難しい言葉の使いどころ

 文体の重さは人それぞれではありますが、難解な文は敬遠されやすい所でしょう。

 小説とは作者の語彙や教養をひけらかす場所では無いのは今更言うまでもありませんが、一方で、耳慣れない言葉にはどこか惹き付けるものがあるのも事実です。

 また、この創作論のだいぶ初期の方でも同じような事を書きましたが、難しい言葉と言うのはそれだけ他の平易な言葉に紛れにくく、確実な伝達が出来るとも考えます。

 実際、漢字検定でも受けなければお目にかからなさそうな言葉を沢山使いながらも読み苦しくない作品は存在します。

 颶風(ぐふう)だとか、膂力(りょりょく)だとか、懊悩(おうのう)だとか登攀(とうはん)だとか。

 さしあたって思い付いた具体例は今の所これくらいですが、これらくらいならまあ、ルビさえ振れば後は字面と前後の文で理解してもらえるでしょう。

 つまり、難しい言葉は「意味を一目で類推出来るようにお膳立て」する事によって、始めて機能するのでしょう……と言うか、そうしなければ相手に伝わらないとも言いますか。

 私がこの話をするにあたって思い浮かべた作品も、そう言えば比較的平易な文章の中に、こうした気取った言葉がさりげなく混ざっていたな、と今にして思いました。

 耳慣れない言葉が一文にいくつも入っていると、確かに読みにくいです。 

「その大入道が超人的な膂力で放った擲(なぐ)りは颶風と化して大木を破砕したが、彼はそれでも己を未熟者だとして懊悩した。

 彼が自分の力に心驕を持っていると言うのは、私の誤謬であったようだ」

 うーん、いざ読みにくい文を意図的に書こうとするとこれはこれで難しい。

 素直に書くと、

「その大男が超人的な膂力で放った打撃は、突風のような勢いで大木を打ち砕いたが、彼はそれでも己を未熟だと思ってひどく悩んでいるようだ。

 彼が自分の力に思い上がりを持っていると言う私の考えは、どうやら間違いだったようだ」

 と言う感じでしょうか。

 あえて膂力の部分だけはそのままにしました。

 これくらいの配分なら、前後の文から類推出来るでしょうし、内容に興味を持って貰えているなら後で辞書を引くなりしてもらえるでしょう。


 最近、仕事で現場の応援に行く事が多いのですが、ちょっと他人との協調に難あり……と言う人が一人居ます。

 商品の検品を行う人がリアルタイムで前工程の人達に状況を伝達する仕事があります。

 そこで不良品が出たら、前工程の誰が失敗したか、おおよその見当を付けられるように指摘します。

(不良品が、製造ラインの右側から流れてきたのか、左側から流れてきたのかで、誰が失敗したかある程度は絞れます)

 その人が検品のポジションについたある日、突然、こう言って指摘し始めました。

「配電盤側から不良品が出ています」

 その人から見て右手の壁には、確かに配電盤があります。

 つまり「前工程の人達から見て左側で不良品が出たと思われる」と言う意味なのですが、現場の人達は揃って「は?」と言うリアクション。

 何故でしょう。言っている事に間違いはありません。むしろ、配電盤と言う明確な目印を定めているので、親切とさえ言えます。

 何故かと言うと、この現場において、検品側からの声かけには定型文があらかじめ用意されており、皆のなかで定着しているのです。

 この状況に対応する定型文は、

「左側から不良品が出ます」

 と言うものです。

 そこへ、その人個人が考えたイレギュラーな言葉が入り込むと「定型文を聞き取るモード」だった他の人達は意表を突かれ、混乱します。

 まして普通に仕事をしている分には配電盤など気に掛ける事は皆無で、ある事すら知らない人すら居ます。日本語を学習途上の外国人従業員も何人か居ます。

 私はまだ、その人に悩まされた事があまり無いのもあって精神的にゆとりがあり、素直に配電盤を探して判断しました。今後、同じ言い回しをされても即座に理解できるでしょう。

 しかし、その部署の人達は、その人と長年摩擦を起こし続けているため、もはや耳を傾ける気力が失われており「配電盤? 何言ってんの? はぁ?」で終わってしまうのです。

 このように、いくら親切で確実な言葉であっても、相手がそれを受け入れる体勢でなければ意味不明な文言と同じになってしまいます。

 あるいは「現在トラックの台数にして何台分の製品が仕上がったか」と確認する仕事があるとしましょう。

 トラックの半分程度の時に「半台分」と言う言葉で決まっているのなら、それ以外の言い方はイレギュラーになってしまいます。

 半台分と言うと「三台分」と聞き間違える危険がありますが、だからと言って「半台分」で定着している現場で誰かが勝手に「1/2台分」と言っても、やはり通じません。

 こと、リアルタイムでの迅速な行動中では、直感的に言葉を処理できる環境を維持しないと、作業につまずきが生じるのです。

 

 小説も同じと考えます。

 特にアクションシーンのような、スピーディな場面で難しい言葉を使うのであれば、なおの事。

 日常シーンなどの動きが緩いシーンであらかじめその語彙を定着させたり、前後の文で確実に類推して貰えるよう気を付けねばなりません。

 あるいはロッククライミングを描写するとして。

 一歩一歩、黙々と登攀している場面では重厚で印象的な文章を意識すると良いでしょう。

 しかし、落石に襲われて間一髪回避する……と言うようなシーンでは、考えるより感じさせる描写に切り替えた方が、読まれやすい事でしょう。

 

 文章とは詳細でも、わかりやすくても良いとも限りません。

 何事も「相手が聞く耳を持つか」「聞いて貰える環境を作れるか」ではないかと思います。

 どんな素晴らしい思想も、読まれなければ、怪文書や暗号文と同じです。

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