自分の為だけに書かれた作品

 何のために小説を書くか、と言うのは人それぞれ千差万別です。

 プロを目指して生活の糧とする為、評価と感想を得る為、コミュニティに参加する(人間関係も込みの目的の)為、などなど。

 いずれにせよ、小説とはその性質上、他者に読まれなければ結果がわからないと考えます。

 あらゆる分野において、研鑽とはトライアンドエラーでもあります。

 感想をフィードバックしない事には読む人との擦り合わせも難しく、「読まれる作品としての」ステップアップもままならない。

 この点は陶芸や絵画等にも言える事かも知れませんが、基本的には動機が何であれ「読まれる為に書く」ものではありましょう。

 

 とは言え、世の中には読まれる事を全く想定せずに書かれた作品もあります。

 自分の為だけに書かれた作品、と言うと、やはり「非現実の王国で」が思い浮かびます。

 例によって詳細は各自お好きなようにググって頂くとして。

 この作品は、アメリカのある一個人が19歳から81歳で亡くなるまで、誰にも読ませること無く書き留めた挿し絵つき小説です。

 流石に60年間日課にしていただけあり、頁数にして15,000ページにもおよび、一個人の作品としては最長と言って良いでしょう。

 この作品の存在は、作者が高齢のため施設に入るにあたり、元住んでいたアパートを引き払う事になった時、大家によって見出されました。

 そして、この地味に前代未聞な経緯を辿った作品は方々で評価され、様々な物議を醸し出したそうです。

 内容としては、子供を奴隷にする悪の国と7人の少女の対決を描いた古典的なファンタジーです。

 拷問や人体欠損、子供の裸体などが無制限に書かれているのは、自明の理と言った所でしょう。

 作者自身が将校として登場し、少女達を助けたり、かと思えば殺戮する側に回る。また、結末も「少女達が勝利して大団円」に終わったかと思えば「少女達が死んで悪の国の天下が始まるバッドエンド」も同時に書かれており、当たり前の整合性を欠いています。

 これもまた「自分一人を納得させれば良い」と言う状況無くしては生まれないストーリーだった事でしょう。

 挿し絵の面でも、新聞や雑誌の切り抜いたものを組み合わせるなど、およそ人に読ませる前提では思い付かないであろう手法が取られています。

 このコラージュと言う手段と、誰の教えにも染まっていない本人固有の色彩感覚とが奇跡的にマッチした結果、絵画に明るい方々を唸らせるほどの絵が誕生したようです。

 作者には「虐げられる子供の味方でありたい」と言う願望があったとも言います。それが、悪の国と戦う少女達のルーツであるそうです。

 その闘争を自分の肉眼で見る為に、作者自身の頭の中を具現化する、最適解の手法をひたすら模索した結果なのかもしれない……と言うとロマンチストに過ぎるでしょうか。

「自分の為だけに書き続け、それが半世紀以上も継続された」なおかつ「その結果、芸術界隈に一石を投じ得る境地が生まれていた」と言う現象を示した。

 この極めて稀な、大袈裟かも知れませんが歴史的変動こそが、この話の本質である気がします。

 

 この作品はつまるところ、誰にも見せない前提の黒歴史ノートのようなものでもあり、正直、私はこれまで、この作品を取り上げる事を躊躇していました。

 いくらポジティブな評価とは言え、見せるつもりの無かった作品が自分の手を離れ、世界規模で取り沙汰される……自分だったらと思うとぞっとしますし、話題にする事自体がそれに荷担してしまうのでは無いか? と思ってしまうからです。

 彼の死後、当時の大家を筆頭とした他者がこぞって

議論を戦わせ、彼を「アーティストだ」と持ち上げて来た事自体にも個人的には違和感を覚えます。

 とは言え作品が部屋に残っているのを承知で大家(自身もアーティストであった)に全てを委ねたこと、作品が見出だされた時に本人の残した「今更だ。もう遅い」と言うコメントから、どこかで陽の目を見る事を望んでもいたのかな? とも思い直しました。(都合の良い解釈かも知れませんが)

 もしかすると、アウトサイダーアートとして認知されている作品の何倍も、世の中には人目に全く触れていない作品が、まだまだある・あったのかも知れません。

 

 現在は、このカクヨムのように、誰でも自作を発表出来る場があります。

 市販されるか消えるかの二択では無くなっていますし、逆に、だからこそ埋もれてしまう作品も出てくる筈です。

 このような境地が生まれ、見出される可能性は、今後ますます無くなって行くでしょう。

 もしも、「非現実の王国で」が書かれた時にネットが普及していたなら、これほど強烈な個性を持つ作品にはならなかったのかも知れません。

 事実、落ち着いて見ると、大筋のプロットそれ自体は王道そのものだろうと感じます。

 この作品は世の中から断絶された隠者によって書かれたような言い方をされがちですが、それはアウトプット(出力)に限った話であり、作品の着想を得るインプット(入力)としては、やはり世に流通している作品があったようです。

 例えば、作者の部屋からは自作品の他にも、オズの魔法使いも見つかったと言いますし。

 当たり前ですが、インプットすらも世の中から断絶していたなら、それはもはや物語の体をなしていない……と言うか全く他人の創作物に触れずに生きるのは不可能です。

 

 自分の為だけに書かれた作品には、人に読ませる為に書く人間には出来ない芸当、たどり着けない境地があります。

 けれど、人目に触れなければと欲を出すあまり、初志を忘れがちな現代。

「非現実の王国で」が生まれた経緯から、何か、人目に触れてほしい私達にでも掴めるものがないか、今一度考えてみたいものです。

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