性格

猫背人

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『人を殺したことがあるか?』


 いつの日だったか、叔父さんは唐突に問いかけた。

 そんなものあるわけがない。

 質問の意図も意味も理解は出来なかったが、私に質問をする叔父さんの姿がどこか悲しいものだったのは覚えている。

 あの日、叔父さんはどうして私にあんな問いかけをしたのだろう。

 たしか、あの時、叔父さんは色褪せた手紙を読んでいた。そこに私がやってきて、読んでいた手紙から視線を離し聞いてきたのだ。

 あの手紙に何が書いてあったのだろう。


「ねえ、お母さん。叔父さんが残してた手紙ってどこにある?」

「えー、手紙? どこだろう。たぶん適当な紙箱に入れてるはずよ。そういう性格だから」

「ふーん」


 適当な紙箱と言われてもそれがどの紙箱かわからない。なにせ母曰く、叔父さんは〝そういう性格〟なのだから。

 遺品整理で訪れた叔父さんの家には、規格の違ういろんなネジが入れられた紙箱や、何十年も前のレシートが入った紙箱や、ただの空の紙箱など、一つに紙箱といわれても、手紙が入っている紙箱がどれなのかはわからない。

 あの時、叔父さんが出していた紙箱はどんなものなのか思い出してみようにも私の記憶は紙箱の柄を覚えているほど鮮明ではなかった。

 まあ、大半はゴミとして処理される紙箱群をこうして母と一緒に片っ端から開いては中身を確認しているのも、叔父さんが〝そういう性格〟だから貴重品すらも紙箱に収めて、ゴミにならないようなものもあるかもしれないと確認しているのだ。だから、このままダラダラと作業をしていれば、いづれは出てくるだろう。

 しばらくそのまま紙箱の開封作業に勤しんでいると、目的の色褪せた手紙が入った紙箱を見つけた。


「……あった」 


 叔父さんはなぜあの時、私にあんなこと聞いたのか解明してみたい私は、何も躊躇わずに古い手紙を開いた。


「――――」


 そこにあったのは、紙の余白をすべて埋めんとする勢いで目一杯に書き殴られた言葉だった。


『お前のせいだ』


 叔父さんがあの時に読んでいた手紙はこれだった。


「…………」


 叔父さんにしか意味の分からない手紙だ。けれど、この手紙書き殴られた狂気性のような言葉の力強さは私にもわかる。

 叔父さんの過去に何があったかは私は何一つとして知らない。

 母から叔父さんの昔話は一度も聞いたことないし、親戚が集まる席や叔父さん本人からも何も聞いたことがない。

 別に語るようなことでもないのはなんとなくわかるが、今にして思えば、何か少しでも昔話を聞いておけば、この手紙の意味も少しは推察出来たのかもしれない。


「あー、これまだ残してたんだ。懐かしい」


 後ろからふっと現れた母は手紙を見て呟いた。


「え、お母さんこれ知ってるの?」

「ええ、知ってるわよ。これね叔父さんがあんたくらいの頃に、名前は忘れたけど叔父さんが好きになった小説の作家に送ったら届いたその作家からの返事らしいのよ」

「……え、でも〝これ〟が返事?」

「そうね。でも、聞いたらそう言ってたわ。『これがこの人の作家性なんだ』って」

「なにそれ。意味わかんない」

「わたしにも意味わからんないわよ。でも、それを後生大事するほど届いたときは喜んで見せてきたのよ」

「ふーん」


 つまり、なんなのだろう。

 なにか叔父さんが好きな小説にまつわる返事だったのだろうか。


「いや、やっぱり意味わからん」


 小説にまつわるものだとして、それがどうして『人を殺したことがあるか?』なんて聞くことになる。


「ねえ、その作家の名前思い出せない?」

「えー、もう忘れちゃったから分かんないわよ」

「そこをなんとか、頑張って思い出して」

「うーん……そうね…………っあ、そうだ。確か、ひとつばしなんとかたろう? だったはず」

「一橋なんとか太郎?」

「そうそう。確かそんな名前よ」

「一橋、太郎、作家……」


 名前をネットで検索にかける。すると検索トップに『一橋朝太郎』の名前が出てきた。

 これかな? と思い、一橋朝太郎について書かれたページを開いて上から流し読みをした。


「…………」


 ざっと、そのページに書かれていることをまとめると、すでに亡くなった故人であり作家としての作品の数はあまり多くない。特に一橋朝太郎の名義ではそうだったようだ。別名義も含めればそれなりに書いていたらしいが、一橋朝太郎の名前での作品の方が人気があり、その名前だけを見ればヒットメーカーともとれるが、突如として作家業をやめて以降は友人宅に居候を長らくして、そしてある時に自殺したらしい。

 作風はその時代の流行に合わせて、暗いものあから明るいものも手広く書いていたとある。


「うーん……」


 そのページを読んだだけでは、叔父さんが持っていた手紙の謎について引っかかるものはなく何もわからない。

 そもそも、これが本当にその一橋朝太郎から送られた手紙なのかという疑問すら私にはある。

 紙箱を開いたときに入っていた状態は、封筒なんかどこにもなく『お前のせいだ』と書かれた紙が三つ折りにされて入っているだけだった。いくつもの紙箱に物を残しておく〝そういう性格〟の叔父さんなら、手紙を入れていた封筒の一つもこの手紙と一緒に残しておくはずだ。なのに、その封筒は見当たらない。

 となれば、これは叔父さんがその作家からもらった手紙ではないのではないか?


「ねえ、お母さん。これ本当にその一橋朝太郎って人から叔父さんがもらった手紙なの?」

「朝太郎? ああ、そうそう。一橋朝太郎、思い出した。そう、叔父さんが『一橋朝太郎から手紙が来た!』って喜びながらそれを見せてきてものだからよく覚えているわよ。間違いなく、確かに『お前のせいだ』って書かれた手紙だったわ」

「えー……そうなの……」


 では、叔父さんは何を以てしてこの手紙から『人を殺したことがあるか?』なんて質問を私にしてきたのだろう。

 ネットで出てくる一橋朝太郎をまとめたページからもそうしたことは何も読み取れないし。

 それこそ、叔父さんが私にあの時あんなことを聞いてきたのは、手紙とはなんの因果関係もなく、ただの大人の悪い冗談とかだったんじゃないのか、そう思えてくる。


「…………」


 むしろ、これ以上何も読み取れない今の私にはその答えの方がしっくりくる。


「……はあ」


 遺品整理で久しぶりに叔父さんの家にやって来たからあんなことを思い出して、なんとなくの好奇心で探ってみようとしたけれど。別に冷静に考えてみれば、どうでもいいことでもあるのだ。

 それこそ、『ただの大人の悪い冗談』がしっくるように、それが答えでも何も問題はない。

 作業の片手間に探れるようなことならまだしも、作業の手を止めてまで探るようなことではない。

 私は、そう決めて積み上げれた紙箱の開封作業に戻った。

 それから、粗方ゴミの分別が済んで部屋が片付くと、昔、叔父さんの家に訪れた時に見たような風景に戻った。


「やっと片付いたわね」

「うん。疲れた……」


 紙箱で溢れた部屋の中は綺麗に片付いて、あとはまとめたゴミを捨てて、拭き掃除でもしてホコリを拭き取れば売りに出せるだろう。まあ、こんな古い家なら大した金額にもならなそうだけれど、そこら辺は母がどうにかしてくれる。

 片付けも終わった私は最後の思い出づくりにでもと、部屋をじっくりと見て回ることにした。

 思えば、紙箱群のことを除けば片付いた家だった。台所も、居間も、寝室も綺麗に片付いていて物も少ない印象だ。

 小さい家のはずなのに物がないおかげでだだ広く、そして、寂しく感じるほどだ。

 むしろ叔父さんの山のようにあった紙箱を残しておく〝そういう性格〟はこの広さを埋めるためにあったのかもしれない。

 最後まで独り身で、自殺をはかった叔父さんの意図は何も知らないけれど、部屋を埋め尽くしていた紙箱の意味がそうならば、私の中では腑に落ちる。

 居間に戻って、帰り支度をしていた母のもとに戻ると、窓辺に飾られていた写真に目がいった。

 来たときは紙箱の山に隠れて気が付かなかったが、叔父さんは写真を飾っていたのか。

 飾られている写真がどんなものか見ると、そこに写っていたのは、若い頃の叔父さんと綺麗な女性だった。


「叔父さんと写っているこの人って誰?」

「え? ああ、その人は叔父さんの昔の恋人よ。結婚も考えていたらしいけど……なんか、鬱にかかったかで自殺しちゃったらしいのよ」

「そうなんだ……」


 自殺。

 叔父さんも自殺をしたけれど、寂しさから自殺したなら、恋人の後を追ったことになるのだろうか。

 恋人が鬱にかかり自殺した悲しみは私にはとても測れるようなものではないけれど。

 叔父さんは、その悲しみを抱えて生きていたのだろうか。


「――そういえば、その恋人さん、作家をやっていたとか言ってたかな?」

「作家?」

「そう。どんなの書いてたかは知らないけど」

「ふーん……」

「まあ、人聞きだけど、鬱になった人の世話は大変らしいし、叔父さんも恋人がそうなって大変だったんでしょうね。特に作家とかは鬱になりやすいイメージがあるし」

「…………そうなんだ」

「思えば、叔父さんはその頃の体験が尾を引いて自殺しちゃったのかもね」

「…………」

「さて、片付けも済んだし帰ろっか」

「あ、うん……」


 荷物を持って、しんと静まり返った部屋を背に、私は叔父さんが住んでいた、この小さな家を出る。

 あとのことは母が業者なりに頼んでやってくれる。

 だから、私は叔父さんの家に来るのもこれが最後だろう。

 なんとなく、私はこの小さな家にお祈りをして母が待つ車に乗った。


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