理神論

 私は神を信じています。

 ただし、いかなる宗教も信じてはいません。

 正確に言えば、神を信じている……と言うよりは「我々が“神”と呼ぶものに相当する、万物の根源的な何か」は存在すると思っています。

 そしてそれは恐らく、人間には言及すら不可能な、もっと高い次元のものだと思っています。

 蟻んこが人間の考えのごく一部すら知覚できないように、絶対的な断絶の上に在るものと言う認識です。

 こういう考えの事を無神論ならぬ、“理神論”と言います。

 とりわけ日本人で「自分は無神論者だ」と豪語している方の何割かは、実はこの理神論者なのでは無いかと思っています。

 

 ちなみに私は仏教系の高校を出ていますが、哲学としては非常に大事な思想だと認識しています。信仰はしていませんが、リスペクトはあります。

 宗教観って、思った以上にその人その人の心に根差していたりします。

 と言う事は、創作面でも反映されやすい要素だと言う事です。

 例えばテレビゲームの“女神転生”シリーズ。(これを書いている現在、リマスター版の3をプレイしています!)

 古今東西、あらゆる宗派・神様のごった煮が実現したあの作品群は、日本のメーカーだからこそ作り得たものでしょう。(同名の小説が原点らしいのですが、その辺の事情はあまり詳しくないので割愛します)

 クトゥルフ神話で有名なラブクラフトも、理神論者だったのでは無いかと思います。

 

 私自身の創作歴で言うと、前回でも挙げた、某なろうでエタった「願えば叶う」シリーズでしょうか。

 もし、我々の世界で言う所のイエス様が、治癒をはじめとした奇跡を“技術”として確立し、人類全体に共有させ、宗教が純粋な研究・管理機関となったなら。と言う世界です。

 その世界に“神”と言う言葉はありません。

 そんなものが存在しない事を、人々はなんら疑問を抱きません。

 世界はどうやって生まれたのか? と言う事を追究する哲学者等は居るでしょうけど……アプローチの仕方もだいぶ違うのではないかと。

 体系化された“祈り”の範疇である限り、人は“思考”一つで条理を捻じ曲げられます。

 この話は恐らく、私が理神論者で無ければ思いつかなかった事でしょう。

 前にも語りましたが、その“祈り”の設定は、こちらでも投稿している「陰キャ、覚醒す」に継承されています。

 当初の世界観こそ、我々の住む現代地球ではありますが……ひとたび「願えば叶う」ように摂理が変質してしまった後は、恐らく世の信仰事情も一変した事でしょう。

 何せ、現代地球において人の思考が実体化する、と言う状況がいきなり生じたと言う事は、今まで信仰されて来た宗教的要素も実体化する事を意味するのですから。

 この作品では“黙示録の騎士”が出て来る事が良い例です。

 宗教は、目の前に実体化しないからこそ今の形を保ってられる気がします。

 もしも聖書通りの事が現実に実体化してしまったら……信仰の形は今のままで保たれているのか。疑問です。

 

 さて、特定の宗派を信じないと言う事は、縛りが無いようで、実は結構ハードモードな気がしています。

 宗教とは、言い換えれば心の支柱であり「神様に恥ずかしい所を見せられない」から、清く生きられる人もいると思います。

 そして何より、無神論者・理神論者は“死”に対して折り合いをつける事を自力でやらねばなりません。

 中学になるかならないかの時分、私は人生で唯一40度超の熱を出しました。

 その時「死ぬかもしれない。もう、後戻りはできない」と言う事をリアルに感じてしまい、その影響でしばらく死亡恐怖症タナトフォビアを患うに至りました。

 その後、何らかの法事でお坊さんの説法を聞いた時、

「自分が死ぬと言う事を考えた事はありますか?」

 と訊かれて、YESと答えたら「その歳で!」と驚かれましたが。

 

 色々脱線しましたが、自分の宗教観を棚卸してみると、創作面でも結構発見があるのでは無いかと思います。

 

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