ゲーム要素の罠

 休日、何か子供に見せる番組はやってないかと、Eテレを点けてみたら、近頃のファンタジーものとおぼしきアニメがやっていましたが、

「皆、MPを温存して総攻撃!」

 と音頭を取ってらっしゃったシーンでした。

「人はHPが1残ってれば元気に動ける」などと覚えられては悪影響なので、チャンネルを変えましたが。

(真面目な話、年齢的にわけわからんだろうと思ったからですが)

 しかしEテレでMPを温存しながらダンジョンを攻略しているアニメが流れるとは……驚きです。

 まさしく「魚は切り身で泳いでいる」的な世の中になりはしないか心配です。

 

 別項「ステータス・パラメータの是非」でも触れましたが、数値化それ自体は必ずしも悪手ではないと思います。

 例えばHPが0になれば死ぬ問答無用さをうまく描けるなら、もしくは、MPと言うリソース観念とそれによる戦術の移り変わりをきっちり描けるなら、そして新しい世界観の境地がそれで拓けるならありでは無いでしょうか。

 死の基準が無機質な数値で決定されてしまうデスゲームなど、血の流れないからこそ生身の殺し合いにはないうすら寒さを表現する余地もあるかも知れません。

 しかしながら、大半は描写を横着するに留まっているのが現状では無いでしょうか。

 

 思うにHP・MPとはそもそも、テレビゲームと言う媒体だから採用せざるを得ないパラメータだと思います。(もっと遡ればテーブルトークRPGとかになるのでしょうけど、私自身がその辺の分野に明るくないので割愛します)

 例えばドラクエやウィザードリィのダメージ表記が「出血量・切創箇所・内臓の損傷・骨の損傷」などという要素が複雑に絡み合ったものだと、みんな投げ出していた事でしょう。

 つまりテレビゲームと言う媒体ではHPと言う簡略化した数値を「使わねば成り立たない」事情があるのです。

 ゲーム要素をそのまま小説に引っ張って来ると言うのは、こうした罠が沢山あることも意味するのです。

 これも別項「モンスター」の繰り返しになりますが、主人公側のワンサイドゲーム、いわゆる“雑魚狩り”が面白いのもゲームだけであって、小説でやっても冗長になります。

 ゲームのそれが面白いのは、レベルが上がったりアイテムが手に入ったりするから。“報酬”があるからですね。

 

 あとはゲームにおける“闇属性”の攻撃なんかも、よくよく考えると謎だらけですよね。

 大抵、黒いモヤが出たり黒いエネルギー体が炸裂したりして、被害者が大ダメージを受ける。

 けどそれは「どんな風に痛いの?」と疑問になります。

 特に、闇の炎なんかだと、普通の火炎(燃焼、爆燃)とどう被害の質が違うのか? 耐火服などで軽減できても良さそうですが、大抵、炎とは住み分けされてますよね。

 やはり、順当に言えば“毒”や“劇物”に近い作用をするのでしょうか。

 または、光源があると発動させられない制約がある技が“闇属性”だったりするのか。

 闇属性ひとつ取っても、考えることは山積みです。

 似たような疑問を、氷の魔法にも感じたことがあります。

 氷柱を飛ばしてぶつける魔法など「それ、石を飛ばす地属性魔法の方が弾丸に強度があるし、効率よくない?」とか。

 

 また逆に、現実での体験をファンタジー世界にそのまま当て嵌める事も相当な危険が伴います。

 私自身が昔しでかしたのですが、冴えない主人公(傭兵)を冷遇する性格の悪い隊長に、当時の嫌いな上司を丸ごと投影した事があります。

 しかし現実の仕事とファンタジー世界での戦闘要員とでは、どちらも仕事に「生存を懸けている」のに違いは無いのかもしれませんが、その“質”が大きく違います。

 現実の仕事では、失敗は(長い目で見て)会社=自分の食い扶持を数年後に失う“かも知れない”危険を恐れる事であり、ファンタジーでの傭兵部隊での失敗は、即、物理的に命に関わる事です。

 この二者はスパンからして違い、管理者(上司・隊長)の責任やプレッシャーのかかり方、事情がまるで変わってきます。

 傭兵隊長の場合、部下との不和を無駄に作る事は、戦場での連携を乱す事=自分や部隊の戦死リスクをダイレクトに上げてしまう。

 それを避けるために訓練は厳しく、それこそ昭和のスパルタ式も横行するかも知れません。部下が思い通りに成長せず、自分の部隊の生存力が上がらない事に苛立ってパワハラに走る隊長も居るかも知れない。

 しかし少なくとも、戦死のリスクが無い現代の上司や部活の先輩を当て嵌めた所で、かなりいびつな絵になってしまい、失笑を買うのは確かではないでしょうか。

 部下との連携が自分の生存に関わる世界で、自分の優越感を満たしたり腹いせの為に部下をいじめる隊長・パーティリーダーなど、自殺志願者にしか思えません。

 私は、当時その作品を読んでくれた知人の失笑を買う事で、自分の書いているものを見詰め直す機会がありました。

 

 魚が切り身で~云々は半ば冗談ですが、半ばは本当に危惧すべき事かも知れません。

 こと小説書きは、大抵が独学にならざるを得ず、既知のものを参照しがちになる。

 その既知のものが乏しい環境下に置かれると、なかなか学習が難しいのも現状です。

 ちなみに教材としておすすめできそうなのは、やはり“ウィザードリィ”シリーズをノーリセットでやってから、小説ウィザードリィ「隣り合わせの灰と青春」か「風よ。龍に届いているか」を読んでみる事でしょうか。

(ゲームの方は1~3か、それがきついなら比較的とっつきやすく原作の空気感を尊重しているBUSINシリーズをおすすめします)

 RPG的なものをどう小説に落とし込むと良いか、少なくとも私はそこから学びました。

 

 扱っている“道具”をよく理解しないと、時に大ケガに繋がります。

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