運(補足)

 前回、運や偶然について書き漏らしたり、後で思い付いた事を殴り書きします。

 

・ご都合主義は悲劇にも適用される

 わざわざ書くまでもない気はしましたが……。

 前回述べた「結末に都合の良い偶然」は、成功ストーリーの為に主人公が幸運に恵まれる事ばかりではありません。

 逆に、バッドエンドを目指している場合、その為に都合の良いのは「不幸な偶然」の方ですね。

 

・幸運や不運が同じ方向で続くと作為を感じる

 人はどこかでバランスを取りたがるものなのかも知れません。

 現実なら、それこそ宝くじの高額当選を連続で当ててもすんなり信じられますが、物語でそれをやると作為に受け取られます。

(実際、私はある時期にちょっとした不運が連続したのですが、呪いや因果や祟りのような超自然の何かを信じそうになりました)

 ある意味でリアルを描いた筈なのに。

 と、考えると、ここでも現実世界と小説は性質が違うとわかります。

 前回、例に出した「戦場の大雨」のように、不運の後に幸運が来る。そして、その二つは因果で繋がっていると、まだ納得されやすいのではと思います。

(大雨がもとで主人公は一度負けたが、後日、それで増水した川によって今度は主人公が勝つ)

 更に考えると、最初の不運と後の幸運の間を出来るだけ空けると、なお伏線として受け入れられやすいかも知れません?


・運には連続性がある

 これも、先述の「戦場の大雨」と理屈は同じですね。

 シンデレラを例にとると、自分をいじめるような継母に出会ったのは不運です。

 しかしその後、義姉達が彼女をイビる口実の一つ一つが発生した事は継母と出会った不運と連続していますから、当たり前ですがこれも都合の良い連続とは言えないでしょう。

 継母と出会ったのが不幸なのか?

 継母と出会っていじめられる日々が続く状況が不幸なのか?

 継母と出会っていじめられる日々が続く中で魔女の同情を得た事で王子に近付けた事を幸運と見るか?

 運や偶然とは、どこの視点から見るのが大切な気がします。


・誰かの運と別の誰かの運は繋がっている

 これも当たり前ですが、立場が対立していると、相手の幸運がそのまま自分の不運になります。

(一時的に利害が一致するなどの変化球もあり得ますが)

 餓死しそうなチーターが、たまたまあった草むらのせいで、至近距離まで迷い込んだウサギを見落としたとしたら。

 チーターの一生は飢え死にという最悪の幕切れになりますが、ウサギは九死に一生を得た事になります。

 とりわけ人間社会で、複数の組織や国家まで絡み出すと、その相関関係の把握すら困難になるほどです。

 

・スタート地点の運、不運は作為と見なされにくい

 先のシンデレラの例では、継母にいじめられている状況がないと、そもそも話が始まりません。

 要は偶然の“起こった瞬間”がどこなのか、どうなのかも大事なのかも知れません。

 

・予想可能な偶然は大体起きない

 車にはねられて怪我をしやしないか、不安に思っている時ほどそんな偶然は起きません。

 物語でも、現実でも。

 およそ不幸な偶然と言うものは、夢にも思っていなかった所に降り掛かります。

 もしも予想した通りの不幸が降り掛かったのなら、そうなる材料が随所に存在する“必然”でしょう。

 車にはねられたらどうしよう、と不安に感じている人間に襲い掛かるとしたら、落石や熊との遭遇、財布の紛失などでは無いでしょうか。

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