第5話 猫の運ぶ生命

現世に戻ってきたアルドは猫と一緒にラトルの町に向かっていた。目的は勿論、あの女性と会う為だ。


「あ、いたいた」


町の外れで彼女はぼんやりとティレン湖道の方を眺めていた。アルドに気づいた女性は振り返って近づいてくる。


「この間の…」

「探したよ。ちょっといいかな」

「私に何か……きゃっ!!」


女性はそこで初めてアルドの後ろをついて歩いてきた猫に気づき、慌てて後ずさりする。


「ごめん、今日は俺が連れてきたんだ。どうしても会わせたくて」

「会わせたい…?この猫と…私を?」


女性は困惑した様子でアルドと猫を交互に見る。アルドの話を聞きながらもその後ろの猫を常に警戒しているようだった。

猫はゆっくりと女性に近づき、口に咥えていた薬草を男性の時と同じように女性の足元に落とす。


「……何…?これ……」

「こいつはずっとアンタにこれを渡したくて追いかけてたんだ。ココノツソウっていう薬草らしいんだけど」

「薬草…?」


女性はしゃがんで猫が持ってきた薬草を手に取る。不思議な香りのする薬草は猫がずっと咥えていたせいか少し萎びていた。


「魔物に襲われて怪我をした彼に、こいつはこれを渡そうとしてたんだ」


アルドの言葉を聞いて女性は顔を上げる。


「…何でそんなこと分かるの?」


そして当然の質問をする。

煉獄界で実際にそれを見たから、とは言えなかった。言ったところで彼女は信じないだろう。


「…確かに、彼が怪我をしてすぐ猫はどこかへ行ってしまったわ。魔物に驚いて逃げたんだと思った。猫が人の為に何かするなんて…」


彼女はそう言って鼻で笑う。猫は喋らないし、何を考えているのか人間には分からない。


「…その薬草、人間にはあまり効果がないみたいなんだ」

「……え?」

「動物の怪我にはよく効くから本能的にそれを知ってる動物が多いんだって。でも…人間に効かないことは分からなかったんだろうな」


アルドはそう言って猫を見下ろす。

猫は逃げ出したのではなく、彼の怪我を癒そうとその薬草を採りに走ったのだとしたら。

薬草を咥えて戻って来た時、彼が既に息絶えていたことが分からず、薬草を渡すために彼を探していたのだとしたら。


「…これは俺の想像なんだけど、恋人を失って元気がないアンタにも、この薬草で元気になって貰いたかったんじゃないかな」


アルドの言葉に女性は目を見開いた。

そして傍に座る猫を見る。猫はこてんと首を傾げて女性を見つめ返した。

先程も言った通り、これは人間には効果のないものだ。勿論元気になる効果もない。

…それでも。


「……そんな…だって私、追いかけられる度に怒鳴って追い返して…石まで投げようとして…そんなこと、してもらう資格なんて…」


女性はそう言って肩を震わせた。


「猫ってさ、自分のことが嫌いな人間のことが分かるんだよな。だから、本当に嫌いな人間には近づかないよ」

「……………」


それを聞いた女性の瞳が揺れたのが分かった。


「にゃあん」


沈黙を破るように猫が鳴いた。

そして再び女性に近づいていく。女性は一瞬びくりと体を強ばらせたが、拒むことなく猫を受け入れた。猫はもう一度鳴いて彼女の膝に前足を乗せた。

一点を見つめていた瞳に堪えていた涙がじわりと滲み、次の瞬間には堰を切ったように溢れ出てくる。


「…助けてくれようとしたの…?あの人のこと…」

「にゃあん?」


揺れる瞳からぼろっと涙が溢れて頬を伝う。


「……ごめん…ごめんねぇ…っ」


泣き出す女性を心配するように猫が顔を覗き込んだ。女性は恐る恐るその背中に手を乗せる。じんわりと温かく、とくとくと脈打つ鼓動が確かにこの世に生きていることを主張しているようだった。

女性はそっと猫を抱き上げて、その背中に顔を埋めて泣いた。この世に息づいた命との出会いと、もう戻らない命との決別を惜しむように。


「…本当にありがとう。このまま猫が本当に猫が嫌いになってしまったら彼にも申し訳がないから…」

「俺は何もしてないよ」


ひとしきり泣いた後、女性は涙を拭きながらアルドに礼を言った。


「この子のこと、家で面倒を見ようと思う」

「そっか。良かったな、お前」


アルドは笑って猫の背中を撫でた。

女性もつられるように笑う。出会って初めて、本当に嬉しそうな笑顔を見せた。


「……あら?」


猫の背中を撫でていた女性が何かに気づいて猫のお腹のあたりをまさぐる。


「どうしたんだ?」

「…何だかお腹が大きいと思ったら…この子、妊娠してる」

「え!?」


もともとぽっちゃりした猫なのだと思っていたから、アルドも流石に気づかなかった。

女性はすっくと立ち上がる。


「大変…!安全且つ人目に触れない静かな出産場所を用意しないと…出産前は母親の栄養も大事よね!アクトゥールから新鮮な魚を買ってくるから待ってて!」


先程までが嘘のように元気を取り戻した女性はそう言ってティレン湖道の方へ走って行ってしまった。


「あ、おい!一人で通るのは危ないって…!」


アルドは慌ててその後を追う。

猫はそんな二人を見送って「なぁん」と鳴いた。

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猫の運ぶ生命 蔦 あけび @hana-mizu

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