科学捜査の歴史

最近、『大逆転裁判』をプレイした。知らない人のためにこのゲームについて説明しておくと、刑事事件の裁判の弁護人として被告を無罪にするために、証拠や証言をほじくるといったものである。


その第1話で、射殺されたとおぼしき被害者に関してあれこれするのだけど、このゲームの舞台はおそらく1900年ぐらいを想定しているようで、ゲームの登場人物もしばしば言及しているように現代と比べて科学捜査の技術がだいぶ未開発である。


それで気になったので、備忘録も兼ねて各種の一般的にもよく知られている科学捜査の技術が、いつごろから使われるようになったのか調べてみた。



【指紋】

Wikipediaによると1684年にネヘミヤ・グルーが指と手のひらに関する最初の論文を発表したと書かれている。が、ちょっと調べた範囲では具体的にどの論文かは見つけられなかった。1788年にヨハン・マイヤーが、指紋が個人の識別に有効だと指摘したと書かれているが、これも出典がよくわからなかった。


1880年にヘンリー・フォールズがネイチャーに指紋に関する研究論文を発表。これはわりと簡単に見つけられて、どうやら下記の論文のようである。


Henry Faulds, "On the Skin-Furrows of the Hand,'' Nature, 22, p.605, 1880.


この論文では指紋の特徴だけでなく、うまい採り方についても言及している。あと、むかしの中国で犯罪者が指紋の特徴を採られていたとか、エジプトで自白証書の封に拇印を押すとか、日本でも似たようなことやってるとか書いてある。


指紋を犯罪捜査に用いるようになったのは、日本では1908年からとのことである。指紋を採取する実用的な方法をだれがどのように開発したのかはよくわからなかったけど、1911年に現場に残された指紋をもとに犯人を検挙した件があるそうなので、そのころにはもう犯罪捜査に使われていたようである。



【血液型】

もっともメジャーなABO式血液型は1901年にランド・シュタイナーによって報告されている。血液型から個人を特定する手法(ここではDNA鑑定ではなく単に血液型によるものだが)がいつから始まったのかは特定できなかったが、多少なりとも参考になる文献としては下記のようなものがあった。


中井 良平, "再ビ法醫學的血液個人鑑別ニ就テ," 岡山醫學會雜誌, 42(10), pp.2575-2580, 1930.


この文献によれば、「1928年に血液型をO, A, B, AB型と呼称することが決まった。そうして、血液型分類は輸血や刑事事件などに応用された」と書かれているので、おそらくは1930年よりも前には血液から血液型を調べて、そこから犯人を特定しようという試みはあったようである。


なお、上記の文献には実際の事件を例として、紙幣に付着した血液から血液型を特定する手法などが細かく記されているが、残念ながら事件が発生した年は伏字となっているので詳細はわからない。



【ルミノール反応】

Wikipediaによると、1928年にアルブレヒトがルミノール反応を発見し、1937年にヴァルター・シュペヒトがルミノール反応が血液でも発生することを発見し、以後、犯罪捜査に用いられるようになったとのことである。


日本でいつごろ使われたかについて、下記のWebページによれば、「下山事件(1949年)で初めて使われたという説が広く流布しているがこれは間違いで、1937年に発生した事件が初」とのことである。ただ、そうなるとシュペヒトが発見した1937年との時間差が短いことが若干気になる。元ネタになっている『今だから話そう―法医学秘話』を読めばもう少しそのへんの経緯がわかるのだろうか。


全研究下山事件

http://shimoyamacase.com/etc/etc10.html



【筆跡鑑定】

記録が残っている日本最古の筆跡鑑定人は「古筆了佐」だそうで、Wikipediaにも記事が作られている。ただし、掛け軸の筆者の鑑定などが本業のようで、契約書とか遺言状などの筆者を調べるというのは少し違うかもしれない。


裁判の証拠として筆跡がいつから使われるようになったのか、明確な年代を特定することはできなかったけど、「筆跡」をキーワードに裁判所判例を探してみたところ、1952年の判例に「そして右鑑定では同一筆跡であると……」のような記載があったので、少なくともこれよりも以前から筆跡鑑定は行われていたようである。もちろん、「なんとなく似てる」ぐらいのレベルでよければ、はるかむかしからやってたには違いないだろうが。


最高裁判所判例集 昭和22(れ)18

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=64375


筆跡鑑定については下記のような最高裁判例が出ている。いかにも裁判所が使うような実に回りくどい表現だが、一定の証拠能力は認めていることは推測される。ちなみに、いろいろ調べた感じだと、裁判所は筆跡よりも文書が作られた合理性とか経緯の方をはるかに重視するのだとか。


最高裁判所判例集 昭和40(あ)238

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58926



【DNA鑑定】

下記の文献やWebページに詳しく書いてあるので、かいつまむと以下のような歴史のようである。


1985年、DNAによる個人識別の基礎となるフィンガー・プリント法をアレック・ジェフリーズが開発。1987年、少量のDNAサンプルからDNAの情報を読み取るPCR法をキャリー・マリスが開発。同年、ピッチフォーク・ケリー事件に関して世界で初めてDNAが証拠として採用される。1988年、六本木傷害事件に関して日本で初めてDNAが証拠として採用される。


押田 茂實, 鉄 堅, 岩上 悦子, "法医学における DNA 型鑑定の歴史," 日大医学雑誌, 68(5), pp.278-283, 2009.


DNA鑑定の歴史

https://alfs-inc.com/column/2090/



【生活反応】

生きている人間は血液が流れているし息もする。何を当たり前のことをと思うだろうが、これによって人体に加えられた行為が、生きているうちに行われたのか、死んだ後に行われたのかを判断することができる。たとえば、焼けた死体の気管に煤が入っていなければ、その死体は焼ける前から死んでいたとわかるし、首を吊った死体の首に皮下出血がなかったり、頭部にうっ血がなければ、やはりこの死体も首を吊る前に死んでいたことがわかる。


このような、死体ではなく生きている人間に起こる反応を生活反応と呼ぶ。この言葉は下山事件をきっかけに広く世間に知られるようになったとされる。轢死体で発見された下山総裁が、生きているときに轢断されたのか(自殺説)、どこかで殺されてから偽装工作として轢断されたのか(他殺説)が議論されたわけである。


生活反応については下山事件よりも前から知られており、小笛事件(1926年)では死体の偽装が争点となっており、皮下出血の有無などについても触れられている。


生活反応がいつから使われてきたのか調べていくと、なんと江戸時代にはもうノウハウがあったというのだからおどろいた。1736年に発行の『無冤録述』にいまでいう検死のやり方がまとめられていたそうである。『無冤録述』の出どころをたどると1308年に中国の元で編纂されたものだそうなので、死体に関する知識や経験則はかなりむかしから検死を担当する人々の間では共有されてきていたのかもしれない。



【毒物の検出】

あまり詳しく書くとネタバレになってしまうが、冒頭で紹介した『大逆転裁判』の1話でも毒物の検出が裁判にかかわっている。


古くから人類に使われてきた毒物といえばヒ素だそうで、「毒の王様」とも呼ばれるらしい。しかし一方で、ヒ素は体内に残留しやすく、死体からの検出が容易なため、「愚者の毒」とも呼ばれてきたとか。


科学史に記される高精度なヒ素の検出法は、1836年にジェームス・マーシュによって開発されたマーシュテストである。英語版のWikipediaによれば、マーシュテストが初めて法医学的に適用されたのは1840年のラファージュ毒殺事件とのこと。


ヒ素は体内の体液などからだけでなく、皮膚や毛髪からも検出される。下記のサイトによれば、1858年にエルンスト・フェリクス・イマニュエル・ホッペ=ザイラーが遺体に含まれる毛髪中のヒ素を分析したが、この業績は特に注目されることはなく(Wikipediaにも記載なし)、その後、1945年にP. Fleschが毛髪が排泄器官であることを発見したとのことである。


毛髪ミネラル検査の歴史

https://www.lbv.jp/academic/history/index.html


上記サイトにはP.Fleschがそのことを報告した論文のたぐいが書いてなかったので探したところ、1945年の論文等は見つけられなかったけれども、下記の論文か書籍かは該当しているような気がする。ただ、中身は確認できなかったのでどういう主旨かは残念ながら不明である。


P. Flesch & S. Rothman, "Physiology and Biochemistry of the Skin," In Univ. Chicago Press, p.641, Chicago, 1954.


日本でヒ素の検出がいつから行われていたのかははっきりとはわからなかったけど、いろいろ調べてわかったことを書くと、1900年に「飲食物其ノ他ノ品取締ニ關スル法律」というのが施行されたそうで、その中で、ヒ素も規制の対象に入っていたようなので、憶測としてはそのころにはヒ素の検出法が日本にも伝わっていたような気がする。


山本 俊一, "日本の食品衛生史," 食品衛生学雑誌, 21(5), pp.327-334, 1980.



【警察犬】

警視庁のページのよれば、1912年12月にイギリスから2頭の警察犬を購入、1940年4月に警察犬6頭を防犯活動に活用、1945年ごろに戦争激化のため警察犬制度を廃止、1952年3月に捜査活動に用いる、といった経緯のようである。このあたりの話はWikipediaの警察犬のページにも書いてある(なんならもっと詳しく)。


警視庁警察犬のあゆみ

https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/about_mpd/shokai/katsudo/dog/history.html


Wikipediaの警察犬のページは英語版だと日本語版とはまた違った記載があって、警察活動に犬を使おうという初の試みは、1889年のロンドン警視庁長官チャールズ・ウォーレン卿によるものだそうである。当時、ウォーレン卿は切り裂きジャックの捜査をしており、犯人の追跡に犬を使ってはどうだと提案だか要求だかを受けて、試しに2頭のブラッドハウンドで犯人の追跡をテストしてみたところ、1頭はウォーレン卿に噛み付いた挙句、2頭とも逃走したとのことである。結局、切り裂きジャックが捕まることはなかったけれども、今日では警察犬が捜査に役立っていることは周知のとおりである。


ちなみに、兵庫県警のWebページでは、犬を警察活動に活用した世界初の試みは1896年のドイツのヒルデスハイム市警察によるものと紹介されている。1889年のウォーレン卿のやつは、結果がさんざんだったからノーカンみたいな扱いなのだろうか。


兵庫県警察 ― 警察犬

https://www.police.pref.hyogo.lg.jp/shokai/dog/index.htm



【嘘発見器】

下記の文献によれば、古代の中国では容疑者が嘘をついているかどうかを見極めるために乾いた米を口に入れさせて、しばらく経ったのちに米が乾いたままであれば嘘をついていると判断していたそうである。これは迷信じみた行為ではなく、人間は嘘をつくと口の中が乾くという経験則に基づいたれっきとした科学的手法である。


Martina Vicianova, "Historical Techniques of Lie Detection," Europe's Journal of Psychology, 11(3), pp.522-534, 2015.


日本でも似ているようなそうでもないような話が伝わっており、「濡れ衣」の語源として、濡れた衣を着させて早く乾いたら無罪、乾かなければ有罪という裁判がかつて存在していたという説がある。熱湯に手を突っ込む「盟神探湯」も似たような発想だろうか。先の中国の話とつながっているかどうかは不明だが。


いわゆる嘘発見器と呼ばれるポリグラフは、1881年にチェーザレ・ロンブローゾが開発したそうである。実用化は1921年にウィルアム・M・マーストンによるとのことである。Wikipediaによれば同年にバークレー警察が本格的に導入したらしい。ただ、このへんの年代や開発者は文献によってけっこういってることが違っており、どの時点で現在のポリグラフに相当するものになったかはっきり決められないのかもしれない。Wikipediaだとジョン・オーガスタス・ラーソンが開発したようにも書かれてるし、レナード・キーラーが開発したようにも書かれている。


日本でいつからポリグラフが導入されたのか、例のごとく明確な年は特定できなかったが、下記のような最高裁判例は見つかったので、少なくともそれよりも前には使われていたのは間違いない。裁判要旨は「検査者の技術と器具の性能が信頼できるときは証拠能力がある」ということらしい。


最高裁判所判例集  昭和42(あ)2188

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50844


可能な範囲で調べた限りでは、以下のような1959年発行の文献が見つかった。中身を読めていないので憶測になるが、ポリグラフが裁判に使われることの妥当性とかそういうものを論じているような気がする。だから、おそらくポリグラフは1959年かそのちょっと前ぐらいに日本では使われ始めたのではないだろうか。


今村 義正, "ポリグラフ(うそ発見器)検査技術について-2-," 自由と正義, 10(3), pp.38-40, 1959.



【まとめ】

今回調べた結果を年表にすると以下のようになる。年が特定できなかった項目もけっこうあったので、いくつか憶測が入っている。あと、参考として有名な刑事事件も入れてる。


1736年 生活反応についてはこれよりも前に既にノウハウがあった。

1840年 世界で初めてヒ素の検出が証拠に用いられる。

1880年 ヘンリー・フォールズが指紋による個人の識別について発表。

1889年 警察犬を犯罪捜査に役立てることが試される。

1900年 たぶん日本でもこのころにはヒ素の検出が証拠に用いられてたと思う。

1901年 ランド・シュタイナーがABO式血液型を発表。

1908年 日本で指紋が犯罪捜査に用いられるようになる。

1921年 嘘発見器が実用化される。

1937年 ヴァルター・シュペヒトがルミノール反応を発見。

1937年 日本でルミノール反応が犯罪捜査に用いられるようになる。

1928年 日本で血液型が犯罪捜査に用いられるようになる。

1948年 帝銀事件。使用された毒物の検出が争点に。

1949年 下山事件。ルミノール反応と生活反応が広く知られる。

1952年 少なくともこれより前には日本で筆跡鑑定が証拠として認められている。

1952年 日本で現在の形で警察犬が運用されるようになる。

1959年 少なくともこれより前には日本で嘘発見器が運用されている。

1966年 袴田事件。血液を用いた証拠の取り扱いが問題に。

1985年 アレック・ジェフリーズがDNAによる個人識別の手法を発表。

1987年 世界で初めてDNAが証拠に用いられる。

1988年 日本で初めてDNAが証拠に用いられる。

1991年 足利事件。DNA鑑定の手法や運用法が問題に。

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