第5話 hello, world
エアポートには、風が強く吹いている。
空のただ中にむき出しになったかのような通路からは、遠く島々が空中に点在しているのが見える。それぞれ孤独に空間の中に定位置を保っている陸地は、科学の力で天空に浮かべられている。次々と湧き上がる雲は、定位置を保つ島々を置き去りにするように、風に飛ばされて瞬く間に彼方へと消えていく。
「...ハルカ!」
通路の端をハルカが歩いているのを、アルドとミイナはほぼ同時に見つけた。アルドの声が届かなかったのか、呼びかけに気づいた様子はない。少しうなだれたような背中からは、ハルカの目が遠くの島々を見つめているのか、過ぎ去る雲に向けられているのかは、わからなかった。
「ル、ルカ...!」
ミイナも呼びかけるが、風の音にかき消されたのか、ハルカの耳には届かないようだ。ハルカは、そのまま歩みを進めてアルドたちから遠ざかって行く。
ハルカを追おうと、アルドは駆けだそうして、しかしすぐに立ち止まる。ミイナが突っ立ったまま、なおも迷うように視線を泳がせているからだ。
「ミイナ」
アルドの呼びかけにも、ミイナは動かない。
「ミイナ、このままで、いいのか!?」
「う”っ…」
ミイナは喉の奥から絞り出すように何やら音を出した。
なぜ、教室で呼び止めなかったのだろうかと、ミイナは考えていた。
さっき、なぜ、教室を出ていくルカを呼び止めなかったんだろう。
すぐに駆け寄って、思っていること、言えばよかったんだ。
何気なく話し始めた、ソーサラーの男の子
仲良くなるほどに、ごめん、いつIDを交換したんだっけって、言い出せなくて
現実でのあなたは、誰なのって聞けなくって
会いたかった
現実でも、ゲームでも
もっともっと、話したかった
本当の気持ちやもやもやを、あなたの前では隠さず言えた
あなたに会いたい気持ちは、恋に似て胸を高鳴らせた
でも、もっとずっと深くて、シンプルで、優しい気持ち
何もかもを分かち合いたいという願い
ルカ、あなたが、だましたなんて、思ってない
あの日、話しかけてくれて、ありがとう
たくさん笑ったこと、嘘じゃない
あなたの前では
ゲームの中では
肩の荷を下して、なんでも話せた
全部、本当のわたしだった
友達に「なりたかった」なんて、言わないでほしい
あの日々は、時間は、全部嘘だったことになってしまう
ごめんなんて、言わないでほしい
謝って、勝手にいなくならないでほしい
だって、こんなに複雑になってしまったのは全部、わたしの見栄っ張りのせいじゃないか
「このままなんて、嫌だ...」
呟くと、ミイナはまっすぐにハルカを見た。
「ルカッ!」
声の限りに、ミイナは叫んだ。迷いをかき消すように。何もかもを取り戻そうと願うように。「ルカ!行かないで!」
叫ぶなり、ミイナはハルカに向かって駆けだした。
ハルカは、立ち止まった。今度こそ、声が届いたように見えた。ミイナは立ち止まり、ハルカが振り返るのを待った。
アルドは2人の様子を、固唾をのんで見守る。
しかし、振り返ることも、返事を返すこともせず、ハルカは歩きだした。ミイナとの距離は、また遠くなっていく。
「...勝手に行くなんて、許さないんだからね!」
歩み去るハルカの背中に、ミイナは叫ぶ。
「わたしは...!白制服で...人気者の...」息を吸い込む。思いをこめて、吐き出す。「見栄っ張りで、人の目ばかり気にして、目立ちたがり屋の、ミイナちゃんなんだからねっ!!」
ハルカは、立ち止まった。振り返る。いっぱいに涙をためた目は、驚いたように見開かれていた。
その時、ハルカの背後にサーチビットが現れた。
1、2、3機。
目玉のような赤いセンサーが、唯一無機質な機械の敵意を示して点っている。
不気味な機械音をあげて、暴走したサーチビットは侵入者とみなした人間を排除しようとアームを振り上げる。
「危ない!」
叫ぶなり、ミイナはハルカに走り寄り、力いっぱい手を伸ばした。
必死で顔をゆがめるミイナはハルカだけを見ていて、
見開かれたハルカの瞳がミイナの視線を捉えて、
一瞬が永遠のようにゆっくりと感じられる時間の中で、
交錯する、2人の視線。
ミイナはハルカの腕をつかんで、思い切り自分の方に引き寄せる。
「!」
間一髪、ハルカの頭上でサーチビットのアームは空を切った。
引き寄せられた反動でハルカはミイナにぶつかり、そのままの勢いで2人は地面にもつれるように倒れこんだ。
「いてて...」
「!ミイナ!」
倒れた時に足をくじいたらしいミイナが、痛みに顔をしかめている。
ハルカはミイナの横に膝をつき、心配そうに覗き込む。エアポートの風は一層強さを増して吹き荒れて、2人の髪をかき乱す。
「なんで...?」
ハルカが問う。なんで、来てくれたの?なんで、助けるの?なんで...
「当たり前じゃない」
すべての疑問を了解したように、ミイナは微笑んで言った。「あなたは、わたしの大切な、友達だから」
「ギギィ」
「!」「!」
機械のたてる不協和音で、2人は同時に顔を上げた。初撃を空振りしたサーチビットが体勢を立て直し、2人に近づいてきた。
ハルカはほとんど反射的に、ミイナをかばうようにサーチビットに向かい合った。額から噴き出した汗が一筋、頬を伝って落ちていった。
サーチビットは、じりじりと間合いを詰め、不快な金属音とともにアームを上げて、追撃の構えを見せる。
「ルカ...逃げて」
ハルカの鬼気迫る表情から、逃げる選択肢など毛頭ないことは伝わっていた。けれど、ミイナは言わずにはいられなかった。
「逃げないよ」
サーチビットを睨んだまま、ハルカは震える口角を持ち上げた。「友達、だから...!」
振り上げられたサーチビットのアームが、陽光に閃いた。
「よくやった、あとは任せろ!」
駆け付けたアルドが、サーチビットの前に躍り出て、鞘から剣を引き抜いた。繰り出されたアームを受け止め、そのままはじき返す。
体勢を崩したサーチビットの後ろから、他の2機が同時に飛び出してアルドにむかってくる。
斜に構えた姿勢から太刀を繰り出し、一体を切り伏せると、返す刀でもう一体に切りかかった。
鋭い剣筋が芯を捉えて、何やら部品が切り飛んだ。切り離された金属片が地面に落ちる前に、アルドはとどめの一撃を加えた。
刀身とサーチビットのぶつかる金属音が鳴りやんで、あたりに静寂が訪れた。
剣を鞘に納めると、アルドは2人を振り返った。
ちょうど、ハルカがミイナを助け起こそうとしているところだった。
「アルド、ありがとう」
ミイナがアルドに礼を言った。ハルカに助け起こされて、支えられる格好になっている。ハルカも続けて小さな声で
「アルド...さん。ありがとう、ございました」
と言った。
「敬語は、なし。ね、アルド」
「あ、ああ、もちろん」
それ、ミイナが言うことかな、とアルドは思ったが、いつもの調子を取り戻しつつあるミイナにほっとする気持ちが大きく、突っ込みは入れないでおくことにした。真実、敬語でなくてもいいと思っていた。短い付き合いだが、2人に振り回されるうちになんだか仲間のように思えてきたのだった。
「ミイナさ...ミイナが言うことかな」
アルドの心の声をハルカが代弁した。
ミイナが目を見開いて、抗議しようとハルカを見ると「ごめんなさい」とハルカが言った。
「ミイナをずっとだましてた。本当は、地味で冴えなくて...友達でもないのに」
そう言って視線をさまよわせるハルカの手は、震えていた。震える手で、でもしっかりとミイナを支えている。ミイナはその手をぎゅっと握った。
「わたしの方こそ、酷いこと言って、ごめん」
ミイナはきまり悪そうに髪をいじった。「もちろん驚いたけど、ものすごく、驚いたんだけど。そしてわたしのプライド、ボロボロになったんだけど...?」
「...」
うつむくハルカの手をさらに力をこめて握って、ミイナは言葉をつなぐ。
「だまされたなんて思ってない。ルカに、会えて良かった」
「でも...」
「初めてルカに話しかけられたとき、調子よく知ってる振りしたのが悪かったの。仲良くなってからだって、見栄を張らずに、現実でのあなたは誰って早く聞けばよかったの。...教室で、言えばよかったの。自分を守るための言葉じゃなくて、ルカに会えてよかったってことを。だから、わたしのせい。」ミイナは口元を大きくほころばせた。「もう、この話はおしまい」
笑顔のミイナを見つめると、ハルカは唐突に「エンカウント、スキップできなかったね」と言って小さく笑った。「わたしたち、友達になれたと思う?」
「え!?2人はもう友達だろ!?」
ハルカの問いかけに、アルドが驚きの声をあげた。
「ここまで言ってるのに、驚いたのはわたしなんだけどね!?」
ミイナが大仰に驚いたそぶりをしながら言った。ハルカはおどけた様子につられたように口元を緩ませた。
「お茶目で、見栄っ張りで」
「み、見栄...!?」
見栄っ張り!?とばかりに目を見開くミイナを横目にハルカは言葉を続ける。
「いつも笑顔の、あなたが、とてもまぶしかったの。友達に、なりたかったの」ハルカは柔らかく破顔した。「また、ロードオブマナで遊んでくれる?」
「もちろん。ゲームでも、現実の世界でも。よろしくね、ルカ」
笑って頷くミイナに、ハルカは嬉しそうに頷き返した。
「よかった。一件落着、かな」
2人の様子を見て安心したようにアルドが言う。
「アルドにはいろいろ迷惑かけて、ごめんなさい」
殊勝にもミイナが謝ると、アルドは驚いた顔をした。
「えっ。オレ謝られるようなことされたっけ...」
「...」
「...」
閉口するミイナとハルカの視線を受けて、アルドは首を傾げる。
「アルド、お人よし、って言われない?」
ミイナの言葉にハルカも同意を示すように力強く頷いた。
しかし次の瞬間には、ハルカはミイナのほうを向き、まったくもうといった様子で首を振った。
「ミイナは巻き込み体質だから。ミイナには言われたくないと思うよ」
「!ちょっとルカ!」
「あははは」
もう大丈夫そうだ、よかった。2人のやり取りに、アルドは目じりを優しく下げて笑った。2人から視線を移して、遠く浮かぶ島々を見る。
相変わらず風は強く吹いて、次々と湧き上がる雲が、せかされるように流れていく。
大きな風のうねりは、雲を彼方へと押しやっているのではなくて、雲たちが、各々の島に帰りつけるように、背中を押しているのだろうか。今エアポートからの景色を見て、アルドにはそんな風に思えた。
ここはアルドの生まれ育った時代から、遠く離れた未来。けれどもう、自分の故郷のように感じるほど慣れ親しんだ未来の景色。特別でも何でもなくなった、殺風景なエアポートの風景を、今日はなんだかたまらなく愛しいものに感じるのだった。
"hello, world" スイ @sui_sui
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