テレポート
光に包まれ、気付いたらそこは荘厳な雰囲気のお城だった。
あるいは、宿敵が主役の目前に突如現れる。
ワープ、テレポート、瞬間移動……呼び方は色々ですが、それなりにポピュラーな移動手段かと思われます。
まずは無粋な話から。
当然ですが、現代において人間や生き物のテレポートは実現し得ないとされています。
技術的な問題もそうなのですが、基本的に物(者)が移動すると言うのは、始点から終点へ線を結ぶように行われるものです。徒歩にしろ車にしろ飛行機にしろ、点から点へと位置が変わることはありません。
その人がその場から消滅し、別の新たな場所に現れれば「移動した」と言えるのか。
どこでもドアの怖い話などは、有名かと思われます。
ある人がどこでもドアをくぐった瞬間に分子構造をスキャンされると共に、入口で存在を抹消される。そして、出口側のどこでもドアがスキャンデータを元に「新しいその人」を新たに作り出す。
確かに、客観的に見ればその“ある人”は、どこでもドアの入口・出口と言う点から点へとテレポートしていると言えるでしょう。
しかし言うまでもなく、自分が死んで、自分と寸分の狂いもなく同じ分子構造の存在が作り出されたとしても、オリジナルの本人にとってはただの自殺行為でしかなく、無意味でしょう。
人間の自我には連続性と言うものがあります。
生まれてから、同一の自我でやってきたから、その人の現在があります。
自分と全く同じ情報であっても、別個体は別個体に過ぎません。
……と、一方で、どこでもドアの怖い話について調べていたら興味深い意見がありました。
「人間は毎日少しずつ分子構造が変わっている。赤ん坊の時と老人になった時の分子構造はまるで違う……と言う事は、例え一度粉微塵にされてから再構成されたとしても、同一人物と言って良い筈だ」
と言うものです。
個人的には、この考えには否定寄りなのですが、一理ある所もあるとは思います。
このように、自我の連続性ひとつとっても、その見解は人の数だけあります。
例えば「自分のクローン」は、ほぼ全ての人が自分と別個の存在だと言うでしょう。
しかし「自分の脳を移植した別人の身体は?」「一度死んで蘇った自分は?」などなど。
自分とは何か、と考え出すとかなりファジーな問題である事に直面します。
テレポートとは、単なる移動手段のみならず、突き詰めると哲学の範疇にまで問題が及んでしまうものなのです。
そう言う意味でも、人間のテレポート技術が出来たとしても、倫理面で揉めて当面実現できないのでは、と思います。
勿論、これもまったく現実に合わせて書く必要は何処にもありません。
どこでもドアの怖い話にしても、あくまで基盤が「物は線を結ぶ形でしか移動できない」と言う前提を支持しているからに過ぎません。
身も蓋もありませんが、点から点へと移動できる世界なんだ! としてしまえば良いのです。
あくまで同一人物としてワープさせたいと言うのならワームホールだとか「空間の歪み」だとか、人ではなく空間側の設定をいじくって理屈付けすれば良いのだと思います。
しかし、先のような無粋な事を考えてみるのも面白いものです。
テレポートが自分の死を意味するのであれば「目的の為にはそれを厭わない狂人」を書く余地も出てきます。
自我の在り方だとか哲学的な悩みを歯牙にもかけない人格と言うのは、なかなか大物だと思います。
オリジナルの宿敵が死んだとしても、全く同じコピー宿敵が新たに現れるのでは、主役にとっての脅威が消えたわけではありませんし。
思うに「目的の為に他人をどのように扱っても何も感じない」狂人よりも「自分がどうなっても何も感じない」狂人の方が恐ろしく、危険極まりなく感じられます。
通常、後者の方が圧倒的に理解に苦しむからでしょうか。
ちなみに私もかつて、自作でこの問題に手を出した事があります。
ただし、自分がテレポートするのではなく、敵対者をテレポートさせる事で目の前から消し去る目的でしたが。
そこから、主役が得た超越者としての力と、その残酷な能力を保身のために行使する責任、そしてテレポートさせられた側の自我に対する哲学的な苦悩だったりと、新たなドラマに繋げる事が出来たと思います。
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