実体験の使い道?

 最近、老婆心ながら心配になっている事があります。

 それは、流行りのネット小説で「俺を追放したあいつを見返す」「ざまぁ」「今更もう遅い」と言うフレーズのものが沢山見受けられる事です。

 これらの全てが、著者の自己投影で無い事を祈らずには居れません。

 

 確かに、小説とは、書き手の知識や経験がダイレクトに反映される分野ではあります。

 良い経験も悪い経験も、酸いも甘いも“小説書きとしての肉”に転じる。それ自体はポジティブであり、小説書きの特権ですらあると思います。

 しかし私は、それを原液そのまま作品にブチ込む事をよしとは思いません。

 実体験とはエッセンスに過ぎないくらいがちょうど良い、と思うのです。

 下手糞なたとえ話として某所でも挙げましたが、悪い女につかまって貢がされた挙句に捨てられた実体験があったとしましょう。

 それをそのまま小説にした所で、読む側としては他人事です。

 これは「女に捨てられた」と言うエッセンスのみを抽出し、それの世界観設定をハイファンタジーとかにしても同じです。

 私が仮にそれを経験したなら、

「歪んだ愛情から力に固執して最後には同盟国を次々に滅ぼす悲しき暴君」

 と、もはや原型を留めてないレベルに薄めて使います。

 あるいは、

「無償で人々を治療して回る老治癒魔法使い」

 とか。これは、単純に元ネタを反転しただけですね。

 これら例ではもちろん、「女に捨てられた」成分だけではなく「どうやっても野良猫に嫌われる」「結婚した友人が疎遠になった」「恋する乙女だったはずの妻のおばちゃん化が著しい」と言う、数多くの成分を無秩序に織り交ぜていると思います。

 正直、“書きたい物”より先に“愚痴りたい物”が来る事はみっともないし、物書きとしての向上にもならないと思うからです。

 

 現実に即したリアリティは大事です。

 しかし、現実に無い物を表現するのが、小説と言う媒体ではないでしょうか。

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