粗製濫造は何故起こるのだろう
ある作品がヒットすると、二匹目三匹目のどじょうを狙うかの如く似たような作品が乱立する。
粗製濫造と言うのは、古今東西絶えないものです。
今やマフィア小説の代名詞とも言えるゴッドファーザーが世に出た直後、各出版社は競って自社の作家にマフィア小説を書かせ、イナゴの如く市場を“自称マフィア小説の悪漢小説”まみれにしたそうです。(参考文献:ベストセラー小説の書き方 著:ディーン・R・クーンツ)
まさしく星の数ほど乱立した“自称マフィア小説の悪漢小説”の中で、クーンツ的に読むに堪えたのは(元祖のゴッドファーザーを除いては)たったの一作だったとか。
少年漫画におけるバトルもの路線なんかも、粗製濫造と言うのは適切かはわかりませんが、性質は近いと思います。
その昔「トーナメント(天下一武闘会の二番煎じ)やっとけば売れる」と言わんばかりに、猫も杓子もトーナメントが開催される時代もありました。
某「漫画家を題材にした漫画」において、主役が「バトルものに移行するか」と言う選択をナチュラルに提示していたのが印象的でした。
実際、それで成功した作品が結果的に多いのではないでしょうか。
ちょうどこれを書いている最中、二歳の息子に同じ動画の再生を何度も何度も何度も何度もせがまれていました。
そして、毎度同じ所でケタケタ笑うのです。飽きると言うことが無いようです。
絵本の読み聞かせでも、気に入ったページを繰り返し読むよう要求されることが多くなりました。
思うに、一度ウケたものと言うのは何度も繰り返し見たくなるのでしょう。二歳児ほど極端では無いにしても。
当然、全く同じ作品で一生楽しむことは出来ません。完結にせよ打ち切りにせよエタるにせよ、必ず終わりがやってきます。
すると、同じような要素を含んだ“別作品”を一から読みたくなる。
やはり“定番の面白さ”が求められるのでしょう。
しかし、この定番の面白さにも(先のゴッドファーザーの例のように)緩やかながら寿命があります。
大きく言えば、剣と魔法のファンタジーや銃撃戦とカーチェイスのアクションもまた、気の遠くなる数の模倣が繰り返されてきました。
この中で生き残ったのは、定番の面白さを余念無く分析し、新しいコンセプトや高いクオリティの描写を全うしたものなど“マイナーチェンジ”を真剣にやりきったものだけではないでしょうか。
これらは母数も多いため、ヒット作が膨大に出ているようには感じられますが。
繰り返しになりますが、その点ゴッドファーザーによって興り、ろくに芽を出さないまま衰退したマフィアものなどは、定番と粗製濫造の境界を知るには良い例なのかも知れません。
パイオニアのゴッドファーザー自体が、マフィア社会の取材と考証が膨大なもので、テンプレ(土台)自体を作るには不向きだった。その為に、後続で模倣しようとした時のハードルが高かったのかな? と思います。
結果、徒党を組んだアウトローがひたすら暴力を振るうだけの作品ばかりが出てきた=定番化も出来なかったので他の作家の分析も難航した。けど、マフィアものでないと波に乗れなかったり出版して貰えないので、わからないまま・妥協して書くしかない。
この辺りは先述の指南書を齧っただけの邪推ではありますが。
結局のところ、定番のものを安定して読みたい、と言うのも一つの需要であるから、供給が生まれざるを得ないのかな、と思います。
しかし、二匹目以降のどじょうこそ、捕まえるのに大きな努力と発想が要るものです。
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