ネット小説における感想のやり取り

 当たり前ですが、言葉とは常に、意図しない伝わり方をするリスクを帯びているものです。

 発した側と受け取る側、少なくとも二人以上の感性に大きく依存するからです。

 小説や文章の感想を頂いた時、それが自分の意図から外れていた場合、まずは自分の伝達ミスを疑い、相手の言葉をよく吟味した方が為になると思います。

 確実に伝えるべき部分を変にボカしはしなかったか、色んな側面を持つ言葉や要素を見落としてはいないか、文量が多すぎて読み手の集中力を乱しはしないか。

 ネット小説は、紙媒体のそれと比べて、読者と作者の距離が近いと思います。それだけ推敲の少ない生の声が行き交う事になるはずです。

 感想にせよそれに対する返信にせよ、発する側は曲解される事に寛容になり、受ける側は相手の言葉を傾聴する。「お互い様」の均衡は、なるべくお互いが保つよう意識した方が何かと良いでしょう。

 

 私は、腕を組ながら客を睨み付け「うちのラーメンをいい加減な食べ方するやつは出ていけ」

 と言うようなラーメン屋には決して行きたくありません。例え一度は食べないと大損するほどの逸品であったとしても。

 そんなラーメン屋が今の時代に存在するのかはわかりませんが、極端な例として。

 この一杯を命懸けで作っている、と言う矜持を持つのは素晴らしい事ですが、それを受け手にまで押し付けるのは、他人の領分に踏み込みすぎです。

 そんなプレッシャーを受けながら、ラーメン屋さんの顔色を伺いながら食べた所で味は曖昧になります。

 出されたラーメンと真剣に向き合うにあたり、そうしたプレッシャーがあると邪魔なのです。

 余談ですが、私は食いしん坊なので、お誕生日などに少し奮発したお店に食べに行く習慣があるのですが、

「間違いなくこの食べ方をしてほしい」

 と言うこだわりがあったとしても、良いお店はその推奨のしかたも謙虚で巧みです。

 小説も同じです。

「そこの場面、そう受け取ったんですか。まあ、ある意味良いと思いますけどね。ある意味」

 この返信はおよそ20年前に、個人サイトの作品に感想を書いたら貰ったものです。

 当時の私は小説を書き始めて日も浅く、自分の未熟から見落としがあったものだと思っていました。

 しかし「○○と言う人物のここに共感できました」と言うような単純な感想にも予期せぬ反感を買い、それが何度か続くうちに読む気力が枯れて、止めてしまいました。

 描写技術的には素晴らしい作品でした。けれど、嫌な思いをしてまで読了するだけの価値は見出だせませんでした。最後まで読めば劇的に面白くなったのかも知れませんが、そこに至る前に心を折られてしまっては意味がありません。

 それこそ、こちらの意図を(そう言うつもりでの感想ではないのに)誤解されたままで言われると、なおのこと不毛にも感じます。

 

 どうも人間は、言葉が通じなかった場合、伝達側が腹を立てる傾向にある気がします。

 正直、私も全ての感想を瞬時に、寛容に受け取れていない事もあると思います。本当にちゃんと読んだのか、と思う事もあります。

 けれど大抵、そこで立ち止まって考えると、やはり自分が言葉足らずだったり、変なボカしかたをした事が原因だったりする事も少なくないと思います。

 それに気付かせてもらい、修正・成長するチャンスに繋げるのが、結果、実利的にも精神的にも為になるのではと思います。

 

 客観的に言って、偏屈な態度や気難しい性格と言うのは、決して格好いいものではありません。職人気質や芸術家肌と結び付きやすいから、引っ張られがちなのは確かなのですが。

 こと、小説と言う分野は色んな人の目に触れてこそ先があると、忘れないようにしたいものです。

 

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