知らないという事の価値
物語の結末やからくりを“知らない”と言うのは初見の一回きりの機会でありましょう。
一度読了された作品と言うのは、その点で価値を変えています。
それは「真相がわかったからもう読まなくて良い」かも知れないし「真相がわかったら見え方が全然違う、もう一度読んでみよう」かも知れない。
私は極力、後者になるよう頑張るようにしています。
とは言え実行出来ているのは「サイコシルバー」「覚醒す」「自己愛性こども拐い」「毒食グルメ」くらいなのですが。
基本を大切に、順当に伏線を張ってきちんと回収すれば、本当につまらない物語もそうそう出来ないとは思うのですが……もう一歩踏み込んだ驚きを与えたいなら、2度見してしまうかどうかは、一つの尺度だと思います。
理屈では当たり前ですが、この“初見の価値”って結構忘れてしまいがちです。
もう一歩踏み込んだ事例を。
某作品で、前後編にわかれていたのですが、前編と後編の間に、ある人物の正体がわかる過去編が挟まれていました。
そして後書きには「この過去編を前編の前に読むか、素直にそのまま真ん中で読むか、後編まで読み終えてから読むかは読者に委ねられている。
しかし、内容を知ってしまえば、その選択は二度と出来ない。とありました。
(例えば前編の前に読めば、後編まで読み終えてから読むと言う経験は二度と出来ない)」
その人物の素性がわかっても、わからなくても、本編の面白さは変わりません。
けれど、印象はがらりと変わってきます。
これこそ“知らない”事の価値を生かした、シンプルだけど一歩踏み込んだ仕掛けでは無いでしょうか。
私は素直に出された順で(前編→過去編→後編の順に)読んだのですが、終盤、その人物がどんな思いを持って戦っているのか、より深く感慨を持てたと思います。
逆にその人物の正体が判明した時の意外性は味わえませんでした。先に読んだ過去編でネタバレされているのですから。
後編の後に過去編を読んだ人なら、このメリット・デメリットが逆になるでしょう。
前編の前に読んだ人なら、この人物に胡散臭さを感じる事が出来なくなるが「あの彼がここでこう動くか」とニヤリと出来る場面が生じます。
裏を返せば、つまらない作品の条件のひとつは「知っている事しか書いてない」「難解すぎて、知る・知らない以前の次元」なのかも知れません。
ここで言う知っている事と言うのは「確かに知らなかった。でも、それがどうした」と言う感想も込みです。
もっと言えば「種を知らない状態と知っている状態とのギャップの深さ」でしょうか。
仮に物語の意外性自体はいまいちでも、よほど過去や背景を知りたくて仕方ない程に魅力的な人物を描けたら、それもまた「知りたい→知った上でもう一度同じ場面を追いたい」と思わせられるのかも知れません。
二度読まれる作品を心掛けて行きたいものです。
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