名作や名言の罠

 心に残った偉人や作品に出てくる名言は、引用したくなるのが人情です。

 しかし、それらはあくまでも自分が考えた言葉では無いと言う事と、本当に引用するに相応しい場面かのTPOを熟慮する事が大切だと思います。

 特に後者、一見して「あの名言がハマる状況だ!」と思いたくなる場面でも、実は的外れになってしまう事が多々あります。

 名言ありきで物事があるのではなく、物事の結果、名言が生じる。

 当たり前の因果関係ですが、忘れがちでもあります。

 

 その昔、ネット上で口論のような事をしていた人達のやり取りを見ていたのですが、

「私は冷静に話しています」

 と言うのに対して、

「それを言った直後のガルマ・ザビ(機動戦士ガンダム)はどうなりましたか?」

 と言った人が居ました。

 別にその人がこれから戦争等で玉砕しにいく恐れがあるのであれば、あるいは的確な指摘なのかも知れませんが、現代日本で生きる限りそんな事は無いでしょう。

 勿論、冷静だと口にして居る人がその後に冷静ではない失敗をすると言うのはガンダムに限った話では無いのですが……ガルマとこの例の人では、当たり前ですが置かれた状況がまるっきり違います。(かたや命懸けの戦争、かたや失うものもないネットの口喧嘩)

 そもそも、そう言う普遍的な所を突っ込むのに、わざわざガンダムを引用する必要性がありません。

 真面目な討論をしているのですから、そこにアニメの話を持ち込むのも不誠実だと個人的には考えます。

 

 もう少し現実的な所でよく引用されるのが、かつてドイツの軍参謀だったハンス・フォン・ゼークトです。

 有能な働き者は参謀にすべし、有能な怠け者は指揮官にすべし、無能な怠け者は下級兵士か連絡役にすぺし、無能な働き者は処刑するしかない。

 と言う組織論を聞いた事がある方も多いのではないでしょうか。

 確かに軍の組織運営や戦略の考え方は、現代のビジネスや人間関係にも流用可能な所はあるかと思われます。

 しかし、厳密にはやはり違うものです。

 比較する組織の詳細な形態・構造次第では、必ずしも先人の理論が当て嵌まるとも限りません。

 本来は、両者の性質を良く吟味し、有効と判断した上で初めて引用とは行われるべきだと思います。

 個人的には「無能な怠け者は、働き者よりはマシ」と言う点は、現代には必ずしも当て嵌まらないと考えます。

 それこそ、軍隊のような規律と強制力のある場所でなければ、怠け者の尻を叩くのもうまく行きません。現代の企業などでは、誰かのヘマや怠惰が直ちに生死に関わるわけでも無いので、ゼークトが想定した状況とまるで違います。

 恐らく平和な状況下において、怠け者にはヒラも連絡役も手放しで任せられませんし、そもそも有能無能・働き者怠け者の四つに分類しきれません。

 

 歴史上にしろ、フィクションにしろ、他人の言葉を拝借するリスクとは、それに頼って思考停止を起こしがちなのが一つ。

 そしてもう一つは「余程当人の身になって深く考察しないと、その真意をわからないまま使ってしまう」事にもあると思います。

 風邪薬を用量のわからないまま、適当に飲んでしまう。

 もしくはブルドーザーを走行のさせ方しか知らないまま使うようなもの、と言えばどれ程の危険かがわかります。

 かくいう私も割と最近まで無頓着だったのですが、強い言葉には発した本人を酔わせる効果があります。

 それは時として、酒で悪酔いをして絡んでくる酔漢よりも性質の悪いものです。

 先に挙げたガルマを持ち出した人も、本来であればそれが的外れである事を冷静に分析出来るのに、口論の末に陶酔状態になってしまったのでしょう。

 言葉は他人を傷つける、とは良く言いますが、本人を前後不覚に陥らせる意味でも劇薬なのです。

 

 恐らく、自作品にガンダムだのジョジョだのラブクラフトだのの言葉を借りるような人はそう居ないと思いますが、

(歴史物や現実世界を舞台にした話での、偉人の引用はこの限りではありませんが)

 ある種、著作権のしがらみから解放されたコメント欄などでは結構散見されるように思います。

 前回取り上げた「SAN値」に対する誤謬もそうです。

 ブルドーザーや風邪薬には説明書きも同封出来ますが、名言はそうも行きません。

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