敵幹部は一人ずつ襲ってくるのか?

 四天王や幹部などと言った、敵陣営の上位数名の名あり人物は、物語の山場を迎えるにあたり、作品に強力な貢献をしてくれる事でしょう。

 ただそれだけ、これまでの敵とは圧倒的に格の違う強さも必要になってくると思います。

 大抵、主人公達が彼等に手の届く所まで来るまでにも、充分強力なライバル・宿敵と戦い、苦戦して来たはず。

 それらの死闘で一杯一杯だった主人公達に対して更なる駄目押しをするのが、敵幹部の役目では無いでしょうか。

 

 しかし、個人的に疑問に思っていた事があります。

 敵幹部は、必ず一人ずつ襲って来なければならないのか? と言う事です。

 一人ずつ襲って来る背景・理由付け自体は簡単でしょう。

 大抵は組織内で偉い立場にあるでしょうし、それぞれに持ち場があれば、幹部同士が同じ場所に居るとも限らない。

 しかし、大事なのは「一人ずつ襲って来る事の合理性」ではなく「どちらが面白いか・作品に適しているか」

 ざっと思い付く限り、それぞれのメリットデメリットを考えてみます。

 

 まず「一人ずつ襲って来る」パターン。

・物語の進行状況が伝えやすい

 例えば四天王であれば決戦が最低4回あると予想できます。近頃では最後の一人を下したあと、真の黒幕が出てくるのが主流でしょうか。

 私の「覚醒す」ではヨハネ黙示録の四騎士になぞらえた仇役が順に出てきますが、まさしくこのパターンです。

 ヨハネ黙示録を知っている、もしくは女神転生系のゲームをやった事があれば、四騎士を下した後に何が待っているかも何となく想像出来るでしょう。

 予測しやすい展開と言うのは、先への期待を持たせたりミスリードに利用する余地があると言う事でもあります。

 反面、やはり「順番に襲って来る」と言うのはどこかルーチン的で、単調になりがちではあります。

 どこかで、小さな奇をてらう必要はあるかも知れません。

・(主役側の戦力にもよるが)不自然に強くなる、パワーバランスが想定外になりやすい

 名無しの一般兵を率いている場合もありましょうが、単騎で主人公達に挑んでくる場合は注意が要りそうです。

(名無しの雑兵も、名前ありの戦力に比べたら、読み手から“戦力”だと認識されづらいのにも留意が必要です)

 それだけ幹部側の強大さを表現は出来ますが、裏を返せば「主人公側がたった一人を相手に一杯一杯になる程度に弱く見られる」リスクも生じます。

 戦力評価の指標としてランチェスターの法則と言うものがあります。

 基本的に部隊の戦力(の被我の減り具合)は、質と量の掛け算からなると言う話ですが、これには更に剣や弓が主流となる旧時代(一次法則)と、フルオートの銃器や爆撃が主流となる近代(二次法則)があります。

 一次法則は、突き詰めれば一対一の斬り合い撃ち合いの連続ですが、二次法則では言い換えれば“範囲攻撃”による一対多の被害が生じます。

 とりわけ二次法則の戦いとなると人数の多さが、お互いの戦死・脱落の生じる確率に大きく作用します。

 魔法攻撃が存在するファンタジーであれば(魔法使いの人数と魔法の質にも左右しますが)二次法則の色合いが強くなる事でしょう。

 剣と魔法、と言う世界観は、一次法則と二次法則が目まぐるしく入り交じる状況でもあるかも知れません。

 ここまで意識する必要があるかは作品にもよりますが、単騎の人物が猛威を振るうワンマンアーミーな状況と言うのは、逆説的に、人数が多い側を無能・噛ませ犬にさせてしまう事も意味します。

 それが意図したパワーバランスであるなら良いのですが、主役を敵幹部より格下にしたくない場合は一考が要ります。

 

 次に「集団戦になる」パターン。

・役割分担によって個性を強調しやすい

 戦い方ひとつ取っても一人一人の個性が出ます。

 わかりやすい所では、巨大な武器や鍛えた肉体を恃みに戦う前衛には豪快、剛胆な魅力があるでしょう。

 そして、そんな前衛を飛び道具や魔法で援護する後衛とのチームプレイは、それ自体にドラマが詰まっています。

 それだけ息の合ったコンビネーションを出来るようになるまでの関係性(逆に、プライベートで仲が悪い事とのギャップなど)など、人物は集団単位で描写する事で個々の魅力も補強されると考えます。

・場合によっては視点の制御が大変

 名無しの雑兵は「部隊と言う塊」の単位でまとめて動かしやすいのですが、一人一人の個性が強い名ありの人物は、そうもいきません。

 一人称視点であれば、この点は比較的楽だとは思います。しかし、どうしても文量がかさばるのは避けられないでしょう。

 これが三人称となると、フォーカスを合わせるべき人物が目まぐるしく変わる事となります。

 ここは映像作品に比べて、小説の不利な点と言えるでしょう。

・決着の付け方次第では名あり人物がいっぺんに退場する

 これは良し悪しだと思います。

 名前あり人物の大盤振る舞いは、それだけ山場を盛り上げてくれる事でしょう。

 強敵が一気に複数人退場すると言う状況も、メリハリと言う点ではありだと思います。

 かつて格闘ゲームのキングオブファイターズにおいて、

 日本神話をモチーフとした話で、三種の神器になぞらえた主役達とオロチの八頭になぞらえた敵役との対決が主なのですが、

 96年のラスボスとして一人目が現れ、毎年一人ずつ出てくるものだと思っていたら、97年に残り全部が現れて決着、と言う大胆な展開に驚かされました。

 私の作品では「サイコブラック」の終盤に出てくる戦隊がそれに近いものがあります。

 サイコホワイトと言う主人公・ブラックの対極にありそうなカラーリングの敵が、実は赤青黄ピンク白の5人組の一人だった、と言う。

 とにかく、人物のリタイアも計画的に、と言った所でしょうか。

 そもそも一気に敵幹部が減って困るような人が、集団戦にする事もそうそう無さそうですが……。

 ちなみに、敵味方誰も死なずに退却するやり方もあるとは思いますが……ダレやすいのは言うまでもないでしょう。

 

 こうして考えてみると、一人ずつ来るのも集団で来るのも、なかなか甲乙つけがたい。

 そもそも小説に悪手、禁じ手は無いとは思いますが……やはり自分の書くものに合致しているか、でしょうか。

 個人的には集団で来る方がやはり好きなのですが。

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