知る事の恐怖

 毎日の残業・山のような家事・テレビにじゃれつく猫。

 そんな三重苦の中、いつやれる暇があるのかもわからないのに、PS4のブラッドボーンを衝動買いしてしまいました。

 このゲームは19世紀のヨーロッパを舞台にしたゴシックホラーであり、近年何かと有名になったクトゥルフもののテイストが含まれたアクションRPG(死にゲー)です。

 

 さて、そんな世界観のゲームにおいて、プレイヤーキャラの能力値に“啓蒙”と言う項目があります。

 クトゥルフものに多少なりとも触れた事があると、嫌な予感がひしひしとするステータスですね。

 本来、啓蒙を得たり知識が増えると言う事は喜ばしい事の筈です。現実にしろゲームにしろ、知っている事が増えれば、何事においても打てる手が広がるわけですから。

 しかし、クトゥルフものの祖であるH.P.ラヴクラフトが提唱したジャンル“宇宙的恐怖(コズミックホラー)”において、人間の領分を超えた知識を得る事は破滅と紙一重だとしています。

 例えば、我々は「少なくとも明日、直ちに地球が爆発するわけではない」と言う常識のもとに生きています。

 しかしもしも、地球が超巨大な生き物の掌の中にあって、それがちょっと握られたら一巻の終わりと言う状況にあったら。

 それを確信してしまった人に、もう安息はありません。明日、巨大生物がうっかり拳を握ってしまう万一に怯えながら、一生を過ごす羽目になります。

 その知識さえなければ、彼(彼女)は平穏に生涯を送る事が出来た筈です。

 また、蟻に人間の知識を移植しても、狂い死にする事でしょう。いつ、何も知らない通行人に踏み潰されるか。いつ、公園の子供が巣にバケツの水をぶちまけるものか(神による大洪水)。

 そもそも我が身がいかに矮小な存在かを理解してしまった時点で、精神の均衡が保たれよう筈もありません。蟻は、蟻の世界しか知らないからこそ生きていけるのです。

 ちなみに、先述のブラッドボーンにおけるステータス“啓蒙”も、高いと色々と有利になる反面、貯まりすぎるとちょっと神話生物っぽいのにひとにらみされただけで狂死する硝子の心(メンタルスペランカー)になってしまうようです。

 一昔前のクトゥルフものの流行に伴って「SAN値(正気度)」なる用語も陽の目を見ましたが「化け物に遭遇してビックリしたから狂った」と認識している人が結構多いのでは無いでしょうか。

 しかし、それでは他のモンスターパニックと同じでしか無いのではと思います。恐らく、一度熊に遭遇して恐ろしい目に遭った事とは訳が違います。

 この辺は持論ではありますが「そんなもの(化け物)が存在すると、それまで信じてきた平穏が否定されるストレス」こそが、SAN値減少の原理ではないでしょうか。(TRPGでは神話知識が増えるとSAN値の最大値も減ります)

 また、外なる神のような存在に至っては、これまで人類の誰一人として知覚した事のない、ここで言語化不可能な(正しく名状し難い)概念を知ってしまったが故に精神が壊れてしまうのだと思います。

 人が外なる神を知覚すると言う事は、蟻が急に日向坂46が何であるか、戦列歩兵陣形が何であるか、マクドナルドが何であるかを理解してしまうようなものかも知れません。

 その蟻はもはや、蟻としては使い物にならなくなる事でしょう。

 狂気に順応して、自己保存の考えを保てていたなら、マクドナルドに莫大な栄養源がある事を理解して一生食うに困らないのかも知れませんが。

 これは、クトゥルフものに限らず、創作である「人と同じか、それに近い人格を持つ魔獣など」にも言えるかも知れません。

 最初からそう言う生き物であるから狂いはしないまでも、人とも獣とも違う第三のアイデンティティが生じそうです。

 

 ここまで極端な世界でないにしても、例えば現代ファンタジーで冴えない現代っ子が魔法に目覚めたり、その敵役としてモンスターが現れると言う状況は、充分発狂に値する状況では無いかと思います。

 科学で解明出来ない、人類が認知しきれていない概念が存在すると言う事は、それほどまでに恐ろしい事です。この世のどこかに「世界を滅ぼす隕石落とし魔法(詠唱なし・ノーコスト)」が存在する可能性だって否定できないし、そもそも想像の埒外な要因で世界を消し去る何らかの能力があり得るかも知れない。

 だからこそ皆、クトゥルフものの外なる“神”にせよ、超常存在を「“神”と言う一応の言及可能なもの」に納めたがるのかも知れません。

 

 もっと身近に言えば、例えば牡蠣で食あたりを起こした場合。

 私は幸いにして経験が無いのですが、二度と牡蠣が食べられなくなる人も居ると聞きました。

 要するに牡蠣がもたらす苦痛を真に理解してしまった為に、その人は食嗜好として、栄養源としての牡蠣を金輪際失ってしまったと言えるでしょう。

 また、起業して倒産するとどんな苦労が待っているか、そこに想像に至らない人の方が大胆な勝負をして成功するかも知れません。

 倒産した場合のデメリットに対して知識があったら、この人は成功しなかった事でしょう。

 身近な人間の汚い部分を目の当たりにした為に、人間を信じられなくなる事も、知ってしまったが故のアレルギーみたいなものでしょう。

 

 知らない事は時に危険であるが、真理に近づき過ぎても危険である。

 人はあくまでも「自分が知り得る未知」を知る事しか出来ないのかも知れません。

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