神“々”
思い返せば、多神教的な神々を書いたことって無かったなと、ふと思いました。雷神だの太陽神だの水神だの、複数の超越存在が居るような話です。
ギリシャ神話、北欧神話、そして我が国の神話。モデルとされやすいのは、この辺りでしょうか。
別に嫌いでもなければ書くにあたってのデメリットも無いはずなのですが……やはり、無宗教であるが故に素で発想から除外されていたのでしょうか。
実在の神話については齧った程度にしかわからないのですが、一つ言えるのは、神に人格を認めた場合「人間の上位互換」以上でも以下でも無くなると言う事です。
この辺りは個々の宗教観にもよりますが、万物創世の主神だとか星を支配する神だとかが居たとして「じゃあ、それらは誰が創ったのか?」と堂々巡りになるからです。
まして雷神や太陽神に担当が分かれているとなると、相対的に唯一無二でもなくなります。
この世界の本当の根源である“現象”あるいは“現象”と言う概念すら当て嵌まらない・“概念”と言う言い方すら不適当かも知れない“何か”と、人間の上位互換に過ぎない複数系の“神”は別物と思わねばなりません。
ああ、書いていて頭が痛くなってきた。宇宙こわい。
そう考えると“神々”が人間に似た姿をしているのは不思議ではないとも言えます。
人間の方が神々の機能的な身体を真似たもの、と思えば、ヒトと猿のようなものとして納得しやすいです。
ただし、一騎当千の戦闘力だの軍団を一瞬で消し炭にする超魔法程度では、神々と言うには“弱い”と思います。フィクションの世界であれば人間でも出来る事だからです。
基本的に、人類が逆立ちしても勝てないのが神々と言うものでは無いかと思います。
また、人類が頑張って、ある一柱の神に危険を及ぼせば、たちまち油断なく対策されてしまうでしょう。
人類もまた、一踏みで殺せるからと言って、ヒアリやスズメバチに対して無防備なままでは居ません。
あるいは、動物園のゴリラが、不意を突いて飼育員一人くらい倒す事は出来るかも知れません。
しかし、檻から逃走した後、動物園の外に縄張りを作って自治権を得るような事は絶対に不可能でしょう。
あるいは、エリクサーだったり賢者の石だったり、人類の最終目標とされるものをDIY感覚でポイポイ作って見せるのも良いかも知れません。
そう言えば、紀元前にジーパン履いてビニール傘をさしていたルシファーも居ましたね。あれはさりげなく良い描写だと思います。
人類に出来ない事、と言うのは、それを事も無げに出来れば神の証明になり得ると言う事でもあります。
人間以上、万物の根源未満。
更に、モンスターとも違う叡智。
複数系の神を書く際は、これらの設定に対して繊細な気配りが必要となりそうです。
神が現世に実在したなら、恐らく人々の信仰心は逆に薄れるのでは、とも考えます。
そう言えば、良く見掛ける「俺は神だ!」と言う台詞は、やはり人間の上位存在(複数系の神)にランクアップしたと言う意味と思った方が良さそうでしょうか。
少なくとも、万物の根源たる“何か”にはなっていないわけですから。
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