう書いた事がきっかけです。

「創作論との親和性が高いため、私の元リーダーの事例を使っています」(※原文ままではなく、要約です)

 はじめ、当たり前のように書いたこの一文を改めて読み直した時に、遅れながら危うさを感じました。

 正直な所、ここまでは問題だとは思っていません。

 私がかつて、ネットゲームと言う現実と虚構の狭間で出会ったこの事例は、期せずして昨今のなろう系だとかテンプレ小説だとかの考察における有効な手掛かりになり得ると言う考えを、今後も変える気はありませんし、自粛するつもりもありません。

(ただ、不愉快に思われる読者が現れ得る事は想定しているので、前々回のように冒頭で警告は載せるようにします)

 

 本当の危うさとは「私自身が無自覚に、これよりも上の、インモラルな事をやらかしてしまう危険性」にあります。

 そもそもが、このリアル追放リーダーにせよ、当創作論の序盤で何度か引き合いに出した「フェニックス出しましょう」にせよ、相手の名前(ハンドルネーム・ペンネーム)を伏せた匿名とは言え、許可の無い暴露行為に違いはありません。

 スクープの為に、取材対象の迷惑だとか人権が全く見えなくなった、一部マスメディアと何らかわりない下衆と言われれば、返す言葉もありません。

 正直な所、元リーダーに対しては、当時こそ「自分も割りを喰わされたし、大勢の仲間を傷付けた」と憤慨していましたが、今は何の感情も抱いていません。

 如何せん、最後に接触し、縁が切れてから時間が経ちすぎています。

 怒りも憎しみもありません。

 ただ無機質な“使えそうな事例・情報”に昇華されてしまっています。

 これまで私は「怒るのは良いが、怒りが目的になってはならない」と自戒していたつもりでした。

 しかし、逆に「怒らず、無感情に他人を“材料”……もっと言えば“持論のダシ”に利用する」行為とは、どうなのか。

 元リーダーとて、ネットゲームと言う特殊な環境下において、出来心と惰性でそうしてしまったのかも知れませんし、10年以上も経った今、心をすっかり入れ替えている可能性も否定は出来ません。

 しかし、言葉の責任とは「後で心を入れ替えても永久に誰かの心に残る」と言う事も含めての事だと、私は考えます。

 だから勿論、当創作論のこの論調とて、誰かの心に残り続け、今の私が思いもしない場所でこき下ろされる事も覚悟の上です。

 

 ……と言うのもまた、都合の良い“ヘイトポルノ”の正当化かも知れません。

 近頃私は「修羅道とは無自覚に堕ちるもの」だと痛感しつつあります。

 何かを選び取る為には、ある種、自分を盲信する必要があります。

 そして、そこに「心の毒」は生じ得る。

 ……と、偉そうに分別臭い事を述べているそれ自体が自己弁護かもしれない……と訳知り顔で述べているそれ自体が自己弁護かも知れない。

 本当に難しいものです。

 

 自分は常に三毒に曝されており、いつ、修羅道に陥るかわからないので気を付けよう。

 そう、常に思い続けるしか無いのかも知れません。

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