(世界が終わるときまでは)

 翌朝、朝食をすませると三人はすぐに家を出た。大地は薄暗く、空は鉛色の雲に覆われていた。今にも雪を降らしたものかどうか、迷っているようにも見える。地面には昨夜のあいだに落ちてきた雪が踝のあたりまであった。吐く息は白く凍った。

 あたりは何か、予感をはらんだような雰囲気だった。身重の女が臨月を迎えた静かさである。糸はぴんと張りつめていた。爪弾けば音が鳴る。その音は、世界を壊すかもしれない。

 三人とも、無言だった。黙ったまま歩き続けた。機械的に、必然的に、抗いがたい運命へと向かうように。だがそこに、懼れはなかった。準備された緊張があるだけだった。すべては十分に覚悟されている。時計の針は正常に動いている。

 やがて、村を少し離れて森のそばまでやって来た。二人がトゥーラに、決して近づくなと警告した場所である。彼自身が気づくことはなかったが、そこはまた、トゥーラが雪の中で倒れていた場所の近くでもあった。

 森の端をぐるっと迂回したあたりで、二人は立ちどまった。トゥーラも立ちどまった。やはり、言葉はなかった。目の前のものが、すべてを語っていた。これ以上ないほど、圧倒的に語っていた。

 ――それは、墓だった。

 一つや、二つではない。ほとんど大地全体を覆わんとするほどの、無数の十字の屹立だった。木で作られた粗末な墓標が、見渡すかぎりに広がっている。

 この二人は、墓を掘っていたのだ。誰もいないこの村で、二人は。手が擦り切れているのは当然だった。むしろ、まだ五体満足でいることのほうが驚きだった。

「死体は森の中に転がってる」

 と、アセリはまるで独り言のように言った。どこか別の場所と、別の時間にいる誰かに話しかけるようだった。「――まだまだ、まだまだ転がってる」

 ユニは何も言わずに墓のあいだへと入っていった。曲がった十字架、地面から抜けそうな十字架を直しはじめる。そうするのが当然という態度だった。はじめから、そのために生まれてきたとでもいうような。

「あいつらは、みんなを殺したわ」

 アセリは同じ調子で言葉を続けた。その言葉は淡々としていた。淡々として、激しく乱れていた。

「大勢でやって来て、探しものを渡せって言うの。銃を持ってた。一人がいきなり撃たれた。何で撃たれたのかもわからなかった。そいつらはただ、〝渡せ、渡せ〟って言うだけ。大人たちはすぐにわたしたちを隠してくれた。教会の古い墓地の下に。あいつらはわたしたちを見つけられなかった。そしたら、いきなりみんなを撃ちはじめた。何も言わないまま、草でも刈るみたいに無造作に。何の抵抗もしなくても、何にもわからなくても。大人でも、老人でも、病人でも――子供でも。わたしたちは墓の下でがたがた震えてた。まるで、地震にでもあったみたいに。やがてみんなは集められて、森のほうへ連れていかれた。あたりは急に静かになった。世界がすっかり壊れてしまったみたいに。撃たれた人たちもいなくなっていた。そして静かなまま、その静かさが消えることはなかった。それは今でも、やっぱり続いている」

 墓の一つで、ユニが立ちどまった。何かじっと、語りかけるようにたたずんでいる。誰か友達の墓でもあったのかもしれない。親しい隣家の人間、いつか優しくしてもらった老人――あるいは、両親の墓が。

「たった二人の子供を〝爆弾〟に使うために、それがあいつらのやったことよ。わたしたちは、もうたくさんだわ。新しい世界がはじまっても、きっとまた同じことが起こる。仮にあなたや、あなたたちがそれをしなかったとしても。結局、ずっと同じことが繰り返されるだけ。次の世界でも、その次の世界でも。永遠に。……それなら、わたしたちは世界をここで終わらせたい。きちんと、終わらせておきたい」

 しゃべり終えると、アセリはトゥーラのほうを見た。星の光が、挑むような目線だった。例え永遠に近い距離と時間を経たとしても、それは相手に届いた。強く結ばれた口元は一直線にまつろわなかった。そこには一つの意志があった。世界そのものと同じ重さを持った意志が。

「……わかった」

 しばらくして、トゥーラは言った。

「お前たちは、お前たちの意志を貫けばいい。それは、お前たちの自由だ」

 だが――と、この兵士は言った。

「俺は戦うよ。それが、俺の選んだ道だ。新しい世界がどんな場所であれ、俺はそこへ向かう。そこがろくでもないところでも、素晴らしいところでも、結局はまた作り直されるとしても。それが、人間の宿業だ。俺たちは。例えそれが、どんなものだったとしても――」

 アセリは無言で彼を見た。トゥーラも無言で彼女を見た。視線が交わり、反応し、すれ違った。それはもう、永遠に交差することはなかった。

「……なら、わたしたちはここでお別れね」

 とアセリは言った。

「ああ、お別れだ……」

 とトゥーラも言った。


 ――ユニは無数の墓標の中で、まるで美しい魚のように歩き続けていた。



 数日して、左腕の元に戻ったトゥーラは村を離れた。彼は軍隊に帰投した。仲間たちはみな、その生存を喜んだ。だが、彼自身はそのあいだにあったことについては貝のように黙して、一言も語ろうとはしなかった。

 二人の子供たちについては、どうなったか私は知らない。きっと終わらない冬の中で、世界が終わるのを待っているはずだった。今も墓を掘りながら、ただ静かに、雪の降る音を、じっと聞きながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終わる世界、と終わらない冬 安路 海途 @alones

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ