友情に命は懸けられるか

 戦いにせよビジネスにせよ、背中を預け合う戦友との友情模様と言うのもまた、定番の要素です。

 しかし結論から言えば、少なくとも私の身辺において、友情と戦い(仕事)が両立したケースは皆無です。

 私自身、昔馴染みの友人と共にとある非営利活動の団体に所属しており彼が代表者なのですが、これまでの過程で、破綻しないまでも人間関係が変わったと思います。

 それまで見えなかった悪い部分が目につくようになり、お互いの事がどこか面倒臭くなり、お互いの言葉を傾聴しなくなる癖がついてしまいました。

 友人と相棒(バディ)は似て非なるものと考えます。

 共同経営者やお笑いコンビは、むしろ仲が悪い方が成功する、と言う説を聞いた事は無いでしょうか。

 かのインテルを創業した三人などは“トリニティ(三位一体)”と称されながらにして個人間の仲は当初から最悪で、一緒に写った写真が一枚しか存在していないと言われています。

 ならば、仲良しでは命や社運を預け合えないのか?

 ここでは便宜上、ファンタジーなどの戦闘と現実的な共同経営者を敢えてごっちゃにして考えます。

 とりわけ現代人の思考に準じた前提のそれについては、同じ問題を抱えていると思いますので。

 

●上下関係を弁えなければならない

 船頭が沢山居ると船は変な方向に向かってしまいます。何事も、指揮系統はきっちり決めねばなりません。

 インテルの例では、トップ3のうち創業者の片割れであるロバート・ノイスと「社員第一号」だったアンディ・グローブとの仲が特に険悪だったと言います。

 グローブの立場で意見をするのは勿論自由ですが、決定権はあくまでもノイスの立場の人に無ければ、たちまち空中分解してしまいます。

 私の例においても、団体に加入当初は私の方が「組織を育てて軌道にのせねば」と言う思い上がりからあれこれ物申していたのですが、これには友人関係と言う“甘え”があったと思います。

 同時に、彼の方が一時期、私の発言だと言う理由でろくに聞き入れなかった(ように感じられた)のですが、これも友人関係までは破綻しないだろうと言う甘えから来ていると思います。

 ある時期から、私が「活動中においては彼が上司であり、私は部下である」と考えるようになってからは衝突もほぼ無くなり、お互いの意見をまた受け入れるようにはなったと思います。

 非営利ですらこれですから、金や人生の懸かった事になるとなおのことです。

 ただ、信頼と盲信は違うと言う点も同時に押さえておかねばなりません。

 例えば、それまで魔法攻撃でしか実績がなく、明らかにフィジカルの弱い主人公に対して、相方が、

「あいつは凄い! あいつなら、巨人でもパンチ一発で余裕さ!」

 などと言って巨人に単騎特攻するのを見過ごすのは、単なる盲信です。

 実際に巨人をワンパン撃墜する隠し球的な方策があったとしても、理由なくそれを仲間に隠すのは、単なる作戦の擦り合わせ不足です。

 実際に私のケースでも、友人に対して失望して結果的に自己主張を止めた所が大きく、結果的に、友人の方にも寛容さが戻ったに過ぎません。組織の方向性は私が良かれと思った方向とは真逆に進んでいます。

 しかし、組織は私の私物では無いと言う事です。


●必ず役割のギャップと利害が発生する

 飲食店ならば、厨房担当とホール担当。ファンタジーであれば前衛とヒーラーなどがわかりやすいでしょうか。

 そもそもお互いに無いものを補い合う為に手を組む筈なので、それ自体は自然な事です。

 ただ、それぞれの負担を実感できるのはそれぞれの本人だけで、皆「自分の方が大変だ」と思いがちです。

 例えばダンジョン攻略のパーティにおいて、前衛の剣士を増員したとします。

 元々パーティに居た前衛にとっては被弾・攻撃のノルマ共に軽くなるでしょうが、ヒーラーにとっては回復・補助をしなければならない対象が増える=労力が増える事を意味します。

 パーティの増員ひとつとっても、意見が割れかねません。

 インテルの例でも、いずれも優れた技術者だった人達が起業した会社ではありますが、会社を運営して行くにつれて「技術者気質か経営者気質か」のギャップから齟齬があったと聞きます。

 また、ダンジョン攻略の報酬の分け前にせよ株式配分にせよ、行動する前にお互いの納得を得ないと、当然揉めます。


●仲が悪いと落ち度を監視し合う

 これは、馴れ合いによってお互いに甘くなる……と言う意味だけではありません。

 私のケースにおいては「上手に揉める」と言う事が出来ない関係性でもあったと思います。

 私も彼も、本来、はっきりと相手にNOを言えない人間でした。

 それでいて、絶対に譲れないボトムラインで急に爆発するため、日頃から喧嘩している人達よりも最終的な被害が大きくなるわけです。

 その点、インテルの険悪トリニティのケースでは、結果的に自浄作用が働き、むしろ「あいつを納得させるまで頑張ってやる」と言うモチベーションにも繋がったのでは無いかと邪推します。

 

 ただし、単なる私怨とは違います。

 目先の戦術については争っても、組織の利益と言う戦略は常に共有せねばなりません。

 何処を争うべきで、何処を争ってはならないか。

 この均衡を保とうとする努力は、お互いに必要でしょう。

 それを考えると、凸凹刑事コンビのようなバディものドラマが人気なのも何となく頷けます。


●先に生じたのは友情か協力か

 そんなわけで、私は、友人と戦友は相剋“しやすい”と結論付けています。

 少なくとも、これらは別個に処理すべき関係だと自覚を持てるかどうかからがスタートラインになるでしょう。

 戦友でもある事がきっかけで、私的にも良い友人であるケースもあるとは思います。

 それでもやはり、プライベートでバーベキューをしていても、何処かで「仕事」の二文字が常駐する関係になるのではないでしょうか。

 また、この戦友にして親友と言う得難い存在とは、公私を冷たい程に分離できて初めて生じうるのではと思います。

 あるいは、仲の悪い共同経営者と言うのは逆説的に「好き嫌いを抜きにしてお互いの能力を買っている」わけで、やはり友情とは別の“信頼”の形なのかもしれません。

 

「お前って凄いよ!」

 と褒め称え合ったり、益体の無い恋バナなどに興じて良いのはしっかり生還し、報酬分配を終えた後の酒場(仕事帰りの居酒屋、あるいは異界から日常の学園生活に戻った時)に限られるのでは無いでしょうか。

 

 書き切れなかった分や、ブラックな部分は、補足として次回に回します。

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