第4話



 終わりを迎える日。

 文化祭準備により午前にその日の授業が終わりになって、僕はスケッチブックを持って一直線に屋上を目指し、勢いよく扉を開けた。


「はあっ、はあっ、はあっ」


 吹き抜ける風と共に流れる大きな雲の下。

 果たして、今日も彼女はそこにいた。

 柵の無い屋上のヘリに立って。


「やっと来たわね、空人君。風の気まぐれで、危うくひとりで終わりを迎えるところだったわよ」

「そんなところにいたら、危ないですよ。落っこちる気ですか?」

「ふふっ、そうすれば本当に終わりね。でも、まだ空人君の答えを聞いていなかったわ」

「用意しましたよ、答えを。だからそこにいてくださいね」


 僕は慌てず急がず、しかしもたつきもせずに歩いていく。

 そして、ようやく彼女の目の前まで来て顔を一瞥してから、手に持っていたスケッチブックを広げて見せた。


「それが僕の答えです」


 ひと晩かけて出来上がった絵を、リナリアさんが凝視する。


「空は、遠いけど近くて、町はほんのり色付いていて、屋上には何も無いけど、リナリアさんがいて……確かに願いがあったんです」

「願い? 一体どんな?」

「私はここで生きていたいという願いです。ここが終末だろうとそうでなくても、リナリアさんは悲しそうで、楽しそうだったんです。だから、僕が感じたすべてを絵に描いたつもりです」

「…………ふふっ、この照れてる女の子が私だなんて。滑稽ね」

「記憶というのは美化されるんです。だからこれでいいんです!」


 そうね、とつぶやいてリナリアさんは僕の目を見た。目をそらないでいると、リナリアさんは破顔した。


「今にも屋上から落っこちそうな私を引き留めようともせず、ただ絵を見せるだなんて……非常識で、自分勝手ね」

「そうかもしれません。でも、それでいいと思うんです。自分勝手に挑んで、それで嫌いになる人もいるかもしれないけど、好きになってくれる人もいるって思うんです」


 それを伝えてくれたのは、他でもないリナリアさん自身だけど。


「僕は僕の色付いた世界を描いた。リナリアさんだって、好きに生きればいいんです。誰だってきっとそうです」


 日常が輝いている。それは、とても素敵な事なのだから。


「ふふっ。それじゃあ、これは私の自分勝手なお願い。手を、引いてくれる?」


 陽光が辺りを照らしていく中、彼女は面白がりながらも、手を差し出す。


「はいっ」


 軽く手を引くと、彼女は僕に抱き着いた。


「うええええええん! うえええええええん!」

「えっ!? ちょ、なんで、リナリアさん!?」

「ええええええええんっ、うっ、ううっ、ええええええええん!」


 僕は訳もわからず、しばらくその場で風からリナリアさんを守るようにして、頭を撫でてあげたのだった。



 終わりを超えた土曜日。

 待ち人来たらずな僕は昇降口前のエントランスで鎮座していた。

 結局、リナリアさんのやりたかった事は分からず仕舞い。身の上も、理屈も、本懐も。

 ある意味ではただの分別のつかない子供のいたずらのような。

 それは僕も片棒担いだ同伴で、いわれはないのだけど。

 あの人は楽しんでいたのだろうか。悲しんでいたのだろうか。

 推し量る事はできない。結局僕はリナリアさんの事をまだ何も知らないから。

 でも、悲しんでも明日は来る。

 楽しくても明日は来るのだ。

 そして非日常は続く。

 文化祭、当日。


「空人君、お待たせ」


 初めて校内で会った彼女の表情はいつも通りだった。

 ただ、あまりに外見の一部が変化していて驚いた。


「髪、切ったんですね」

「ええ。どう? 似合ってる?」

「はい。とても似合ってます。可愛い」


 僕がそう言うと彼女は、


「ありがとう」


 穏やかな笑みを浮かべたのだった。


「さあっ、行きましょう」

「ええ」


 差し出した手を彼女は握って、くすぐったそうに笑った。


「どうかしたんですか?」

「何でもないわ」


 それからこう付け足した。


「寒いのも、痛いのも、慣れてしまったから。でも、温かいのは落ち着かないものね」


 僕らは並んで歩きだす。

 終末がいつやってくるかなんてわからない。

 明日突然にやってくるかもしれない。

 でも、きっと人類はしぶとく生きようとするのだ。

 だから僕も勝手に生きていきたいとのぞむんだ。

 まずはリナリアさん、いや、東雲静莉さんと、文化祭を楽しんで。

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リナリアの終末 九重杏也 @coconoekyoya

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