第3話
☆
木曜日。
外は分厚い雲が覆っていた。雨の降りそうな独特の匂いが息苦しく感じた。
そんな中、リナリアさんはブランケットを纏って立ち尽くしていた。
「寒くはないんですか?」
「大丈夫よ。寒いのも、痛いのも、慣れてしまったから」
リナリアさんはゆっくりとこちらに歩いてくる。
「ただ、今日は隅っこに居たい気分」
扉のすぐ横の壁に、背中を預けて座る。
「ほら空人くん。キミも座りなさい」
ちょこっと指先を覗かせて、ポンポンと隣を叩いて促す。
「はい。失礼します」
僕が並んで座ると、リナリアさんは寄ってきてブランケット越しに肩が触れ合った。ちょっと気恥ずかしい。
ただ、そんな気持ちはすぐに霧散してしまった。
「今は、絵は描いていないの?」
「……どうして、知ってるんですか?」
「名前を知っているのだもの、訊き込んだりして調べたわ。空人君は結構有名人なのね」
「大したことありません。今だって、描いてないので」
「やめてしまったの?」
「いえ、この時期は筆が進まないってだけです。心配するようなものじゃないです」
「そう……」
それきり、リナリアさんが理由を言及する事はなかった。
「私は、世界を好きになりたいのよ」
隣を盗み見ると、リナリアさんは遠くを見つめていた。
「人が生きてるって残酷だわ。地球には優しくないし、隣人にすら、優しくないもの」
声音は儚げだった。しっかり聴いていないと虚空に消え入りそうなほどに。
「リナリアさんは、僕にも優しくないという事ですか?」
「……確かに優しくしたつもりは無いけど、厳しく接したつもりも無いといったところね」
「そうですか、少しホッとしますけど」
「本当は皆穏やかで、そして必死に生きている。日常でも終末でも、それは一緒。そう、信じてる」
僕はひるがえって意気消沈した。いつもと同じように、表せず形にならない事に歯噛みした。
「どう? 秋の空は高いのか、低いのか、分かった?」
「いえ、分かりません」
純粋な答えも、裏の真意も、何も分からないままの僕はそう答える。冷たい風が吹きつけた。
「じゃあヒント。空人君の好きな答えでいいのよ」
「そうなんですか? 何にも理解していないんですけど」
「答えの理由は知りたいところね。ただ、終末は明日までだから、ゆっくり考えてる時間は無いけれど」
「……はい」
それから僕たちは、何を話すでもなく、ただ並んで座っていた。じっと何かを待っているかのように。
遠くから喧騒が聞こえる中、空に浮かんでいる複数の点を眺めた。
ハトとかカラスだろうか。集団で飛んでいるが、突然風が吹いたかと思うと、群れから小さな点がはぐれた。でもすぐに合流し、ひとつの集まりに戻って何処かに行ってしまった。
やがて、リナリアさんが立ち上がって言ったのだった。
「今日の暗雲は、終末を感じさせてくれたわ。明日、終わりを迎える前にキミの答えを教えてね。ここで待ってるから」
★
「おうもっちー、納得のいく絵は描けたか?」
「和弘か。お疲れ」
「おうよ、帰ろうぜ」
昇降口で偶然会った和弘と一緒に校門をくぐる。
「今日は部活だったの? それともクラス?」
和弘はクラスメイトで、バレーボール部に所属している。バリバリの運動系だ。今でも指にテーピングを付けていた。
「クラスの方だ。いやー、いい口実になって助かるし、早く焼きそば作りてえよ」
僕たちのクラスでは文化祭に焼きそば店を開く。当然、今は事前準備中なので、内装の用意なんかを続けている。
和弘は余程楽しみなのか、両手で手を回転させ、ヘラを動かす仕草をしてのけた。
「それで、連日のサボりの成果は出たのか?」
「……ごめん。文化祭、もう明後日からなのに手伝えてなくて」
リナリアさんが言うには、明日世界が終わるそうだけど。
どことなく心がざわつく。
今日が終わり、明日を迎える。それをどんな心持ちで居ればいいのか、今の僕にはさっぱりだった。
「そっちはどうでもいいさ。それより、描けたのかよ?」
「描けてないよ」
「ひとつもか?」
「そうだよひとつも書いてない。悪いか!」
言い放ってから、語気が荒くなったことにしまったと思った。
「そりゃ、悪いだろ。描いてみりゃいいさ」
和弘はあっけらかんとしていた。
「簡単に言うけどさ、それが無理だから悩んでるんであってな」
「それでも形にするしかないだろ? 俺にはサッパリだが、お前なら出来る」
どんな根拠があってそんな事を口にするのだろうか。
「まだ何も見つかってないよ」
「そんなことないだろ。この数日のありのままでいいだろ」
「……ありのまま、か」
ふとよぎる屋上。
終末とおぼしき景色。
ただ、そこには本当に何も見つからなかったのか?
いや、そんなことは断じてない。
僕とリナリアさんが、たった数日だけどそこで邂逅し、言葉を交わした。
ささやかな終末を過ごした。
――空人君の好きな答えでいいのよ。
今日のリナリアさんの言葉が蘇ってきた。好きにすればいいと、確かにそう言ってくれた。
「そっか、そのまま標せばいいのか。日によって姿を変える空。どうしてか机とかあって、黒髪をなびかせるリナリアさんがいるのを」
「なんだそれ? でも腹は決まったっぽいな。一発かましてやれ」
「かますって何さ……。でも、描いてみるよ」
「その意気だ。それじゃ、クラスの方は気にすんな。がんばれよ優等生」
背中をバシンと叩かれる。
「そんな大それたもんじゃないよ! じゃあなー」
僕は、いつもの通学路の交差点で駆けだしたのだった。
★
人よりちょっと絵が上手いってだけ。
それで少しもてはやされただけ。
たったそれだけの事で天狗にでもなったのだろう。
昔、我が物顔でクラスの文化祭出し物にスプレーアートと提案した。
以外にも皆ノリ気で、一丸となって尽力し、どうにか形にしていた。
発案者の僕を除いて。
理由は単純だ。僕は、自分の絵を描くのに夢中だったのだ。
コンテスト間際で、それしか考えられなかった。
のちに、僕の絵は表彰されて素晴らしいと褒められたが、クラスでは非難の的となった。
僕は、無責任だった。
薄情だと責め立てられたのが、未だにわしゃくしゃと転がっていた。
それからも絵は描いた。
好きだったから。褒められて嬉しかったから。
でもどうしても夏の終わりから秋の間は筆が止まってしまうのだ。
…………けど、進みたい。
描きたいと望んでいる自分がいる。
机に向かい、目を閉じる。
思い出す。
今日を。
昨日を。
一昨日を。
屋上を。
「よし!」
強く念じて、軌跡を、描く。
その晩、机の明かりを頼りに、窓から漏れてくる月明かりを背にして、握った筆を走らせ続けていくのだった。
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