奴隷制の破壊
私事ですが、様々な意図から、我が家に猫を迎え入れる方向で現在動いています。
野良猫を拾って保護している里親募集や保護猫カフェを可能な範囲で巡って居ます。
さて、これが今回、当創作論で“奴隷”について考えるに至ったきっかけ・その2になります。
人間からも猫からも批難を浴びそうですが、誤解を恐れずに言うと、私は現代で猫を家に迎え入れる事は「精神的充足を目的として奴隷を得る事と、社会的には同じ」では無いかと考えます。
私には、幼少期から成人するまで共に暮らした猫が居ました。
死ぬ三日前までは家のあちこちを跳び跳ねて元気でしたが、それが急に動かなくなり、17歳(人間で言えば90歳くらい)の生涯を老衰で終えました。
完全室内飼いだったので、外の世界を見て回る可能性をこちらのエゴで摘んでいたとは思います。
一方で、衣食住に関してはセレブと言うか王侯貴族のような待遇だったとは思います。自分で言うのも何ですが。
ご飯は専らシーバの(高い)カリカリでないと認められず、たまに品切れなどの事情でそれが手に入らず妥協して買ってきたものは決して口にしませんでした。
外敵にも車にも感染症にも脅かされる事はなく、好きな時に遊んで好きな時に寝ていられる。
これと野良の自由と、どちらが真に幸福なのかはわかりませんし、あるいは一長一短と言う事なのかもしれません。
今回、里親募集や保護猫カフェを回って感じたのが里親に認められる条件が異様に厳しいと言う事でした。
極まった所だと勤務先に身元確認の電話を掛けたり、給料明細の開示を求められる事もあるそうです。
最も象徴的だと感じたのが「独身は駄目だが、小さな子供の居る家庭も駄目」と言う条件でした。
一見して矛盾しているこの条件は、里親募集のテンプレートとしてかなりポピュラーなようです。
先日、保護猫カフェにて、私達一家としては良縁に思える出会いがありました。
入店した間が悪かったのか、ほとんどの子が構ってくれなかった中、その子とは非常に馬が合い、子供とも遊んでくれました。
しかし、店主と話し合った所、どうも「小さな子供が居る」と言う一点で、最後まで承諾頂けませんでした。
先に述べた通り、私には生まれてから死ぬまでを見届けた経験があります。親が主導で飼っていたのを含めれば三匹。
店主が提示してきた絶対条件(完全室内飼い・脱出防止ゲート設置・ゲージに入れっぱなしにしない・キャットタワーの設置などなど)も全てクリア出来ますし、そもそも言われるまでも無い事だと思える程度には心得があります。
その上で「でも子供が小さいと……」「猫の命を20年近くとも預かると言うことです。見た目ほど簡単ではありません」などと尚も言われると、流石にお手上げでした。
虐待や里親詐欺、飼育放棄を絶対に防がなければならない使命感と言うのはもっともなのですが、果たしてそこまで里親を厳選する事が当の猫達に良い事なのか? と言うことです。
非情な現実として、皆基本的に仔猫の時分から育てたいと思っているものです。里親志望者を弾いて年を取るほどに、引き取られる目は無くなっていきます。
さて、こうした場所で必ずと言って良いほどセットで付いてくるのが、ペットショップやブリーダーと言う生体販売の話題です。
生体販売によって猫をお金で購入出来る事で、気軽に猫を飼い、大変だとわかると簡単に捨ててしまう。
商品扱いだから、売れ残った子は“廃棄”されてしまう。
身寄りの無い猫が出てしまう原因は生体販売だ……と言うのが彼らの主張であるようです。
実際、私が行った保護猫カフェでは、最も目立つ場所に「生体販売根絶」のチラシが置いてありました。
しかし。
「独身ではなく、尚且つ、子供も小さくない」
この狭き門を潜れなかった人達が、どうしても猫が欲しいとなると、何処へ行けば良いのか。
それこそペットショップしか無いのです。
また、イオンペットなどは限られたスペースの中でも犬や猫がストレスを感じないような環境作りが徹底されています。
何故なら、そこに金銭と、大手ショップとしての社会的評価と言う責任が発生しているからです。
ペットショップには、動物を新しい家に送り出すまでの責任に社運と生活が懸かっています。
ストレスで病気になった犬猫ばかりを売る店は信頼を損ね、お客は他のお店へと移ってしまう。
これを昨今の小説における奴隷市場に置き換えてみると、やはり同じでは無いでしょうか。
また、過去に立ち寄った別の保護猫カフェでは店主に知識が全く無かったのか、去勢・避妊もせずに猫達が「自然のままに」放置されていました。
結果、里親募集の仔猫がどんどん増えて行っている有り様でした。
確かに広々とした部屋でのんびりくつろいでいましたが、未去勢の猫がやるスプレーと言う行為も放置されていた為に異臭がひどく、あれでは早晩病気になる猫が出かねないと思います。
無論、これらの例はペットショップの中でも“上澄み”であり、保護猫活動の中でも“底辺”の部類でしょうから、劣悪な環境のショップも世の中には存在することも併記しておきます。
ほぼ非営利で保護活動をなさっている方々を否定する意図も(資格も)ありません。
さて、前置きが長くなりましたが、奴隷市場などの既に経済として走ってしまっている事柄を即物的に破壊するとどうなるか。
一部の活動家が主張する「生体販売の根絶」から見てみます。
まず少なくとも「その代に販売されていた猫の大半が路頭に迷う」と言う事でしょう。
その子達の里親になれるのも「既婚で若くて異性愛者だが子供は居ない」と言う選ばれた人だけなので、放逐された猫の大半は保護猫施設をパンクさせるか、違法投棄で野に下るか、保健所に入って殺処分となるか、でしょう。
未来の世直しの為には、今、犠牲を大量に出しても仕方がない。そうした自覚と覚悟があれば、私は否定しません。
創作における奴隷にした所で、需要と供給をしっかり書く程に、このジレンマに必ずぶつかる事となりましょう。
生体販売にせよ、プラトニックな関係を求めて奴隷商から美少女を買うにせよ「愛情の始まりを金で買う」と言う事実からは逃れられません。
私はイエネコを、家族ではあるが人間ではないと言う認識でいます。玉葱やチョコなんか、彼らにとっては猛毒なわけですから。
そして今回、我が家は血統書の無い日本猫が欲しいというエゴから、ペットショップではなく里親募集で猫を探し続けるつもりです。
そして、その選定には、好みの毛並みだとか顔立ちだとか性格だとかのエゴも絡んでくるでしょう。(長毛種なんかは日々の手入れが非常に大変です)
ちょうど、特定の作品で頻出する「都合よく売買の現場に居合わせたら好みにドンピシャな美少女に遭遇したので買ったり強奪する転生者」のように。
しかし、最終的な絆が本物であれば、それはそれで有りなのだと思います。
何事も、出会いのきっかけなど割りといい加減で即物的なものではあります。
問題はそれ以降と結末に向けて共感できるものが描けるか、でしょうか。
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