読まれるにはどうしたものか? ネガティブ編
特に小説と言うのは、読んだ感想を貰うと言う「他人の手を借りなければ向上が極めて難しい」ものだと思います。
持てる力を出し切り、自分の中でどれだけの手応えがあろうとも、アクセス数2桁・感想ゼロなどと言う状態のまま膠着している限り、その作品が良いのか悪いのかすらもわかりません。
そんなわけで、とにもかくにも集客を、と言う所から始まるのも無理からぬ話ではあります。
これは恐らく今に始まった事では無いと思います。
まだ、このような小説投稿サイトなど存在せず、個人個人がWebサイトを持っていた時代から「読まれるにはまず交流から」と言う文化が形成されていました。
そしてこの頃から、読まれる人は読まれるし、読まれない人は読まれないと言う差は顕著でした。
私のサイトも一日に10アクセスもあれば良い方でした。
それなりの数の他サイト・および管理人と密な交流があり、毎話ごとに感想を入れたりもしていました。
この頃は本当に小説を始めたばかりで、先輩方の作品を純粋に楽しみ、そこから何かを学び取る為に感想を書いていました。
しかし、自分が毎回感想を書いているのだから見返りもあって良いだろう、と言う考えが無かったと言うと嘘になります。
「(前略)毎回感想を頂き感謝しています。こちらからも時間が取れれば聖竜の介(仮名)さんの作品を読みに行きたいとは思っています。機会があればいずれ」
と言う返信も頂きましたが、実際にこの方から感想を頂けた事はありません。
私の周りだけだったのかも知れませんが、当時のWeb小説書きは、絵描きと小説書きの二刀流でやってられる方が多く、私の作品に出てくる人物を描いて下さった方も居りました。
ただ、稀に感想が来たとしても、メインだった長編ではなく、短編作品に対してでした。
その数年後、自費出版を計画していた時に身近な友人知人に作品を配ったりもしました。
しかしこれも、読了を頂けたのは一人だけ。
付き合いの長い友人ですら、小説を読んで貰うと言う“重労働”に対してはこんなものです。
私の人望の問題と言われればそれまでですが、友人のうち一人は、逆に私が彼の商売を微力ながら手助けをした事もありますし、個人的に落ち目の時にも色々とフォローもしました。
これだけ恩着せがましい事を言えるのは、それが互いに許されるだけ親しい間柄であり、逆に私も(小説を読んで貰うと言う事を除いて)は沢山助けられて来た事を自覚しているからです。
ともかく、そんな彼の家でダヴィンチコードを見かけた時は「あ、渡した小説は放置で、これは読むんだ」と身勝手ながら思ったものです。
私のオツムでは、あの作品を読了するのにかなり労力を使ったので。
これ読むの大変だったろうな。それでも身近な人間が成功するかどうかの瀬戸際には協力出来ないんだ、と言う感じですね。
ちなみに、唯一読了し、かなり長期に渡って語り合ってくれた人にこの惨状を話した所、
「そりゃ、クソかも知れないのにわざわざ読まないでしょ」
とにべもなく言われました。
「友人が本腰入れて何かをしようと言う時に、端から見向きもしないのはどうなのか」
「だから、それで読んだ挙げ句クソかも知れないじゃん? 時間の無駄かも知れないリスクは誰も負いたくないよ」
と、噛み合わなかったのですが、今なら何となく言わんとしている事がわかる気がします。
少なくともこの人はきちんと最後まで読んで、感想を沢山くれたので、こう言われても腹は立ちませんでしたが。
まあ、そもそも読んでくれたからこそ、この人にだけ不満を話せたわけですが。
数回だけ、読み合いの自主企画と言うものがどんなものか、参加してみた事があります。
私が持ち込んだのはサイコブラック(18万文字)でした。
それに対し、私が読む側として選定した作品は5000文字ちょっとの短編だったり、長くとも5話で終わるようなものばかりでした。身勝手なものですね。
(※読み始めさえすれば純粋に楽しく読めた事を、一応フォローはします)
そして案の定、サイコブラックを企画経由で読んでくれた方はごく少数でした。
つまりは、そう言う事です。
書き手は、メインの作品を読んで貰いたい。
けれど読む立場になった時、あまり負担になるものは読みたくない。
また、それ以外でも私の作品に感想を下さった方が、たまに「僕の作品も良かったら読んでください」とURLを貼って行くこともありますが、今のところ、それをきっかけに読んだ事は一度もありません。
そしてこれは、作品の出来が良いとか悪いとかより以前にある問題なのです。
頼まれて読みに行く作品と言うのは、自分で選んだ作品ではない。
つまり、誰も他人の小説なんて理由無しには読みたくはないのです。
例えば私は、古本屋の100円コーナーで、何の予備知識も無く無作為に小説を買い漁る事があります。
けれどこれですらも「掘り出し物と言うサプライズを求めて」と言う理由があります。
かつてWebサイト時代の先輩にどれだけ感想を送ってもお返しが無かったのは、私の作品を読む時間で市販の本や、Webでももっと上のレベルの作品を読んだ方が自分の肉になるからでしょう。
今にして思えば、私だって「マサオはデザートイーグルを発砲した! パァン!」なんて小説を義務感で読みたくはないです。
ダヴィンチコードの友人がそれを持っていたのも、話題作だったから取り敢えずだとか、自分の読書歴に箔をつけるためとか、その辺りの筈です。
とにかく、誰かが小説を読むと言うことには必ず自発的な“動機”が要ります。
これは作者から押し売りをされてどうにかなるものではありません。
非常に厳しい問題です。
何の後ろ楯もなく小説を書き始めると言う事は、スタート地点でスライムとすらろくにエンカウントしないドラクエをやらされるようなものです。
経験を積まねばレベルアップ出来ないのに、経験値を得る要素が全く寄ってこない。
今回はネガティブ編と銘打ってあるように、次回はもう少しポジティブな観点から考えてみます。
(読んだ人がポジティブなものを得られるとは言ってない)
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