ノエル
新原つづり
ノエル
あんまり彼女が白かったので、死んでいるのかと思った。
「やあ」
今から殺さなければならない少女に、僕は話しかける。彼女は不思議そうに僕を見る。
死んでいてくれたら、どんなによかっただろうか。少女はどうして生きているのか。なぜ殺されなければならないのか。
「君は死ななければならない。人類のために、君を殺さなければならない。わかってくれ」
僕は彼女に銃口を向ける。銃を持つ手が震えているのはプロ失格だ。彼女の美しい黒髪が微かに揺れた。少女は楽しそうに口角を上げる。
「ずっとあなたを待っていたわ」
僕は引き金を引いた。
人間がいかに無力な存在であるか、僕たちは忘れている。暗闇を生きる者たちにとって、僕たちはあまりにも無力だ。
「そんなことないよ」
ノエルは真剣な顔をして言った。
「皆がいるから私は生きていける。皆がいなくなってしまったら、私も消える」
「けれど、僕たちが君らに食われる側の存在であることには変わりないじゃないか」
「それもそうね」
とたんに興味を無くした様子で彼女は読んでいた小説に目を落とした。
僕の手の中にあった拳銃から放たれた弾丸はノエルの額の中心を貫いたが、それでも彼女は当然のように生きていた。僕がそのことを上司に伝えると彼は
「何でもいいから、とにかく殺せ」
とだけ言って電話を切った。僕は困って彼女を見ると、彼女は嬉しそうに笑った。
「何でもいいから、なんて。方法もわからないのに目的を達成しようなんて、なんて滑稽なことなんだろう」
彼女はベッドから起き上がると僕の前に立った。彼女は印象よりもずっと小柄だった。
「私はノエル。私はあなたに殺されることを望んでいるわ」
彼女はそう言うと、とても自然に僕を抱きしめた。
「努力はするよ」
僕は少しだけためらったものの、一向に僕から離れようとしない彼女の頭を軽く撫でた。
「そもそも不思議なものよね。ある日突然私は吸血鬼になって、よくわからない組織から派遣されたあなたと一緒に暮らしている。まだ男の人と付き合ったことだってないのに、お父様もお母様もよく納得されたわ」
ノエルは今、僕の家に住んでいる。僕の家と言っても組織が提供してくれたものだが。ノエルを監視しつつ彼女の殺し方を調べるのが現在の僕の仕事である。
「でも、なんで学校には行っていいわけ?」
「そんなこと僕に聞かれても……。上司からの命令としか」
「ほんとあなたってダメね」
ノエルは心底呆れたという目で僕を見た。
「もし私が学校で暴れ回っちゃったりしたらどうするつもりなんだろう……」
「さぁ……」
「まぁいいわ。明日も早いからそろそろ寝る」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
吸血鬼なのだから、血さえ与えなければ死にそうなものだが、そう単純なものでもないらしい。彼ら彼女らは完全な不老不死であり、血を吸っても吸わなくても生き続けるのである。
吸血鬼の身体は頑丈であり、めったなことでは傷つかない。かりに傷をつけられたとしてもすぐに再生してしまう。病気にもならない。老いることもない。
「だけど、今まで生まれてきた吸血鬼は皆死んでいるんだよな」
秋の風が気持ちの良い午後、僕は図書館にいた。もちろん図書館と言っても普通の人が利用するような図書館ではない。僕のような仕事についている人間が利用するところだ。見たところ僕以外に利用者はいない。司書が一人、退屈そうに本を読んでいる。
僕はノエルを殺す方法を調べていた。
吸血鬼は存在する。
そして今まで生まれた吸血鬼は全員、死んでいる。
つまりノエルも殺し得るということだ。僕は目にとまった本を手に取る。『よみがえる近代魔術』という怪しげな題名の本である。表紙には若い女が描かれているのだが、彼女は目から血の涙を流していた。
「何かお探しですか?」
気がつくとすぐ近くに司書がいた。僕は少し驚いたが、それ以上にこんな怪しい本を読んでいるところを見られてしまったことを恥ずかしく思った。
「ええ、吸血鬼に関する本を探しているのですが……」
「しばらくお待ちくださいね」
そう言うと彼女は小走りでどこかへ行ってしまった。
しばらくお待ちくださいと言われたので、とりあえず僕は待つことにする。『よみがえる近代魔術』を本棚に戻すと、適当に本棚を見て回った。気がつくと数学の本が集められた棚の前に来ていた。
僕は数学の本の中から何冊か選ぶと、それらを持って席に座った。パラパラと本をめくる。どの本にも、今ではよくわからなくなってしまった数式がたくさん書かれている。とても懐かしい気持ちになった。数学の本を読んだのはいつぶりだろうか。
「お待たせしました」
本を眺めながらぼうっとしていると、司書さんが何冊か本を抱えて戻ってきた。
「吸血鬼関係の本と言うといろいろあるのですが、これらの本が専門的かと……」
「ありがとうございます」
僕は司書さんから本をもらった。すると彼女はなぜか僕の近くの席に座った。
「……どうかされましたか?」
「いえ、数学好きなんですか?」
「……ええ、昔数学を専門的に学んでいたんです」
「そうなんですね」
彼女はそう言うと、自分が持ってきた本の中から一冊を選ぶとページを開いた。
「あなたは組織の方ですよね?」
僕は何も言わなかった。組織に属していることを人に言うことは、原則として禁じられている。多くの人は適当な嘘をついて誤魔化すのだろうが、僕は嘘が苦手だった。
「大丈夫ですよ。あなたが私の質問に答えられないこと、わかってますから。吸血鬼の何が知りたいのですか?」
彼女には穏やかな時間が流れている。僕はそれに巻き込まれてはいけないと感じつつも、緊張が解けていくのがわかった。
「吸血鬼を殺す方法を調べています」
少し考えて本当のことを言った。黙っていることもできたけれど、これくらいのことは言っても問題ないと判断したのだ。吸血鬼を殺す方法と言葉にしてみると、自分が実行しようとしていることがあまりに滑稽なことであるように感じる。
「殺さなくても無力化する方法はありますし、僕個人としてはそうしたいのですが、殺さなければならないのです」
「それは……人類のために?」
「さぁ、どうでしょう。もちろん表面上は『人類のため』ということになっていますが、実際のところはわかりません。むしろ本当は、もっと別の、例えば株価を操作するためかもしれませんし、焼けてしまった森を再生させるためかもしれません。そしてそれらは人類のためにもなり得ますが、僕はならない方のものだと感じています」
「働く人は大変ですね」
「あなたもそうでしょ?」
司書さんはそれには返事をしないで、ただ少しだけ笑った。
ノエルが学校から帰ってきた。何だか少し疲れているように見えたが、それはいつものことのような気もする。ノエルはとても美しいのだが、どうも生きることに疲れてしまったというような雰囲気があり、それが彼女の美しさをいくらか歪めていた。
「特に何もなかったわ」
「そう。こっちも収穫はなしだ」
「だと思った」
ノエルはソファーに音を立てて座った。
「本当に何もなくて、なんだかよくわからなくなってしまうの。私は本当に吸血鬼になったの? あなたは私を殺そうとしているの? すべてが夢みたい」
「でも君にはわかるんだろう。自分の存在が、昔とは違ってしまったことに」
今日借りた本に書いてあった。吸血鬼になったものは、すべての変化に先だって、自らが人間ではなくなってしまったことを確信するという。それがどういう感覚なのか、もちろん僕にはわからないのだけれど。
「例えば」
ノエルは僕が出したアイスコーヒーを一口飲んだ。
「今日、何かとてつもない不幸が自分に降りかかるだろうと確信することってない? あれに近い感じだわ」
「そんな感覚……」
よくわからないと言いかけて、僕は黙る。そして考えてみる。
「あるかもしれない」
「何も違わないのに、何もかも違ってしまう。その感覚がまずあって、それから体が少しずつ変わっていって、きっと私は殺されるんだと思った」
「死ぬのは怖いよね」
「それは、ね。けれど仕方のないことよ。私が生き続けることは危険なことなのだから」
なぜ吸血鬼は人の血を吸うのか。それは生きるためではない。自らの意識を保つために、彼らは人の血を欲する。彼らはそうしないと自らを自らとして保てないのだ。
「全部仕方のないこと。受け入れるしかないわ」
ノエルが風呂に入っているとき、上司から電話がかかってきた。彼から電話がかかってくるときは大抵最悪の事態を意味していた。
「今日、ノエル君の学校で女子生徒が殺された。血はすべて抜かれていた。その意味は明白だ」
「これは我々の判断に対する弁明だ。残念ながら言い訳と言われても仕方ないだろう。なぜノエル君を学校に通わせたことを許可したか、ということに関して、まだ君には何も伝えていなかったね」」
ノエルは現在、組織が拘束している。クラスメイトを殺した容疑がかかっているのだ。
「とても単純なことなのだが、彼女にストレスを与えないためだった。吸血鬼の狂乱がどのように起こるのか、そのメカニズムは今後の魔術の発展に期待するしかないが、現在我々がおそらく正しいだろうと考えている仮説としては」
「人間の血が必要になったとき、あるいは何らかの精神的ショックが与えられたとき」
「……その通りだ。つまり血を必要なだけ与え、精神的ショックさえ回避できれば、吸血鬼はその悪を世界に示さない」
「ノエルがやったという証拠はあるんですか?」
「それは調査中だ。けれどこのような事態が起き、すぐ近くに吸血鬼がいる。組織としては妥当な判断だと言わざるを得ない」
僕はノエルがやったとは考えていない。根拠はもちろんないが、彼女がやったという証拠が出ていない以上、彼女を疑いたくはない。
「僕もその捜査に加わっても?」
「いや、君には引き続き吸血鬼を殺す方法について調べてほしい。殺せない存在など、あってはならないのだよ」
僕は上司の部屋を出た。現在僕は組織の支部にいる。何の変哲もないオフィスビルのワンフロアである。普段はもう少し人がいるのだけれど、今日は驚くほどに人がいない。聞いたところでは組織が今まで追い続けていた魔術師が、ついに尻尾を出したとか、出さないとか。
魔術師。何とも恐ろしく、そして滑稽な響きか。
僕は一度だけ、本物の魔術師にあったことがある。彼は名前を名乗らなかったけれど、まるでかつての友人に対するように僕に語りかけた。
「私たちの目的は、もちろん人によって異なるのだが、私自身としては、世界をあるべき姿に戻す、ということにある。世界は様々な要因によって歪められてしまっている。例えば、君が存在する。それだけで世界は君が想像している以上に歪んでしまって、それはもう本来であれば取り返しなどつかないのだ。かっとなって最も愛した人を殺してしまった男がどう願ったところで、彼女が生き返ることはない」
僕が世界を歪めているというのは、意味はまったくわからないけれど、なかなかに興味深い指摘だった。もちろんそんなことはあるはずがない。僕には世界を歪めるほどの質量も熱意もないのだから。
「世界のあるべき姿。私はそれを望んでいるし、それのみを望んでいる。もしそれが永遠の無であるならば、世界はそうである必要がある。完全な平和であれば、それは実現されなければならない。血と肉が飛び交う戦乱の世であったとしても、私はそれを受け入れよう。君は何か好きなことはあるかい?」
突然の質問に戸惑いつつも、僕は少し考えて答えを出した。
「数学……ですかね。あとは歩くことも好きです」
「どちらも素晴らしいことだ」
魔術師は笑った。
「終わりはなく、それでいて自らを忘れることができる。存在を消すことなんてできないのだ。だから人々は忘れようとする。人は忘れることができる。何も考えない。まるで空に浮かぶ雲のように、悠々と、考えることを忘れて我々は生きよう」
僕には彼の言っていることが理解できなかったが、そもそも彼は理解されたいとは思っていないだろうと感じる。理解されたいし、できるなら愛されたいと望む僕と彼がわかりあうことなど、初めからできなかったのだ。
僕はノエルの学校に向かうことにした。上司はああ言っていたが、組織の人間も警察も信用なんてできない。ノエルは死ぬべき存在なのかもしれないけれど、無実の罪を着せてよいわけで決してない。
少女の死体は綺麗に片づけられていて、今ではそこに死体があったという痕跡すらない。立ち入り禁止のテープが適当に貼られているだけだ。
僕はいくつかの魔法を試してみる。けれどどれも無駄だった。すべてが丁寧に消されていた。
「もうそこからわかることはないと思いますよ」
振り向くと女の人が立っていた。大きな丸眼鏡が特徴的で、綺麗と言うよりかわいらしい印象を受けた。
「私のこと、覚えていませんか?」
「……すみません」
「図書館で」
図書館という言葉で、僕は彼女を思い出した。司書の人だ。
「あっちはアルバイトなんです。こっちが本業」
「ということはあなたも組織の人間?」
「ええ。魔術が関与した事件の捜査を主に担当しています」
同業者だったというわけだ。
「はじめに言っておくと、私はノエルさんが犯人だとは思っていません。ですが状況は非常に悪いです。組織は犯人がノエルさんであったとしたいようなのです」
「彼女が吸血鬼だからですか?」
「ええ。吸血鬼は人を殺すし、血を吸いますから」
非常にシンプルな、それでいて強力な世界の法則である。様々な説明が可能な場合は、最もわかりやすいものが採用される。組織はどうやらノエルを犯人にしたいようだった。いや、より正確に言うと、これ以上捜査をしたくないようだった。それは大きな陰謀を隠すためなのか予算の関係かわからないけれど。
「人が殺された。その晩被害者はとある殺人鬼と食事をしていた。ゆえに彼はその殺人鬼に殺されたのだ」
「?」
「まったく馬鹿げた推論です。ノエルはなんて?」
「私はやっていないと」
「僕が会うことはできますか?」
「残念ながら。上は、あなたにはあなたの仕事をしてほしいみたいです」
「殺人を犯した吸血鬼の殺し方を見つけることが、僕の仕事だ」
「立派な仕事ですよ」
僕の人生は決して愉快なものではなかったし、どちらかと言うと不幸ですらあるように感じるのだが、それはノエルも同じだったと思う。
彼女は資産家の娘であり、さまざまな才能に恵まれていたが、残念なことに親から愛されることはなかった。少なくとも彼女はそう思っていた。
あの人たちはお金や仕事のことにしか興味がない、私には何の興味もない、彼女はしばしばけだるそうにそう言った。おそらくそれに関しては、さまざまな誤解があるように思うのだけれど、ノエルがそう思っているという現実は、確かにそこにあった。
では、なぜ彼女は両親を殺さなかったのか?
彼女は吸血鬼になった。血を欲していた。
そうであるならば、彼女の親は殺されても不思議ではなかった。にもかかわらず、彼女が両親を殺すことはなかった。
「私に会いに来て大丈夫なの?」
「本当は大丈夫じゃないんだけど、まぁ大丈夫」
僕はノエルが拘束されている部屋にいた。拘束、という言葉の割に、そこはまるで普通の女の子の部屋のようだった。
「あなたってもしかしてすごい魔法使い?」
「まさか。組織の警備がザルなだけだよ」
僕はノエルに訊ねたいことがあった。だからここに来た。ザルと言うのは嘘だ。僕はここに来るのにいくらかの危険を冒している。
「死んだ女の子のことについて聞かせてほしい。彼女は君の何なんだ?」
あっと言うまもなく世界がはじけ飛んだら、どんなに楽なんだろうね。
A子は常にそんなことを言っていたという。ノエルはなんとなくではあるが、彼女の気持ちを感じ取ることができた、のかもしれない。
A子の気持ち、わからないわけじゃないわ、とノエルは言った。A子は死にたがっていたように思うの、だから死んでしまったんだわ、たぶん。
死にたいと思うだけで死ねるほど人間は弱くないが、A子の思想が何らかの形で彼女の死と関係しているというのは、ありそうな話だった。
こんなに夜は暗かっただろうか、と僕は歩きながら考える。夏は終わってしまったんだなと今さらながら感じる。夜の風は冷たい。
ノエルはA子を殺してなどいない。けれどA子はノエルに殺されたがっていた。
「吸血鬼に殺されたら、私も吸血鬼になれるのかな。こんな生きにくい世界から、脱出できるのかな。こんな世界はじけて、消えてしまえばいい。遠くから見たら、星に見えるかもしれない。ねえノエル。もしあなたが本当に吸血鬼で、私を吸血鬼に変える力があるのなら、お願い。私を仲間にして。もう沢山よ」
A子の生きにくさとは何だったのか、僕にはわからない。わかるはずもない。彼女には何の問題もなかった、とノエルは言う。もちろんノエルにしたところで、A子の本当の気持ちはわからないけれど、それでもやはり「死にたい」と強く願うほどの問題を抱えていたとはとうてい思えないとノエルは言った。
「何がたくさんなの?」
「何もかもよ」
「それだけじゃわからないわ」
「ノエルならわかってくれると思った」
僕はだらだらと夜道を歩く。吸血鬼を殺す方法はわからないし、A子を殺した犯人もわからない。ノエルは拘束されたままだし、このまま行くと組織と警察はノエルが犯人ということで事件を終わらせるだろうと思う。
しばらく歩くと、目の前にはノエルの学校があった。適当に歩いていたつもりだが、無意識のうちに来てしまったようだ。門の前には男が立っていた。僕はその男に妙に懐かしさを覚えた。
「久しぶりだな。少年、いや、もう青年か」
魔術師の男はニヤニヤ笑っていた。口の周りに前はなかった口髭があった。
「世界はあるべき姿に戻りそうですか?」
「ああ、もうすぐだ」
魔術師は誇らしげに言った。
「吸血鬼が出たそうじゃないか。死人も出た。私も現れた。組織の連中ももうすぐ来るだろう。フィナーレだ。大いに楽しもう」
「世界の問題が、こんなちっぽけな舞台で決まってしまうと?」
「ちっぽけなんかじゃないさ。すぐわかる」
魔術師は消えた。ついでと言った感じで、空に浮かんだ月も消えた。僕は自分の意識が遠のいていくのを感じた。
僕は教室にいた。これは僕の記憶の中であるとすぐにわかった。教師が黒板に数式を書いた。それは何の数式であるか、僕にはわからなかった。
隣にいるノエルは退屈そうに窓の外を見ていた。A子は悲しげな表情をしていたが、それが残酷な未来につながると誰が想像できただろうか。
教師が言う。
「世界のすべてを予言するような数式を物理学者やら哲学者やらは求めているのかもしれないけれど、そんなことは原理的に不可能なんだ。それは我々が人間だから、というちゃちな理由ではなく、それが例え神であったとしても、という意味での原理的不可能性であり、そんなこんなで世界は予言されることなく、突然に終わり得る」
教師は魔術師に変わっていた。
僕は夢から覚めた。ここは学校である。ノエルはいない。A子もいない。もちろん、魔術師もいない。
組織の人間が続々とこの学校に集まっているようだった。ある者は人間のような形をして、ある者はそうでないような形をして。けれど結局は全員人間である。
僕はA子が死んだとされる場所に向かった。音楽室だった。A子はピアノを弾いていた。A子にはピアノの才能があり、ノエルはそのことについて様々な考察をしていた。特に、なぜA子が高校二年生になった途端に突然ピアノをやめたのか、ノエルは不思議がっていた。
人が続けていたことをやめることに大した理由なんてないと僕は思う。それが傍から見たらもったいないことであったとしても。自分の才能の限界に気がついたのか、単なる気まぐれか、もしかしたら家庭の事情というやつかもしれない。A子はピアノをやめた。もう二度と弾くことはないと、彼女は言っていたそうだ。
それは、なぜか。
「君はその答えに辿りつけたのかな?」
真っ暗な音楽室に佇む一人の少女に、僕は問いかける。
「君はそのことについてずっと悩んでいたよね。ノエル」
「たぶん」
ノエルは口を開いた。
「A子は、祈る対象を失ってしまったからだと思うわ」
「祈る対象?」
「ええ。彼女は誰かのためにピアノを弾いていたんだと思う。その誰かが消えてしまった。だから彼女はピアノをやめた」
なるほど、と僕はつぶやく。とても明快な答えだった。
「あなたは誰かに恋をしたこと、ある?」
「つい最近まで、僕は恋をしたことがあると思っていた」
「ふーん」
「ないよ。たぶん」
「私もないわ」
「吸血鬼は人間を好きになるのかな?」
「さぁ、どうだろう」
「君はここに来るまでに、何人殺した?」
「さぁ……あなた程ではないと思うけれど」
「魔術師さん」
なるほど、と僕は思う。なるほど、そういうことか。
夜の学校は静かであったけれど、僕の想像をはるかに超えて静かであった。秋の風は僕が思うよりずっと冷たく、それは冬を予感させた。
今学校の音楽室にいるのは、僕、ノエル、そして魔術師。
魔術師は一体どこからやってきたのか、音も立てずにそこにいた。
「君がノエル。吸血鬼よ。友人は元気かい?」
「死んだわ」
僕は近くにあった椅子に座った。
「始まりはいつも単純だし、終わりは常に複雑だ。すべての伏線はまったくと言ってよいほど回収されることはなく、物語は丸投げされた形で終焉を迎える。まずはA子君の死についてだが……」
魔術師は僕たちに語りかけた。それはこの場にふさわしく、教師のようであった。
「君たちは空に浮かぶ海について考えたことはあるかい? 私はかつてそのような考察をし、それは考え得るけれど実際には存在しないものだと感じていたが、ところが面白いことに、空に浮かぶ海は実在したんだよ。少女の願いって言うものは、ときどき恐ろしく超自然的な形で我々の前に現れるものなのだね。私はその海を泳ぎながら考えた。この海の浜辺に流れるメロディーは、一体誰のものなのだろうと」
「音楽は誰のものでもないわ。強いて言えば、それは聴いた人の記憶のもの」
「ノエル、論点がずれているよ」
僕は言った。言ってから、これはノエルにではなく、魔術師に対して言う言葉であったと後悔した。
「いいや青年。ノエル君は正しいよ。自分の正しさを信じるのはよいことだが、ときに他者のそれも認めてあげなくては。さて、何の話だったっけ?」
「メロディーは誰のものか」
「それは紛れもなく、A子君に祈られた誰かのものだろうよ。それが誰であるのか、私は考えた。一人の少女が空に海まで浮かべるほどに、愛した人は誰なのか」
音楽室は組織の人間に包囲されつつあった。ここには世界にあってはならない二つが存在している。そんなところに僕がいることが、非常に不可解ではある。ノエルは魔術師を黙って見ていた。彼女はきっととても重要なことを僕に隠していたのだ。
しばらくの沈黙の後、魔術師が再び口を開いた、そのときだった。
爆音とともに教室の窓ガラスが割られ、さまざまな色の光線が教室のあちこちに飛び交った。僕は身を守るためにシールドを張った。ノエルと魔術師は組織の人間たちの完全に包囲された。
「やれやれ」
魔術師は肩をすくめた。
「せっかくよいところだったのに、これでは台無しじゃないか」
「お前の軽口に付き合っている暇はない」
上司が魔術師に怒鳴る。
「吸血鬼の殺し方はわかったか?」
「いいえ」
「まったく、何をしているんだか」
「そんなことよりも、大丈夫かい?」
魔術師は楽しげに言った。
「その子、様子がおかしいけれど」
僕はノエルを見る。そこにはノエルはいなかった。
それは、ノエルではない、何かだ。
「ふふふ」
吸血鬼は笑った。
「私を殺す方法など、本当にあるのでしょうか? 私、とても興味があるような気がして」
「歴史を考えると、確かに方法は存在するようです」
「歴史って、過去のことですよね? 過去にあったことが今もまだあると、どうして言えるのでしょう?」
誰も動けない。見えない何かに、完全に圧迫されている。窓からは月が見えた。魔術師が消したはずの月が戻っている。
「話しの続きをしても良いかな?」
魔術師が言った。
「もちろんです。私、そういう話は大好きなの」
「空に浮かんだ海が弾けて、雨が降った。雨にはいろいろあるけれど、そういう雨だってある」
「A子は誰を愛していたのでしょうか? 私、そのことがとても気になるような気がして」
「なんてことはない、ただのクラスメイトだよ。年頃の女の子だったら、よくあることだろ?」
「偏見です。そもそも年頃の女の子は、年頃の女の子と言われることを嫌います」
魔術師はポケットから煙草を取りだした。教室にいた組織の人間は、上司を残して、全員死んでいた。ああ、僕も組織の人間だから、僕と上司を残して、か。
「どうしてこんなことになった? 説明しろ」
「僕に言われても……。やはり魔術師と吸血鬼には関わらない方がよかったのでは?」
「すべて仕事だ。お前にはわからないかもしれないが、俺だってやりたくてやっているわけじゃない。上からの命令なんだよ」
「大変ですね」
「今ほどじゃないさ」
月は戻り、魔術師は語る。
なぜA子がクラスメイトを好きだったのか、という問いに答えなどない。なぜなら好きになることに理由などないからだ。強いて言えば、彼女と彼は幼馴染で、彼は彼女にやさしくしてくれて、彼はA子のピアノが好きだった。それだけだった。
彼は体が弱かった。彼は入院し、A子は頻繁に彼に会いに行った。隣にノエルがいたこともある。A子は彼のためにピアノを弾いた。彼女は、音楽が彼の病を癒やすことなどないとわかっていたが、いたからこそ、彼女の悲しみは海水になり、それが空に浮かんだという。空に浮かんだ海は太陽の光や月の光、星の光らを吸収してますます澄みわたり、いつしか空の空気と同じになった。
それは不思議な感覚だったと、魔術師は言う。
彼は死んだ。海は濁り、そして弾ける。
「さて、ここで面白い問題がある。ノエル君は、彼らの関係性にどのように関係しているのだろうか、ということだ。普通の少女が吸血鬼になってしまった。空に海が浮かぶのだから、そんなことだってもしかしたらあるだろう。私たちの世界は無限の可能性にあふれているのだから、海が浮かび、少女が吸血鬼になることだって、あり得るってものじゃないか。しかしながら一方で、吸血鬼は血を吸うという事実を鑑みるに、やはりどこかで彼女は血を吸わなければならないのではないか、と私は考えた。吸血鬼だから血を吸う、のではなく、血を吸ったから吸血鬼になったのだ、という話だ。こんなことを数学者か哲学者に言ったら馬鹿にされてしまうかもしれないが、逆は真ならずってね、そもそもそれは世界の要請であり、我々の本能には合わないのだよ。吸血鬼だから血を吸うのだったら、その逆、血を吸うから吸血鬼になるというのも、また我々の本能的には真実であり、魔術とは本能の具体化だ。理性では捉えきれないからこそそこに魔法が生まれ得る。最近の人間は死後の世界すら信じていないらしいが、なんてことはない、それは本能に著しく反した結果に過ぎないんだよ。つまり私の言いたいことは一つだけ、ノエル君は、血を吸った。おそらくA子が愛した、彼の血だ」
「正解」
とノエルは言った。吸血鬼はノエルに戻っていた、というより、ノエルは吸血鬼になってしまった。
「どうして?」
僕はノエルに訊ねる。
「A子の奏でるメロディーが、彼のための祈りだということは、素人の私でもすぐにわかったわ。A子は彼を愛してるんだって、そう思ったら、なんだか、とても」
ノエルは恥ずかしそうに下を向いた。
「そういう気持ちになったのよ。ああ、彼はどんな味がするんだろうってね。だから私は夜の病院に忍び込んで、彼の病室に行った。彼は寝ていた。よく見ると彼って結構美男子。だから私は、彼の首にちょっとだけ傷をつけて、そこから血を吸ってみたの」
「その血が海を穢したんだね」
「A子の海ね。私もそこで泳ぎたかった」
ノエルは言った。月の光に照らされた彼女は、あまりにもおぞましい生き物に見える。
「浜辺のメロディーは途絶えた。私は海にぷかぷかと浮かびながら、この世の喜びと絶望について考えるふりをした。基本的に私は何も考えていないからね。この世界はなぜ悲しみにあふれ、一方でささやかな喜びに満ちているのだろうと、そんなことを考えつつ、実は何も考えていなかった。ちょうど朝日が射してきて、海がきらきらとしていた。綺麗だなぁと思っていたら、端の方から赤い何かが流れてくるじゃないか。私は、あれは誰の血だろうと思った。この世界には吸血鬼がいたことや、彼らは皆死んでしまったこと、そして新たに地上に新しい鬼が目を覚ましただろうことを読みとった」
上司は倒れていた。
「少年は青年になり、我々を脅かす存在になった」
上司は僕が殺した。本当は殺したくなどなかったけれど、すべては人類のためである、と自分に言い聞かせることにした。
「魔法とは、あまりにもささやかで、滑稽なものだ。あなたはそうは思いませんか?」
僕の問いかけに、二人が答えることはない。
僕の話をしよう。
と言っておいてあれだが、特別語ることなどない。
数学が好きで、運動も嫌いじゃない。両親からは愛されて育ち、綺麗な姉がいた。
ある日、僕は自分が不思議な力を使えることがわかった。それはまるで夢の中のように、僕の現実を書きかえるものだった。
「ノエルは、彼のことが好きだったのかい?」
彼女は、それはどうだろうっといった風に目を細めた。
「誰かを好きになるというのは本当に奇跡的なことなんだなって、僕は思う。それだけでも奇跡なのに、好きになった相手から愛してもらえたとしたら、それはもう本当に、神様か何かの存在を感じずにはいられないよね。魔術師さんは、神様って信じる?」
僕は彼に問う。
「どうだろうねぇ。いてほしいものだけれど」
「昔はいたんだと思いますよ」
「ほう」
「僕たちがあまりにもあんまりで、どこかへ行ってしまったのかも」
「なるほど」
魔術師は窓の外に目をやった。つられて僕も外を見る。無残に割られた窓の奥に、月が見えた。あれは、上弦の月、だっけ。どちらがどちらかは忘れてしまった。小学生の頃に習った気がする。
秋の夜はとても静かで、空気はひんやりとしていて、これから温かな物語が紡がれるような気配に満ちていた。愛する娘の誕生日にプレゼントを買う父、些細なことで喧嘩してしまった彼女に謝る彼、約束を守る少年……。様々な主人公たちがこの街を舞台に生きているのだ。
「取り返しのつかないことって、あるじゃないですか」
僕はノエルと魔術師に言う。
「あーあ、どうして僕はあのときあんなことを言ってしまったんだろうって。どうして思ってもなかった本音を、あの人にぶつけてしまったんだろうって。僕は今でも後悔しているんだけど、もう何もかも遅いんですよ」
例えば、ノエルがどれほど悔んだところで、A子はもうどこにもいないのだ。
「いない。永遠にいない。もしかしたらって、やっぱりいない。人はそうやって取り返しのつかないことたちを積み重ねていくんでしょうね」
「君は私たちをどうしたいんだい?」
「組織はあなたたちを殺したいのでしょうが、僕はそんな気分になれません。もう殺すとか死ぬとか、正直こりごりなんですよ」
「私が困るわ」
ノエルは言った。
「お願いだから、私を裁いてください」
それは無理だ、と僕は言った。
そもそもの始まりは、この世界の法則に疑いを持ったことだ。
世界は様々な観点から(例えば物理学的観点や経済学的観点など)語られてきた。僕はその語られる世界に興味を持った。同じ世界であっても観点が違うとまったく異なる姿を見せるところが、特に面白いと思った。
そんな僕を見て姉さんが言った。
「共通する何かについて、考えたことがある?」
共通する何か、とは何だろうと僕は考えた。姉さんは世界を解釈することに否定的だったのかもしれない、と今になって思う。彼女は考えるよりも感じることが好きな人だったから。歌を歌い、楽器を演奏し、ときどき踊ったりしながら、彼女は精一杯に人々の愛を感じていた。
共通する何か、とは何か。
それ以来僕は共通する何かを求めてさまよっている。
ある日、姉さんはいなくなった。
「バイバイ。元気でね」
と姉さんは言って、僕のもとから去っていった。
僕と姉さんはずっと仲が良かったし、その事実が覆ることはない。なぜなら、姉さんは永遠に消えてしまったのだから。
魔術師は言う。君と私は似ていると。僕はそうは思わないけれど。
教室はとても静かだ。まるで誰もいないみたいだと、ノエルは言った。
僕は姉さんのことを思い出していた。姉さんはおそらく生きている。元気かどうかはわからないが、生きている。けれど僕と姉さんが会うことはもう二度とないのだ。
「結局のところ、A子を殺したのは誰なんですかね」
僕は半ば投げやりな気持ちで魔術師に問う。
「誰だろうね」
と彼は言った。
「あなたは彼女の亡骸を見たのかしら?」
「いいや。すべての痕跡が丁寧に消されていたよ」
「あの日、A子は不安に思っていたんだと思う」
ノエルはそう言うと窓の方に歩いた。窓は割れていて、外には月が見える。
「今でも血を飲みたいかい?」
僕はノエルに問う。
「別に君のせいでA子が死んだわけじゃない。けれど、それでも、君はまだ血を飲みたいと思うのかい?」
ノエルはその問いに答えない。なぜなら答えなど、わかりきっているからだ。
「いやはや」
魔術師が口を開いた。
「吸血鬼はもうじき死ぬようだ。残念ながら私の予想は外れた。世界があるべき姿を取り戻すのは、もう少し先の話らしい」
僕とノエルは歩いていた。夜は驚くほど暗かった。街の明かりがすべて消えてしまったのではないかと錯覚するほどに、今日の夜は暗い。
僕は彼女に話すべきことが何もないことに気がついた。この沈黙は心地の良いものではない。僕たちはどこに向かっているのだろうか。
「死ぬって、どういうこと?」
ノエルが僕に訊ねる。本当は問いの答えなどわかりきっているはずなのだけれど。
「吸血鬼じゃなくなるってことさ」
僕は答えた。
「そう」
「不老不死の存在を殺す方法なんて、考えてみればありはしないんだ。だったら、もし彼らが死んでしまったとしたら、それは人間に戻ったってことだろう?」
「そうね」
ノエルはそれっきり黙ってしまった。気がつくとファミリーレストランが見えた。僕は彼女に何か食べていくかと聞いてみたが、ノエルは家に帰ると言った。それもそうだろうと僕は思った。
僕は彼女のことを何と呼べばよいのだろうか。図書館の司書のバイトをし、本業は組織の捜査官の彼女のことだ。
「何でもいいですよ」
と彼女は笑って言った。こうしてみると彼女は僕よりもいくらか若いことに気がつく。大きな丸い眼鏡が彼女をさらに幼く見せた。
僕たちは近所の喫茶店にいた。一人だったら入らないような、お洒落な店だ。彼女はホットココア、僕はエスプレッソを飲んでいる。
「苦くないですか?」
「どうでしょう。慣れてしまったせいか、あまり感じません」
「私は苦いの苦手でして……」
なるほど、と僕は言った。何がなるほどなのかよくわからないし、良く考えるとエスプレッソはその苦味が魅力の一つなのではないか、と自分の軽率な発言を後悔する。
「ノエルはどうなりましたか?」
「ノエルちゃんは、無事に人間に戻りました。組織の人間の多くが犠牲になりましたが、人間に戻った彼女に罪はない、と上は判断しています」
「なるほど」
「あなたは、今は?」
僕はあれから組織をやめた。もともとあまりやりがいを感じる職場でもなかったし、ノエルの一件で組織に残るのはなんとなく気まずくなってしまった。
「僕は今、魔術師を追っています」
「それは……。組織はもう彼を追っていません。危険すぎるからです」
「でしょうね」
「あなたは大丈夫なんですか?」
「……どうでしょう。僕は彼を捕まえようとか殺そうだなんて思っていないので、大丈夫なんじゃないかな、とは思っています。僕は彼の思想に興味があるんです」
彼が何をしようとしているのか僕には見当もつかないが、だからこそ惹かれるものがあった。彼が空に浮かぶ海の中で、何を見て何を聞いたのか、もう少し詳しく聞きたいと思ったのだ。
「A子の死ですが」
彼女は言った。
「あれは自殺、と言うより事故に近いものだった、と言うことがわかりました」
「というと?」
「A子が空に浮かべた海が彼女の悲しみによって行き場を失い、A子の血を欲したんです。A子がずっと愛していた少年は死んでしまった。彼女の祈りは、彼のためのメロディーは空に海を浮かべることができても、天にまで届くことはなかった」
「A子は踏みとどまることができたってわけだ」
「?」
「いえ、もし彼女の悲しみが世界を覆ってしまったとしたら、より多くの人間の血を求めたとしたら、どうなってしまったのだろうと」
「……もしそんなことになっていたとしたら、そんなことが起こり得たとしたら、それはとても危険な状態だったと言うしかありません。彼女は大量殺人を犯すことになり、結果として」
「最悪の吸血鬼になった」
僕は言った。彼女は黙ってうなずいた。
会話によって思考が整理されたことで、僕は一つの可能性に辿り着いた。
それは魔術師が悪ではなかっとしたら語られたであろう物語だ。
僕は眼鏡の彼女と別れて図書館に向かった。そして僕の予感通り、図書館の入り口には魔術師がいた。
「やれやれ」
と彼は言った。
「私は悪などではない」
「もしかして、あなたが海で泳いだのは、A子のためですか?」
僕は尋ねる。魔術師は笑って言う。
「まさか。行為はすべて自らのためさ。誰のどのような行為であってもね。それに君、彼女の純粋な愛が、悪を示すと思うのかい?」
僕は納得した。魔術師の言うとおりだったからだ。
僕は今、彼を追っている。図書館の前で会って以来、彼は僕の前に姿を現さない。そうこうしているうちに三年の月日が流れた。
ノエルは大学生になっていた。彼女は吸血鬼だった頃の記憶とともに、僕のことも忘れてしまった。
姉さんはこの世界のどこかにいる。だが、どこにいるのかはわからない。
僕はときどき眼鏡の彼女と喫茶店に行く。そして他愛もない話をする。
僕は彼女を見る。銀のフレームの大きな丸眼鏡は未だに変わらず、照明の光を反射したりする。
そんなときだ。僕が愛について考えるのは。
ノエル 新原つづり @jitsuharatsuzuri
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