タイムリープ出来れば安泰?
※今回の話には「リプレイ(著:ケン・グリムウッド」の内容に触れる記述があります。御注意ください。
人生どん底にまで追い込まれた医師が中学生時代にタイムリープし、まず父を死なせた胃ガンを未然に発見。
ガンを見落とした医師に対して「これ胃炎と間違えたんですか? 勉強足りないのでは?」→「ぐぅぅぅッ……!」
……と言う漫画の広告を、最近ちょくちょく目にします。
直接全部読んだわけではないのですが、(少なくとも診察の描写を見るに)こう言う本格的な医療ものと思われる作品にまで“酔っぱらいの武勇伝”みたいな流れの話が浸透しているのは複雑な気分になります。
とは言え、その辺の事は今回の話には関係ありません。
タイトルの通り、タイムリープやタイムスリップが実現したら本当に全てがうまく行くのかを考えていきます。
例によって科学的な知識は無いに等しい、素人のどんぶり勘定でやっていきますのでご了承下さい。
80年代には既に、タイムリープを題材としたループもの小説が書かれています。
「リプレイ」と言う作品では、もしも中年の記憶を持ったまま18歳に戻ったなら、と言う、誰しも考えるであろうやり直しの様子がまず描かれます。
歴史的万馬券の購入や、スティーブ・ジョブズの青田買いなど。時間を巻き戻せたなら、と言う仮定で皆がおよそ考えるであろう願望は真っ先に叶えられます。
そして一週目の人生では子宝に恵まれず、妻との関係も芳しくなかった彼は、別の女性と結婚してひとり娘をもうけます。
そこで起こる、二度目のタイムリープ。
主人公は再び18歳の時代に戻されます。
そこで悟ります。
タイムリープは不随意に起こるものである事。
そして何より、二週目で生まれ、育てた娘が二度とこの世には生まれ来ない事を。
三週目の人生で同じ女性と出会い、結婚すれば、元の鞘に収まるのか? 勿論、答えはノーです。
そもそも、同じ人と出会い直せるかすらも不確かです。
私なら、とりあえず二週目の行動をトレースして生きようと試みるでしょうが、全てを覚えていよう筈もありません。
例え○年○月○日には何処へ行って何をしたか、と言うことを全て踏襲できたとしても、それは「人間の視点から見たスケジュール」です。
何日の何時何分何秒に歩くとき、右の足を先に出したか左の足を先に出したか。何回呼吸したか。
それが一つでも狂えば、もうこの世の事象が前回の世界とは違ってきます。
なにか一つ狂えば、相手の女性にとって前回実らなかった別の恋愛が成就してしまうかも知れない。
首尾よく自分と彼女が交際出来たとしても、別れるかどうかの瀬戸際だった出来事の結果が悪い方向に転んで破局するかも知れない。
バタフライエフェクト、と言う言葉は有名かと思われます。
もっと身近に言えば、風が吹けば桶屋が儲かる。
この世の全ての事柄は非常に緻密に絡み合っており、例えば、ある蝶の羽ばたきが一回多かったか少なかったかだけでも、遥か遠くの国でハリケーンが起こったか起こらなかったかと言う結果に影響が出ると言う考え方です。
タイムリープが実現した場合、まず、その人の脳の記憶を司る部分にもはや物質的な変化が生じています。
私は、先に挙げた万馬券やジョブズの青田買いすらに対しても懐疑的です。
鼻先の差で勝利した馬の、ある瞬間の歩幅が前回とは違って逆に僅差で負けるかも知れない。
前回はジョブズを評価した人の、ほんの少しの思考の揺らぎで、今回は彼のアイデアが陽の目を見ないかも知れない。正史と違う状況では、ジョブズ自身が同じアイデアを得ないかも知れない。
まあ、そこまでガチガチに考えることは無いかも知れません。
それにした所で、同じ相手に同じ言葉を掛けて、同じ風に受け取られるとは限りません。機嫌の良かった昨日と、機嫌の悪い今日では、対応が変わるでしょう。
前回と同じ女性と別の形で出会い、やはり結婚まで行く事は充分に可能でしょう。そうすれば、また同じ相手と子をもうける事も出来る。
しかし、二週目の娘を取り戻す事は絶対に不可能でしょう。
私達とて、生まれて来たのは天文学的確率の偶然を引き当てたからに過ぎません。
それぞれの親が、それまでの人生の何処かで呼吸を一回余計にしていたなら(あるいは、ある瞬間の歩く早さが僅かでも違っていたなら)生まれていなかった筈です。
両親の出会う日が1日ずれでもしたら、もはや絶望的です。
普通なら結果論・机上の空論なのですが、タイムリープの実現とはそのifにも目を向けねばならないことなのです。
そんなわけで、タイムリープとは、巻き戻った瞬間から後の事に関しては何一つ再現性が無いものです。
正直なところ、全く同じ出来事が起こる確率の方が無いに等しいでしょう。
創作の世界だから話の展開に都合の悪い条理などいくらでもねじ曲げられる、と思っていると、いずれ矛盾やご都合主義の壁にぶち当たります。
逆に「前回起きた事は、次週も同じ結果になるよう因果が収束する」と言う考え方もありますが、何もかも同じ結果になるのなら、物語として書く意味は薄いかと思われます。
決まった結末に対して何ら抵抗出来ない事を意味するので。
収束のルールが部分的に適用され、未来を変えられなくもないと言うパターンが物語としては妥当だし、実例も多々ありますが……そのルール決めも人間の主観の域を出ず、納得させるのは相当難しいと思います。
あらゆる出来事の中の、何が収束されるべき大事で、何が改変可能な些事なのか? と。
創作としても自分の身に起きたらと言う仮定としても、タイムリープほど恐ろしいものは無いと私は思います。
決して、一発逆転のチャンスなどでは無い。
敢えてそうしたご都合主義を書くにしても、この事実を頭の片隅に置いておくだけで、かなり違うとは思います。
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