“駄作”なら出すな

 Twitterの自己紹介文でよく見掛けるのですが、

「駄作ですが読んでください」

「下手ですが宜しくお願いします」

 と言う文。

 あえて嫌な言い方をしますが、

「他人に時間を取らせて駄作をすすめるのか」

 と思います。

 駄作かどうかは、読んだ人がそれぞれに決める事です。もし貴方の作品を「良作だ」と感じて下さった人が居たとしたら、これほど失礼な事もありません。

 この国はなにかと“謙虚さ”を求められます。

 そこが美徳でもあり、発展を妨げる弱点と、私は考えます。

 慢心を自覚するのは良い。

 しかし、自分の力を不必要に軽んじる事も間違いです。事によっては、チームプレーなどで迷惑さえかけます。

 部下にベホマスライムが配属されて、

「自分なんかホイミくらいしかまともに出来ないですし……」

 と言われたら困るでしょう。

 

 私が書き手として影響を受けた作品のひとつで、ゲーム・ウィザードリィのノベライズ「風よ。龍に届いているか」(著:ベニー松山氏)において、命懸けの戦いの最中に判断を求められた戦士の描写、

「彼は慢心もしないが、自分の力を軽んじもしない。自分の感覚を信じて判断した」(記憶頼みなので細部は曖昧ですみません)

 その一文が、まさに私がこの国に生まれてずっと抱いていた違和感を払拭してくれました。

 

 話を戻します。

 自分の作品を駄作と謗るのは、建前であったとしても、誰にも、何も良い事がありません。

 ことネット小説は、ただでさえ読まれません。

 お金を払っていないから、それを取り返すために全部読む、と言う必要も無いからです。

 そこにきて作者すらも駄作とした作品を、果たして誰が読むか。

 そして漠然と「駄作」と言う言葉で、問題点を曖昧にしてしまうのは成長も妨げます。

 自分の作品を何故駄作と思うのか、そこから始めましょう。

 描写が下手、人物に魅力がない、設定が平凡。

 人の数だけ弱点はありましょう。

 それを具体的に洗い出し、改善のために考える。

 もしくは欠点を開き直り、長所をどこまでも伸ばしていく。

 そうすることで、自分の作品を駄作呼ばわりする自己肯定感の無さから抜け出せる筈です。

 

 私にも、表に出さずにお蔵入りとした作品は相当数あります。

 特に、実験的なアイディアを文に起こしてみたら駄目だった、書きたい物から遠くて気力が続かなかった、と言うパターンがそれなりにあります。

 けれど、そのどれも“駄作”と思った事はありません。

 どの話も、表に出せるクオリティではないだけで、どこかしら面白い要素があると思っています。

 あえて謙虚さとやらを捨てて言うと、ちゃんと公開できた作品に関しては、プロと遜色の無いものだと自負しています。小説の面白いところは、商業的に成功したものが良品とは限らない事です。

 例え没にしたとしても、書けば何かしら面白いものになっている自信もあります。

 この歳まで、それなりに自分の地力をつけていったからです。

 

 謙遜も過ぎれば毒です。

 何事も、悪い所より良いところを見たいものです。

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